第78話 みゃーの日 2

例えば職場に、こんなお姉さんがいたなら、俺は惹かれていたかも知れない。

例えばこんな風に、いつもニッコニコの先輩がいたなら、俺は勘違いしたかも知れない。

みゃーとは違って薄く化粧はしているようだが、一児の母にも、水商売をしているようにも見えない。

確か以前聞いた話によれば、高校を卒業して直ぐに幼馴染と結婚し、十九歳でみゃーを産んだらしいから、俺の七つ上か?

みゃーよりも俺とは年が近い訳で、しかも二十代でも通りそうに見える。

「あの、初めまし──」

「キミが孝介君! いやぁ、美矢から話は聞いてるけど、いっつもありがとね! まあ写真は見せてもらってるから顔は知ってるんだけど、やっぱり実際に見ると草食系っぽいわぁ。さ、上がって上がって。あ、狭いところでゴメンね、でも美矢が昨日から掃除しまくってチリ一つ落ちてないから、どこでも適当に座っちゃって。あ、そうだ、美矢のアルバム見る?」

怒濤どとうだ。

挨拶する間も無く怒濤の勢いで話し掛けてくる。

玄関に入って直ぐに狭い台所があって、ガラス障子を開けると食卓のある部屋。

その先はふすまが閉じられていて見えないが、恐らく間取りは二Kだろうから、親子の寝室に相当するのだろう。

みゃー個人の部屋は無いみたいだ。

「まずはビール? それとも取り敢えずビール?」

「ちょっとお母さん、今日はお酒は飲まないって言ってたじゃない!」

「あ、そうだったっけ。ごめんなさいね、私も若い男、いえ男性を家に連れ込む、いえ招き入れるなんてこと、今まで無かったから」

そこはかとなく、肉食系の視線を感じる。

いや、娘の相手を値踏みしているのか。

見た目はみゃーにそっくりなだけに、何かと戸惑いを覚える。

と言うか、みゃーと似てるのに胸のサイズが全然違う。

何でこんなにデカイんだ……。

「あー、お母さん、やっぱりブラしてない! 着けてきてよ!」

「やーね、どこの世界に自宅でブラを着ける女がいるのよ」

いや、アンタはどこの世界線に生きているんだ。

「ところで、見たところ普通の好青年だけど、なんで守り通してるの?」

「な、何をですか?」

「いや、聞いてると思うけど、私なんて幼馴染と付き合ってたじゃない? そりゃもう中学の時からヤりまく──」

「ちょっと、お母さん!」

「美矢は黙ってなさい。お母さん、いま大人の会話をしてるの」

有無を言わせぬ母の威厳。

いや、違う。

「で、ウチの子に何か不服があるの? 胸なの? 手を出さないのは胸が残念だから?」

「い、いえ、決してそんなことは!」

「じゃあ何なの? まさか十八歳未満だからとかオカシナ理屈こねるんじゃないでしょうね?」

それっておかしいのか!?

「あ、そうだ。いま勤め先のバーで占いが流行っててね、私の占いは当たるって評判なの。見てあげるね」

「お、お願いします」

占い道具のようなものは何も無く、みゃーママは俺の顔を覗き込んだり、手を握ったり広げたりする。

本日の主役のはずのみゃーは、みゃーママの圧倒的な存在感を前に霞んでいた。

「あらやだ」

みゃーママの深刻な声。

素人の占いとはいえ、何か良くないことを告げられるのは気持ちのいいものじゃない。

「あなた、このままだと魔法使いになるわよ」

「ぶっ!」

「あなた、このままだと魔法使いになるわよ」

「二度も言わんでください」

ほどこしをしましょうか?」

何を!?

「お母さん! こーすけ君が困ってるじゃない!」

「みゃー、あなたもそんなことじゃ貧乳の輪廻りんねから抜け出せないわよ。延々とメビウスの輪を周り続けるの」

ただの貧乳が、何やら恐ろし気な業の深さに!?

「お母さんに負けてないしっ!」

ええ!? 本日一番の驚きのセリフ!

圧倒的敗北を前にして、みゃーが負けず嫌いを炸裂させた!

「はいはい。いいからアンタはさっさと手料理の準備でもしてきなさい」

「もう……こーすけ君、ごめんね。しばらくお母さんの相手してて」

「あ、ああ」

みゃーが台所に立つ。

調理の音が会話のさまたげになるとでも思ったのか、ご丁寧にガラス障子も閉められる。


「親の私が言うのも何だけど、いい子でしょ」

え?

雰囲気が変わった。

柔らかで人懐っこい気配は消えて、大人の女性、いや、一人の母親がそこにいた。

「はい」

俺は居住まいを正す。

「小さい頃は別にして、あの子が家に誰かを呼ぶことなんて無かったの。タマちゃん以外は」

俺を責めている訳では無く、どこか自嘲気味な口調だ。

「友達は多いと思うんだけど、やっぱりこんな家、年頃になると恥ずかしいじゃない? 気付いてると思うけど、あの子、自分の部屋も無いのよ?」

「はい」

気の利いた言葉は出てこない。

「あなたは、どうして呼ばれたんだと思う?」

「……たぶん、自分を知ってもらいたいから、でしょうか」

「そうね。自分の恥部、この家や母親も見てもらって、それでも好きでいてほしいっていう気持ちかしらね」

「いえ、お母さんのことは誇りに思って──」

「昼間っから飲んだくれてる母親よ?」

水商売ということは、夕方から深夜にかけて働いているのだろう。

眠るのは朝方だろうか。

俺は学生時代に夜勤のバイトをしたことがあるが、明るい時間帯に寝るというのは意外とキツイものがあった。

たまにならいい。

徹夜明けや寝不足のときなら普通に眠れる。

だが、夜勤が常態化して、連日、昼間に寝なければならなくなると、明るさや雑音が眠りの邪魔をする。

人も街も、夜に眠るように出来ているのだ。

だから、酒に頼る気持ちが少しは判る。

「あなたは今日、私に会うことで緊張していたでしょう?」

「え、あ、はい」

「逆なのよ」

「逆?」

「普通は、親のお眼鏡にかなうかどうかってことになるんでしょうけど、ウチの場合は、こんな家、こんな親を見て相手の男性が引かないか、ってことでね」

「いえ、そんなことは!」

みゃーママがにっこり笑う。

邪気の無い、みゃーと同じ笑みだ。

こんな笑顔が出来る大人を、俺は他に知らない。


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