第98話 秘密基地と猫

何も特別なことは無い、いつもと変わらない朝の光景。

出来ることなら、猫達が勢揃せいぞろいしてくれると良かったのだが、今朝はサバっちとミケとクロの三匹。

「お前はいつもここにいるな」

初めてここに来た時から、ほぼ毎回のようにサバっちはここにいた。

そのせいか、他の猫よりも俺になついてくれたし、そもそもコイツは、最初っから表情豊かだった。

迷惑そうな顔をしたり、あきれたような表情を浮かべることもあった。

嬉しそうにしてくれたことは……あったっけ?

でも、みゃーのひざの上で撫でられている時は、嬉しそうだったよな。

古びたラーメン屋の壁。

いつもあったゴミバケツは見当たらない。

勝手口の横に積まれていたビールケースも無くなっている。

いつもと変わらないと思った光景は、よく見れば所々で変わってしまっていた。

恐らく今日中にも壁は遮音シートでおおわれ、全く違う光景に変わる。

「あれ、こーすけ君、早いね」

みゃーとタマが来る。

二人もいつもより早いのは、今日が最後だと知っているからだろう。

みゃーが定位置に座り、そしてそこが定位置であるかのように、サバっちもみゃーの膝に乗る。

猫は気まぐれだと言うけれど、コイツは明らかにみゃーが好きで、いつもみゃーのそばにいる。

「サバっち……」

みゃーは優しい声でつぶやくと、抱きかかえて頬擦ほおずりした。

この光景も最後かと思うと、愛おしくてかけがえのないものになる。

どんな形であれ、別れって嫌だなぁと思う。

どうしたって、もっとああしておけば良かったとか、こうしてやれば良かったなんて後悔が芽生える。

俺は別に猫好きでも何でも無いが、それでも、もっと可愛がれば良かったなぁ、などと思ってしまう。

みゃーなら、尚更なおさらだろう。

タマが、何やらうずうずしているように見える。

猫に懐いてもらえないタマだが、コイツは俺よりずっと猫好きだ。

でも、みゃーと猫達の邪魔をしたくないのか、何も言えずに我慢しているように見える。

「はい、タマちゃん」

みゃーがタマにサバっちを差し出す。

あわあわしながら、タマはぎこちなくサバっちを抱きかかえ、膝の上に乗せた。

珍しくサバっちはタマの膝におとなしく収まり、「みゃあ」と鳴いてから目を閉じた。

「あう」

タマがヘンな声を上げて、泣き笑いみたいなヘンな表情になった。

「さて、明日からどうしよっか……」

途方に暮れたようにみゃーは言ったが、何も思い浮かばない。

探せばこんな路地裏は他にもあるのだろうが、何だかしっくりこない。

猫達だけでなく、秘密基地と称していたこの場所にも、浅くは無い愛着が芽生えていたようだ。

じめじめしていた梅雨の頃から、むしむしした夏を経て、今は、冷たくなった風をさえぎってくれる狭い空間。

毎朝のようにみゃーと過ごした場所が無くなってしまうのは、少しばかりの感傷を連れて来る。

「朝は、諦めるか」

他の場所は思い当たらないし、今は合鍵もある。

毎日という訳にはいかないけれど、週に何度か、俺の部屋に集まれば──いや、それもいつまで続けられるだろう?

トラがやってきた。

迷わずみゃーの膝の上に飛び乗る。

俺だけ膝が寂しいので、ミケとクロを呼んでみるが無視される。

「ふ」

タマが勝ち誇ったように笑みを漏らす。

その途端、サバっちが立ち上がって俺のところへ来た。

「あ、あ……」

この世の終わりみたいな顔すんな。

でも、俺もつい言ってしまうのだ。

「ふ」

タマは哀しみの戦士から怒りの戦士の表情になるが、さすがに無理に奪い返そうとはしない。

サバっちの様子が少し変だったからだ。

何か言いたげに、俺の膝の上から真っ直ぐに見つめてくる。

もしかして、お前にも判るのか?

「ありがとう」

何に対してなのか判らないけれど、俺はそう言っていた。

「みゃあ」

サバっちが応えた。

ありがとう?

いや、違うか。

さよなら、だろうか。

それとも、元気でな? またどこかで、上手くやれよ、幸せに……。

俺の勝手な解釈で、サバっちの言葉は如何様いかようにでも変化する。

「大好きだよって」

みゃーが言う。

「へ?」

「こーすけ君がいない時のサバっちを、こーすけ君は知らないから」

それはそうだ。

知りようが無い。

「落ち着きが無くて、キョロキョロするの」

コイツが?

バカにしたような目をしてきたり、無視したりジト目をしたりしてたけど?

「私の膝の上にいるときは、いつだってこーすけ君の方に顔を向けてた」

そう言われれば……いや、でも、そんなのたまたまだよな?

「みゃあ」

また鳴いた。

「ほら」

ほらと言われても、やっぱり何とでも解釈できる。

「みゃあ……みゃあ……」

おいコラ、いつものふてぶてしさはどうした。

なんで……お前は寂しそうに鳴くんだ?

「みゃあ……」

「……」

……寂しいよな。

俺もそうだ。

どんな別れ方をしても、それはやはり後悔を残すのだ。

いなくなってしまえば、どう足掻いても何もかなわない。

ああしておけば良かった、こうしてやれば良かった、そんな悔恨かいこんは、遠い過去に消えたようになっても、ふとした瞬間によみがえる。

でも、やっぱりいちばん言いたかったことは……。

「ありがとう」

俺は、最初に言った言葉を繰り返した。

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