第85話 パンフレット

仕事帰りに、みゃーの家の最寄り駅でタマと待ち合わせ。

二日連続で休んだみゃーのお見舞いに、というと大層だが、みゃーママが夜のお仕事でもあるので、一人寂しい夜に顔を出してやれば喜ぶかな、といった程度の訪問だ。

「生理中の女子の部屋に行きたがるなんて……」

駅からの道を歩きながら、タマは人聞きの悪いことを呟いている。

「だいたい、男って一度家に上がっただけで亭主ヅラするんですよね」

ブツブツとうるさいヤツだ。

そもそも、みゃーの家に行きませんかと誘ってきたのはお前だろうが。

「エタってるのに亭主ヅラなんて、おかしな孝介さん」

「エタってる?」

無視し続けるつもりだったが、耳慣れない言葉に反応してしまう。

「何か?」

あら、いたんですか、と言わんばかりの態度のようでいて、俺が反応したのが嬉しいのか、口調とは裏腹に鈴が賑やかな音を立てる。

「どういう意味だ?」

「エターナルの略ですが」

エターナル? 永遠の? 他には……不滅、とか?

「俺が、永遠?」

なんだそれ? 意味が判らん。

「生涯童貞を貫き通すことを言う俗語ですが」

「聞いたことねーよ!」

「永遠の未完です」

「経験しなきゃ人として完成出来ないのか!」

「不滅の童貞でもいいんですよ?」

「なーんだそりゃ!? やってもやっても失われない童貞ってか!?」

「何を言ってるんですか。やろうとしてもやれないから童貞でしょう? おかしな孝介さん」

頭が痛くなってきた。

「まあ私かみゃーがいる限り、エターナルチェリーから守ります」

それって、守られるのか奪われるのかどっちだろう?


バカな話をしている間にみゃーの家に着く。

二階の三つめの部屋だったな。

「まあまあ、一度来ただけで勝手知ったるといった風情」

「部屋の前まで迷わず来ただけで、勝手知ったると言ったウゼー」

「では、さん、に、いちで踏み込みますよ?」

「何の捜査だよ!」

「エタった男を部屋に連れ込んでいるというタレこみが」

「それ、俺だろ!」

「このタイミングで自白ですか?」

何なんだろう、コイツといると調子が狂うような調子が乗ってくるような、訳の判らん状態になる。

ガチャリ。

ノックをする前に、みゃーの部屋のドアが開く。

俺達の声が、部屋の中にまで聞こえたのだろう。

「あー、タマちゃんいらっしゃい」

事前に連絡はしていたが、元気そうな姿で迎えてくれる。

「あなた、お帰りなさい」

うん、俺には元気な新妻モードだ。

「あらあらあらあら、一度家に上げたくらいで女房ヅラ」

「さ、上がって」

さすがに俺より付き合いが長いせいか、みゃーは普通にスルーする。

「む……」

「さ、遠慮せず好きなところに座ってくれ」

俺もみゃーに便乗して、亭主ヅラをする。

「あなた、お疲れ様。コーヒーでいい? タマちゃんは紅茶?」

タマがあうあうしている。

「そんなことよりお前、寝てなくていいのか?」

「うん、もう平気。午後からだいぶスッキリしたから」

タマがあうあうしている。

「お腹、撫でてやろうか?」

「もう、大丈夫だって。でも、ありがと」

タマがあうあうして──

「いやぁー!」

「ぐほっ!」

鞄が飛んできた。

ちょっと悪ふざけが過ぎたようだ……。


タマはしばらく拗ねた様子を見せていたが、今はみゃーと二人で何かパンフレットのようなものを見ている。

やっぱり仲がいい。

寧ろ俺が疎外感を覚えるくらいだ。

パンフレットは何部もあるようで、机の隅に纏めて積まれている。

俺はそれに手を伸ばした。

ああ、大学のパンフレットか。

俺もこのくらいの時期に取り寄せたが、せいぜい五校くらいだったか。

机に積まれているのは、二人が持ち寄ったとはいえ三十部くらいありそうだ。

それらを一つずつ手に取って見ていく。

教育学部のある大学ということで、国公立大学が多いような。

都心の大学もあるが、地方の大学も候補に入っているらしく、地域は広範囲に及んでいる。

え、北海道まであるのかよ。

ん、これは九州か。

俺一人と二人が離れて暮らすことは覚悟していたが、三人バラバラというのも有り得るんだな……。

何となく、コイツら二人は一緒に同じ大学に通って、二人一緒に社会に出るなんて思い込んでいたけれど、それぞれの道があるわけで、ずっと一緒にというわけにはいかないよなぁ……。

ん? 同じ大学のパンフが二部ある。

あ、こっちにもあるな。

そうか、二人がそれぞれに請求したから被ってるものもあるのか。

つまりは、お互いが独自に目指す大学を探しているということだ。

なんだ、馴れ合わずに結構自立してるんだな。

教師になれば当然のことながら、勤務地だってバラバラになる訳で、それでも帰ってくる場所、といったものが俺達には必要になる。

それが、毎日帰る場所か、たまに帰る場所か、それとも最後に帰る場所なのかはともかく、俺はそういった場所を用意してやらなきゃならないと思う。

「あなたのタマはそろそろ帰りますが」

「ん? あ、そうだな。じゃあ帰るか」

タマに門限は無いらしいが、もう九時を過ぎている。

俺が腰を上げると、タマは何故かホッとしたような顔をした。

「今日はありがとう。気を付けてね」

「こちらこそ。ふふ」

ん?

玄関先まで出てきてくれるみゃーに、タマは不敵な笑みを向けた。

「じゃああなた、帰ろ」

「え?」

腕を引っ張られる。

なるほど、さっきの仕返しのつもりらしい。

でもまあ、やり方が子供っぽいんだよなぁ。

みゃーはと振り返ると、ぷっと頬を膨らませて腰に手を置いている。

もう、仕方ないなぁ、といった感じだが、俺と目が合うと、意外と柔らかい笑みで肩を竦めてみせた。

んー、あれが正妻の貫禄か。

感心していたら、タマに脇腹をつねられた。





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