第87話 二人きり
またソファにちょこんと座る。
スウェット姿が恥ずかしいのか、クッションを抱えて前を隠す。
濡れた髪と、湯上がりで上気した頬が色っぽい。
それに、風呂には俺のシャンプーと石鹸しか無かったはずなのに、何故こんないい匂いが漂ってくるのか。
というか、髪まで洗ったお前は、泊る気満々なんだな……。
「親とケンカしました。友達の家に泊ると言って出てきました。以上です」
何という簡略化。
だが、何も言わずに家を飛び出した訳では無いのは幸いだった。
「ケンカの原因は?」
「進路を、反対されたので……」
少し
普段、ほとんど放置している娘の、教師を目指すという立派な進路に対して、何を反対するというのか。
「教師の、何が駄目なんだ?」
「教師という職業もそうなのですが、高校を卒業したら家を出るということが気に入らないようです」
放置はしていても、心配はしているのだろうか。
確かに教師という職業は、かなり厳しいものだと聞くし、一人暮らしについても、家から通える範囲に大学はあるのだし。
「兄が、いま大学三年生で、就職と同時に家を出るみたいです」
なるほど、タマと家を出る時期が重なるわけか。
息子が就職で一人立ちするのは反対しないだろうし、何より優秀なお兄さんだと聞く。
タマの両親の夫婦仲は知らないが、子供が二人同時に家を出となると、二人きりの夫婦生活になるわけだ。
それは、あまり歓迎出来るものでは無いのかも知れない。
ただ、どんな理由、事情があるにせよ、俺はタマの味方に付く。
「取り敢えず今晩だけは泊まっていい」
タマの顔が、ぱあっと明るくなる。
「ただし、俺の言うことをきくと約束しろ」
「……判りました。一日、あなたの肉奴隷になります」
「違うわっ! 逆だ逆!」
「逆? あなたが私の肉奴隷になるのですか?」
「なんでやねん! そういう性的なことにならないよう、俺の言うことをきけってことだ!」
ぽふっ、と腹立たしげにクッションを殴るタマ。
「まず、ちゃんと親に連絡しろ。今すぐにだ」
ぼふっ、とクッションが俺の顔面にヒットする。
タマはそれを素早く回収して、またソファにちょこんと座る。
何だ、このちょこまかと可愛らしい小動物は。
「……メッセージでいい。みゃーの家にいることにしてもいいから、取り敢えず親を安心させろ」
果たして、どこまで心配しているかは判らないが。
「それから、明日になったらちゃんと話し合え。親も納得させられないようじゃ、教師になって他人のガキなんかを納得させられるはずが無い」
「……」
めっちゃ睨まれる。
まあ、ちょっと強引な理屈かな、とは思う。
「あと、これはわざわざ言う必要も無いだろうが、みゃーには本当のことを話すこと」
そこは素直に頷く。
「で、今晩の取り決めだが、お前はベッドで寝ろ」
「孝介臭で包んで私を発情させるつもりですか?」
「ちげーよ! ていうか、元気になった途端に下ネタ連発させんな!」
「……ごめんなさい」
意外と素直に謝る。
「俺はこっちの床に寝る。お互い不可侵のテリトリーだ」
「前に泊まった時は、何も言いませんでしたよね?」
「今夜は二人きりだからだ」
タマは顔を赤くして
不必要に意識させてしまったかも知れない。
「それから、」
「まだ何かあるのですか」
「俺は何があろうとお前を応援している。常に味方でいるつもりだ。それを、絶対に忘れるな」
言ってから恥ずかしくなったので、俺は床に座布団を並べ、タオルケットにくるまる。
くそ、その愛しいものを見守るような視線はやめろ。
「おい、そのクッションは枕だ。寄越せ」
乱暴な口調の命令も、照れ隠しだとバレているのか、タマは柔らかな笑顔で従う。
ずっとタマが抱きかかえていたクッションは、いい匂いがするものだから、また恥ずかしくなる。
「さあ、電気消すぞ。早くベッドに入れ」
「はーい」
返事は素直に、でも、どこか残念そうに。
もう少しだけ、二人きりの夜を楽しみたいとでも言うように。
電気を消す。
暗くなると、息遣いが耳に届く。
ごそごそとベッドで寝返りを打つような音も、何故かよく聞こえてくる。
そして鈴の音も。
寝ている時にもチョーカーを外さないのか……。
でもそれは、耳障りではなかった。
俺はタマの方に背中を向け、横向きになって目を閉じた。
「孝介さん」
少し上の位置から届く声。
妙に近くに感じて、俺は寝たふりをした。
「ありがとう」
いつになく優しいタマの声。
俺は返事をせず、身じろぎも出来なかった。
タマの寝息が聞こえてくるようになっても、俺は眠れず、この二人だけの空間に戸惑っていた。
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