第100話 みゃーの場合

翌日は、みゃーの家を訪れた。

「お疲れさまー」

と自然に上着を受け取り、ハンガーに掛ける。

みゃーママが仕事に出ているせいもあるが、俺も一家の主のように部屋でくつろぐ。

黙っていてもコーヒーが出てきて、俺の向かいにちょこんと座ると、ニッコニコの笑顔で疲れをいやす。

笑顔の可愛いみゃーではあるが、タマに比べれば地味な顔立ちだ。

人よりちょっと大きな耳が特徴と言えば特徴で、小顔とのアンバランスさが、何故か可愛らしさをかもし出す。

みゃーが髪を耳にかける。

さあ、聞きますよ、という態勢だ。

普段は髪に隠れているその耳が、何だかピコピコと動きそうな、そんな愛らしさがある。

「タマから聞いたかも知れないが、年内で今の仕事を辞める」

やはり知っていたのか、驚いた様子は無く、にこやかな表情のままうなづく。

「次の仕事は確定していないが、そもそも会社自体が傾いているので、遅かれ早かれ職を失うことになる」

「無職だ!」

「うるさい」

「……会社が傾かなくても、遅かれ早かれこうなると思ってたよ」

「え?」

「こーすけ君、会社、楽しそうじゃ無かったもんね」

そうなのか?

いや、楽しくないのは事実だが、それを出してきたつもりはないのだが。

「プライベートで仕事の話はしない、っていう人も多いみたいだけど、それでも、愚痴ぐちの一つくらいは出ると思うんだよね。それじゃあ愚痴なんて無いくらい楽しいのかというと、だったら最初の頃、あんなにうつむいてないよね」

ごもっとも。

というか、高校生に簡単に見透かされる自分が恥ずかしい。

「それに、男の人って、仕事の成果とか、自慢話もしたくなるんじゃないかなぁ。俺はこんなことをやってるんだぞ、みたいな」

「自慢出来るような成果が無いだけで」

「それでも、だよ。見栄みえの一つも言わないなんて、たぶん、今の仕事に執着するものが無いんだろうなって」

ああ、そうか。

執着が無かったんだ。

いや、そもそも、執着するもの自体、何も無かったではないか。

何となく大学に行って、何となく就職して、何となく生きて、何となく、ただ漠然ばくぜんと日々を過ごしていただけだ。

お前らと、会うまでは。

「ではでは、今後の見通しについてですが」

見通し、か。

無い訳じゃない。

いや、寧ろ随分と前から考えていることがあった。

ただ、それは俺の我儘わがままを通すことになると考えていた。

タマはかせにはなりたくないと言ったし、俺は俺の生き方を選んだ上で、二人に対して出来ることを考えるべきかも知れないが、それでも──

「私達に執着した」

「へ?」

みゃーが嬉しそうに、えへへと笑う。

「仕事を辞めることに、それほど悩んでいた様子は無いのに、私達のこと考えて悩んでる」

「いや、そりゃ」

「誰かが自分のことを考えてくれるって嬉しいよね。こーすけ君が私達のことを考えている間にも、私達もこーすけ君のことを考えている」

考えてくれる人もいなければ、考える相手もいなかったのに、今は四六時中、二人のことを考えている。

同じように、みゃーもタマも、俺のことを考えてくれている。

「今夜の晩御飯のおかずくらいには」

「うぉい!」

ニッコニコだ。

「食べなきゃ、生きていけないのだぞ」

「それとこれとは別だ!」

「……生きていくのに必要なの」

「え?」

何度か見た、慈愛に満ちたような笑み。

「こーすけ君、あなたは、私の空気であり、食べ物であり、水であり塩であり、スマホである」

「スマホかよ!」

いや、スマホも無くてはならないものになりつつあるが、無いと死ぬものじゃないぞ。

「あなたが太陽なら、私はその周りをくるくる回って、三百六十五日あなたを見ているの」

「……」

「で、回ってるだけだと嫌だから、やがては激突!」

「死ぬわ!」

「一緒にね」

「心中かよ!」

「擦れ違いや誤差はあるよ」

言ってることは過激だけど、まるでプロポーズだ。

「誤差も含めて愛すの」

まるで、じゃない。

プロポーズだ。


「これ、目を通しておいて」

帰り際、みゃーから何か手渡される。

大学の、パンフレット?

「私もタマちゃんも、それぞれ二校に絞ったの。お互い相談せずに、自分が行きたい大学を選んだら、そうなったんだ」

「二人が決めたことなら、俺が何かアドバイスするようなことも無いと思うけど、ちゃんと見ておくよ」

みゃーはニッコニコの笑顔で送り出してくれた。


電車に乗ってパンフレットを取り出す。

それぞれ二校に絞ったらしいのに、三校分しか無い。

つまり、そのうち一校は、二人の希望が重なったということか?

都内の大学が二校と──え?

残り一つは、地方の国立大学。

ここからは通えない。

アイツら……。

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