第93話 合鍵
次の土曜に、みゃーママと弁護士とタマ、そしてタマの両親との話し合いが行われた。
それまでの一週間、タマはみゃーの家に泊まっていた。
俺も仕事帰りに何度かお邪魔したが、三人は、本当の家族みたいに見えて微笑ましかった。
意外なことに、交渉の日が近付くにつれ、タマは寧ろ明るい表情を見せるようになったのだが、三人を見ていると、それもそうかと思える気がした。
たとえ交渉が上手くいかなかったとしても、ここまで寄り添ってくれる人がいるのだ。
それだけで、どれだけ心強いことか。
結論から言うと、拍子抜けするくらいに、タマの両親は物分かりが良かった。
母親は、亭主の浮気相手の子供、ということで、どうしても愛せなかったと語った。
父親は資産家でもあり、家庭内での絶対的な立場で
だから、つい、タマには冷たく当たったと言う。
夫婦の間の子供である兄の方を優先し、それで妻に対して罪滅ぼしをしている気になっていたと。
罪滅ぼしの犠牲になったタマにしてみたら
タマが最後に、お世話になりました、と言ったとき、二人は泣いたという。
ずっと
証拠、という訳でも無いが、六歳から十七歳になるまでの誕生日プレゼントを、父親は隠し持っていた。
それは、おもちゃであったり、服であったり、アクセサリーであったりしたけれど、渡せないまま、父親の書斎の押し入れに積み上げられていた。
そして母親は、タマが小さい頃に自分に描いてくれた似顔絵や、母の日に貰ったカーネーションを押し花にして保存していたりした。
愛することは出来なくても、タマがいい子であることは痛いほど判っていたらしい。
料理を手伝おうとしたり、勉強を頑張って褒めてもらいたそうなタマを見て、自身を責めていた。
この子を愛せないのは、自分が歪んでいるからではないかと思ったそうだ。
タマが高校卒業後、家を出ることを反対したのは、兄がいなくなった後になら、少しは愛情を注げるのではと考えたようだ。
それは、何とも自分勝手な、とも言える。
だけど俺は、彼らを責める気にはなれなかった。
タマの持つ本来の人間性が大きいのは当然としても、今のタマを作り上げたのは、この両親のお蔭でもあるのだ。
タマの自己肯定感の低さは、愛されていない、望まれていない子供と思ってきたせいだから、二人の罪は大きいと言わざるを得ないが、あの愛すべき
もっとも、それで両親の罪が許される訳では無いが。
因みに、タマの一人暮らしが決まっていちばん泣いたのが、我儘に育った兄である、ということは、まあ、どうでもいいことではあるけれど。
「タマ」
引っ越しを終えた部屋で、俺はタマを呼ぶ。
後は段ボール箱の荷物を整理するだけの状態で、みゃーは買い出しに、みゃーママは自室で睡眠中。
「何ですか?」
本当にこれで良かったのか、という思いはある。
それぞれの家庭には、それぞれに抱えている事情がある。
敷金も家賃も、進学費用も出すとタマの両親は言った。
でもタマはそれを断った。
それは、今までの家族との決別であり、俺に頼ることを宣言したに等しい。
「いいのか?」
それだけの言葉で、タマは俺の思いを理解した。
「誰も恨んでいませんし、私にはあなたがいるので」
俺と、家族になることを選んだ。
「いい
「うぉい!」
今までより、少し穏やかな表情になったように見えるタマだが、相変わらず毒舌というか、
「それは?」
タマが、一つの段ボール箱を、大事そうに、丁寧に押し入れに仕舞った。
「父からの、誕生日プレゼントです」
自嘲気味に笑う。
色々と思うところがあるだろうし、俺には何も言えない。
「私はバカですので、今まで沢山の人の好意に気付けずにいたのかも知れません」
タマはバカでは無い。
俺は強く首を振った。
「もしかしたら孝介さんも、今までに好き好き光線や、ヤりたいオーラを出されていたのかも知れませんが、気付いてあげられなかったのかと思うと
「光線もオーラも出してねーよ!」
「それなら、良かったです」
「え?」
「あなたの好意に気付けないのは嫌ですから」
「……」
「私は自分に向けられる好意に鈍感ですので、あからさまに大袈裟に愛情表現してくださると助かります」
冗談ぽいことを言ってるのに、いつもより
「いや、それは」
「あなたのタマは、愛されて伸びる子です」
「いや、そうは言っても」
「今回の件は、ちゃんと伝わりました」
「そ、そうか」
「私がどれだけ救われたか、まだお礼を言ってませんでしたね」
「いや、そんなものは家族なら当たり前で」
タマが居住まいを正す。
綺麗な姿勢、凛とした佇まい。
そのくせ、どこか猫みたいに可愛らしくて、つい、頭を撫でたくなる。
「ありがとうございました。それから」
「お礼なんていいから──」
「愛してます」
!?
今なんて?
はっきり聞こえたはずなのに、そう聞き返してしまいそうになる。
タマの、少しだけの照れ笑い。
だけど、真っ直ぐな瞳。
「言ってしまいました……」
ぽつりと呟く。
あれ? 堂々としてたのに、真っ赤になって
「わ、私、そろそろ帰ります!」
「待て! ここがお前の家だ!」
「そ、そうでした……」
ますます赤くなる。
「えっと、では、お帰りください」
何故!?
いや、照れくさいし気まずいし、その方がいいのか?
「こ、これ、渡しておきます」
「……」
合鍵だった。
帰れと言われたけど、いつでも来いと?
「みゃーにも渡してます。ここは、三人の家です」
タマはそう言って、羞恥を喜びに変えて弾けさせるみたいに、今までで一番の笑顔をくれた。
鍵には鈴が付けられていて、まるでタマが
俺はそんなタマをポケットに入れ、時々思い出したように取り出しては、耳元でちりんと鳴らした。
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