第77話 みゃーの日 1

みゃーの家の最寄り駅で下車する。

駅前なんてどこも大差無いけれど、改札も駅前広場も小ぢんまりしている。

改札の外ではみゃーが待っていて、大きく手を振って俺を迎える。

日曜の昼下がり、人は少なく、みゃーは目立っていた。

「あれ? どうしてスーツにネクタイ?」

みゃーよ、お前はどうしてそんなにお気楽なんだ。

「お、お母様にお会いするからに決まってるだろ!」

「お母様?」

しばし、きょとんとした顔をする。

「お母様って、そんなキャラじゃないよ?」

「どんなキャラであろうがお母様はお母様だろうが!」

「んー、寧ろライバル?」

何の!?

人生の? あるいは娘を取り合うライバル?

俺は戦々恐々としながら、みゃーの後ろを歩くのだった。


駅前の小さな商店街を通る。

「美矢ちゃん、これ、余り物」

「美矢ちゃん、安くしとくよー」

「美矢ちゃん、隣は誰!?」

商店の、おっちゃんおばちゃんが次々に声を掛けてくる。

みゃーは、ニッコニコでそれぞれに挨拶を返しながら、スキップするような足取りで歩く。

イメージとしては、まるで昭和の古き良き時代みたいな光景。

みゃーがみんなから好かれていることが判って、自分のことのように嬉しいが、みゃーの評判を下げないようにと、愛想の良い、爽やかな青年を演じなければと疲れる。

俺のことを、「誰?」と訊かれても、みゃーは堂々と「彼氏でーす」と答えていたが、果たしてみんな信じたのだろうか。

「ところで」

「なぁに?」

「お母さんは何のお仕事を?」

「……水商売、みたいな」

珍しく、みゃーが口ごもる。

そして何かに気付いたように、いきなり自分の頬をペチンと叩いた。

職業に貴賤きせんは無い。

でも、そうは言っても、堂々と言えない風潮はある。

たとえそれが、自分を育てるための術であったとしても。

いや、そうであるからこそ、口ごもる自分をみゃーは許せないに違いない。

「そのお店、俺の給料で行けるかな?」

「え?」

「いや、みゃーのお母さんと飲んでみたいなぁ、なんて」

みゃーが笑う。

コイツの笑顔も、お母さんあってのものだ。

「ありがと」

お礼を言われるようなことではない。

本音を言えば、水商売と聞いて、更に手強てごわいのではないかと緊張は増したのだが。


みゃーの家は、駅から十分ほど、少し下町っぽい雰囲気の残るところにあった。

古びたアパートで、名前こそ「ハイツ」と付いているが、「荘」と付けた方が似合いそうな建物。

「えっと、驚いた?」

どことなく心配そうな表情をしている。

「何が?」

「ぼろっちくて……」

ああ、そういうことか。

みゃーには女の子らしい可愛い家のイメージが似合うけれど、何故か違和感が無かった。

庶民的というか、どんな場所でも明るくしてしまいそうだから、古びたアパートであっても、そこはみゃーの素敵な住まいだ。

「みやねえ、そいつ、誰?」

アパートの前にいた、小学校三年生くらいの男の子が話し掛けてくる。

みゃーを見る少年の目は熱く、俺を見る目は敵に対するそれだった。

「この人はねー、なんとなんと──」

あ、ヤメロ、少年の夢を壊してはならん!

「私の彼氏さんなのだぁ」

ああ、その幸せそうな満面の笑み。

その天使のような笑顔が、より少年の心を傷付けるのだ。

それは彼が初めて見る、みゃーの女の顔であったかも知れない。

ひととき、彼の顔は絶望に覆われた。

だが、抉られたハートの痛みを瞬時で怒りに変換し、子供とは思えぬ力を放った。

「ぐはっ!」

男の顔になった少年は、俺の脚に見事な蹴りを入れ、ダッシュでアパートの一室に駆け込んでいく。

「あ、コラ! テツ君!」

「いいんだ、みゃー」

俺は追いかけようとするみゃーを止めた。

思いのほか鋭い蹴りではあったが、少年が心に負った痛みに比べれば大したことではない。

「ごめんね、こーすけ君。人見知りする子だけど、普段はあんな乱暴なことしないのに……」

みゃーよ、小学校の先生を目指すなら、少年の気持ちも判るようになれ。

それに何より、俺にとってラスボスはこの次なのだ。


さびの目立つ階段を上がって、三つ目の部屋。

ヤバい、緊張が半端じゃない。

話に聞く限り、みゃーのお母さんは良き理解者であるはずだが、実際に会えばどう転ぶか判らない。

「ただいまー」

当たり前だが、みゃーは躊躇ちゅうちょなくドアを開ける。

ちょ、心の準備が!

だが、呼吸を整える間も無く、ニッコニコのお母さんが現れた。

みゃーだ!

いや、年を取ったみゃーがそこにいた。




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