第79話 みゃーの日 3

「あの子と私、そっくりでしょ?」

「はい」

「でも顔だけなの。勿論、別れた亭主とも似てない」

本当に、そうなのだろうか。

しつけらしい躾なんてしなかったし、勉強も教えなかったし、ろくに遊び相手にもなってあげなかった」

「……」

「親の私が言うとバカみたいなんだけど、あの子って、ちょっと天使みたいって思ったり」

「それは、俺も何度も思いました」

また、みゃーと同じ笑み。

「小学校三年生だったかな……あの子が見様見真似でご飯ごしらえをし出したのは」

みゃーママは、随分と古い型のノートパソコンを持ってきて俺の隣に座る。

『美矢』というフォルダがあって、その先には西暦名のフォルダが十六個並んでいる。

そのうちの一つをダブルクリックし、ズラリと表示された画像の中から迷いなく一枚を選んで開く。

小さなみゃーが、台所に立ってはにかんでいた。

真剣な顔で包丁を持った写真、おっかなびっくりで生魚を扱っている写真、重いフライパンと格闘している写真……。

「仕事から帰ってくると、あの子が作った夕飯があって、昼過ぎに起きると、あの子が作った朝ごはんがあるの」

洗濯物を干しているところの写真もある。

太陽が嬉しいみたいにニッコニコで、太陽に負けない笑顔。

泣いている写真は、みゃーママが熱で寝込んだ時のものだという。

そんな時まで写真を撮るなよ……。

彼女は成長していき、中学の入学式だろうか、校門前に今とは違う制服で立つ写真が表示される。

珍しく不機嫌そうな顔をしているのは、不自然な前髪のせいか。

「美容院に行くのがメンドクサイとか言っちゃって、自分で切って失敗したものだから、ダッセーって言って撮ったらこんな顔しちゃって」

鬼かアンタは。

「ホントは、美容院代も節約しようとしたって判ってたんだけどね……」

無数の画像の中から、みゃーママは目的の写真を瞬時に見つけ出す。

「ほら、これ、あの子のスマホデビューの日」

そこにはスマホを握って、嬉しさと罪悪感の混じったような顔をしたみゃーがいた。

購入費、維持費、そんなことを考えてしまったのだろうか。

「こんな顔、させたくないよねぇ」

「……」

「でも、この頃から料理のレパートリーがどんどん増えてね。スマホを有効活用してるのよね」

ほとんどの写真はニッコニコの笑顔だ。

でも、微妙な表情をした写真ほど、みゃーママにとっては胸のつかえのように忘れ難いものなのだろう。

体育祭だろうか、駆け抜けるみゃーを流し撮りした写真、受験勉強で疲れたのか、机にノートを広げたまま眠っている写真、そして俺のよく知っている制服を着た、高校の入学式の写真。

やっぱり、誰よりもみゃーを愛してるんだ。

写真を見ただけでそれが伝わってくる。

「判るよね?」

子供に向ける愛情が、ということだと思った。

けど、俺に向けられた視線は、同意を求めるようなものじゃなくて、どこか遠くを見るみたいに澄んでいた。

「あの子の選択に、私が口を挟む資格なんて無いってこと」

「いや、それは」

「あの子には我慢ばかりさせてきたし、私は何もしなかったのに、あの子は勝手にいい子に育ってくれた。そんなあの子が、あなたを選んだ。私はあの子が幸せになるのを願うだけ。そこにタマちゃんが必要なら、私はその形を応援するだけ」

それは、卑屈に過ぎるのではないか。

それとも、無条件に受け入れられるほどの、最大限の愛情なのだろうか。

「孝介君、いえ、孝介さん」

え?

みゃーママが正座した。

ちょっと待って!

「美矢を、お願いします」

いや、おかしいって!

この人はお願いする立場なんかじゃ無く、頭を下げる必要なんて無い。

ただただ娘を誇って、自慢すればいいはずなんだ。

「みゃー!」

俺はどうしてだかみゃーを呼んだ。

「なぁに、こーすけ君」

ガラス障子を開けて顔を覗かせたみゃーは、直ぐに母親の神妙な様子に気付き、いぶかし気な顔をする。

俺は何かに憤っていた。

「お前、さっきお母さんのこと、ライバルだって言ったよな?」

みゃーママが顔を上げる。

ライバルという言葉の意味を計りかねているみたいだが、俺には何となく判るような気がしていた。

みゃーがお母さんを好きだということも、ライバルと言うからには、お母さんの背中を見てきたってことも。

そもそも、何もしなくて、何も与えなくて、みゃーみたいな子供が育つはずが無い。

「言ったけど……」

「どういう意味で言ったんだ?」

不満そうな顔。

そんなことは口に出して言うべきじゃないとでも言いたげだ。

「みゃー、聞かせてくれ」

聞かせてあげてくれ。

言葉で言わなきゃ伝わらないこともあるんだ。

「お母さんみたいな……笑顔でいられるようにって……」

ほら、天使にしたのはあなたじゃないか。

「どんな時も笑って、周りの人を明るく出来るようにって……」

ほら、似ているのは顔だけじゃない。

ずっと笑って育ててきたから、今のみゃーがあるんだ。

それはあなたが働いて、辛くても笑って、心から愛して作り上げたものなんだ。

「もう、恥ずかしいこと言わせないでよ!」

ピシャンとガラス障子を閉めて、みゃーは台所に戻る。

天使の子供は照れ臭くて怒ってしまったけど、天使のお母さんは、みゃーと双子みたいな笑みを浮かべてから、少しだけ泣いた。

お母さん……。

俺の母の笑顔も、きっと、俺の中で生きているんだ。

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