第89話 家族

「そ、それで、今日はどうするんだ?」

まだ気恥ずかしさは残っているが、食後のコーヒーを飲みながら訊ねる。

「学校は休みます。昼過ぎに母が出掛けると思うので、その隙に家に必要な物を取りに行きます」

「親を説得しろって昨日言っただろ?」

タマはスマホの画面を俺に向けた。

『帰ってくるな』

という文字が見えた。

タマが『友達の家に泊ります』、と送ったメッセージに対する返事だ。

もどかしい。

俺がタマと歳の変わらない彼氏だったなら、家に押しかけてそんな親をののしることが出来ただろうか。

あるいは、二人で逃避行、なんて馬鹿なことも決行出来たかも知れない。

だけど俺はそんなことが出来る歳では無いし、タマの味方をすると言ったところで、実際にしてやれることなど思い当たらない。

一晩の宿は提供したが、長引けばリスクは高くなる。

そうだ、リスクなんてものを考えてしまう。

「みゃーには連絡したのか?」

「何日でも泊っていいって」

それで解決するのか?

でも、娘が何日も帰ってこなければ、さすがに心配するだろうか。

いや、折れる可能性もあるが、逆効果になる可能性もある。

帰ってくるなと言うような親なら、進路についても好きにしろと言っても良さそうだが……。

家を出ることに反対しておきながら、家出をしたら帰ってくるな、か。

娘が思い通りにならないと気が済まないタイプなのかも知れない。

「このまま家を出て、その延長で一人暮らしをして進路をかなえてもいい気がしてきました」

「みゃーの家にお世話になったとして食費は? 一人暮らしを始めるための資金は? 家賃は? 大学の入学金、授業料は?」

リスクを覚悟して、俺の家で世話をすることは?

「それは、バイトをして……」

「今からバイトでそれだけの資金を用意出来るとでも? 成績を落とさずに?」

タマはうつむいてしまう。

俺が社会人になってから溜めた金は三百万ほどだ。

両親が亡くなったときの保険金は、大した額では無いが手を付けていない。

俺の大学資金はちゃんと貯金されていたし、特に金が必要になることも無かった。

だから、千五百万くらいはある。

どうしようもない状態になれば、それをみゃーとタマのために使うことに躊躇ためらいは無い。

両親も、その使い道を理解してくれるだろう。

二人が大学を卒業するまでなら、何とか面倒をみられる。

でも、それが解決策としていいものであるかは判らない。

「家族で、お前をいちばん理解してくれそうなのは誰だ?」

タマは首を傾げた。

悲しくなってくる。

家族であれば無条件に誰でも、というのが本来の姿なのに。

「お兄さんは?」

兄というものは、妹をウザくは思っても、結局は可愛いはずなんだが。

「兄は成績優秀で社交性も高く、要領が悪くて根暗な妹を馬鹿にしています」

こんな可愛い妹がいたら、俺なら溺愛できあいしただろうに……。

「お母さんは?」

何があっても、母というのは自分のお腹を痛めて産んだ子を嫌うはずが無いのだ。

「母は、自分の意見を言う人ではありません。父と兄の顔色ばかりうかがっています。それに──」

「それに?」

「いえ、何でもありません」

言葉を濁したが、かなり歪んだ家庭であるのは確かなようだ。

「で、お父さんは?」

何も期待出来ないまま、父親のことも聞いておく。

「父は、何事も自分の思い通りにしないと気が済まない人です。だから母も逆らいませんし、私の意見も聞こうとはしません」

タマの日に、少しは両親に感謝出来る気がします、みたいなことを言っていたけど、あれは産んでくれたことに対してだけなのか……。

くそ、こんな可愛い娘がいたら、俺なら溺愛してただろうに。

溺愛しすぎて、一人暮らしは認めない可能性が高いが。

俺が、やるせないような思いと怒りを持て余していると、タマは悲しげに微笑んで首をかしげた。

「あなたのタマは、こんなに可愛らしいのですが」

それは、冗談なのだろうか。

家族から愛されていない自分を揶揄やゆしながら、自分を認めてくれる俺という存在に共感を求めているのだろうか。

家族にすら愛されていなくても、あなたは私を可愛いと思ってくれますか──

胸が痛くなった。

傾げられた首は、タマの不安だ。

あなたのタマ──そうだ、俺のタマだ。

俺のタマは、こんなにも可愛らしいのだ。

だから、そんな悲しい冗談は言わないでくれ。

俺はいつものようにタマの頭に手を伸ばし──

何故か両手を伸ばしていた。

そして何故か、それは頭にではなく、その華奢きゃしゃな肩に伸びていた。

気付けば、俺はタマを、この両腕で強く抱き締めていた。

タマは一瞬、身を固くしてから、力の無い抵抗の素振りを見せた。

「き、規約違反です。みゃーに叱られます」

腕の力が足りないのだろうか?

こんな時までみゃーのことを気にするタマを、俺は黙らせようとする。

ぎゅっと、強く腕の中に閉じ込めて、やがてタマはおとなしくなった。

抵抗は、震えに変わった。

俺の腕の中で、嗚咽おえつこらえて、小さな身体が小刻みに震えていた。

誰よりも性的なことばっかり言ってるヤツが、誰よりもいちばん家族愛に飢えていたんだ。

お前は、俺の家族だ。

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