第88話 パンツの謎

ほとんど眠れないまま朝を迎える。

と言っても、まだ空は白み始めたばかりで、部屋の中は夜の延長線上だ。

俺は音を立てないように起き、買い置きの缶コーヒーを開けると、椅子に座ってベッドを眺めた。

薄暗い部屋の中で、白いシーツの盛り上がりが微かに上下している。

寝息は聞こえないが、静かな呼吸が伝わってきて、何故か愛しくてたまらなくなる。


あまり物音は立てたくないが、トイレに行く。

トイレの明かりくらいは構わないだろう。

控えめに水を流し、トイレから出たところで洗濯かごが目に入る。

ん?

タマの昨日の服は今日も着なければならないから、部屋の隅にたたんで置いてある。

だがパンツは?

洗濯籠のいちばん上には、俺のワイシャツが無造作に乗っかっている。

おかしい。

順番からすれば、俺のワイシャツの上にタマのパンツが乗っていなければならない。

俺は洗濯籠を物色した。

単なる疑問、謎に対する探究心であることを、俺はいささかも疑っていない。

例えば、積み重なっていく地層のいちばん上に当たる部分が、江戸時代よりも平安時代のものが上にあったら調べざるを得ないだろう。

それと同じことだ。

だが、何ということか。

目的のブツは、古墳時代に相当する深みで、しかも俺の四日ほど前に着たワイシャツにくるまれ、巧妙に偽装されていた。

それは、ワイシャツと同じ、白、だったのだ。

俺の疑問は、何故、最上層にあるべきものが無いのか、というものだったはずだが、色を確認したところで、ひとまず探究心は沈静化した。

これは不思議と言わざるを得ない。

江戸時代の地層を古墳時代に当たる場所で発見したのだ。

そこには新たなる疑問と探求心が芽生えなければ、先程までの俺の学術的調査は嘘になる。

ただパンツが見たかっただけ、何色か知りたかっただけ、という、知的好奇心ではなく痴的好奇心というそしりを受けなければならなくなる。

断じてそんなことは無い! と、俺は胸の中で声を上げ、新たな謎に立ち向かうべく、そのブツを観察することにした。

隠すということは、見られたくないということである。

かつて洗濯籠にパンツを置き土産として置いていったタマが、どうして同じパンツを今回は隠すのか。

俺は再び、学術的探究心の高まりを感じた。

と同時に、朝も早くから俺は何をしているのか、という理性的な疑問も生じてきた。

いや、ある程度の答は既に出ているのだ。

前回は、僅かな時間だけ履いたパンツだったが、恐らく今回は丸一日履いたものだ。

羞恥の度合いが違う。

ただ問題は、時間的経過の長さが、視覚的にとらえられるかどうか、ということに尽きる。

あるいは嗅覚的に、とも言えるかも知れない。

もう少し簡単に言えば、シミと匂い、ということになる。

洗面所を照らすトイレから漏れる明かりでは、何も視認出来なかった。

ならばトイレに持ち込むか、それとも洗面所の電気をけるか。

トイレに持ち込んでしまえば、誰かに確認作業を邪魔されることは無いだろう。

ただし、持ち込んだ事実はあらぬ誤解を招き兼ねない。

トイレという密室は、密室であるが故に事実を隠し、密室であるが故に事実をあばいてしまうのだ。

ならばここは──

「何をしているのですか」

「ほわっ!?」

心臓が口から飛び出るかと思った。

そうだ、いったい俺は何をしているのか!?

つい出来心で、いや違う、明確な探求心があったではないか!

「いや、お前のパンツが見当たらなくてな」

なーんだそりゃ!?

「何を言っているのですか」

「いや、その、あるべきものが無いと、落ち着かない性分しょうぶんで……」

タマは俺の手からパンツを奪い取る。

怒っているような、微妙に嬉しがっているような、複雑な表情だ。

トイレから漏れる明かりが、赤く染まった頬を照らす。

トイレから漏れる、という表現はいかがなものかと思いつつ、それがタマの可憐さを損じることはない。

「そっちも返してください」

「え?」

何ということか! 俺のもう片方の手は、タマの靴下を握り締めていた!

「いや、視覚的に知覚出来るものが無かった場合にだな、嗅覚が重要に」

ああ、言い訳のはずが墓穴を掘っている……。

何を言おうと、俺には変態というレッテルが貼られるのだ。

ならば言い訳はやめよう。

「タマと二人きりだと思うと、変に意識して眠れなかった」

「そ、そですか」

「寝不足でボーっとしてたのと、欲求不満が重なったのか、知らず知らずにこんなことを……」

「そですか」

素っ気なく、でも明らかに照れながら返事をする。

「す、すまん」

タマが嫌がっていようがいまいが、変態的行為に及んでしまったのは事実だ。

そこは反省しなければならない。

「い、いえ、昨夜の私も、お風呂に入る前に似たようなことをしましたので」

「え?」

「洗濯籠というものは、つい物色したくなるほど、探求心をき立てるものだということです」

「そ、そうか。うん、そうだよな」

判り合えた。

いや、二人は繋がっていたのだ。

愛する者同士、何も恥じることは無いのだ。


だが、朝食は、お互いに目をらし、恥じ入りながら食べるのだった。


 


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