第75話 タマの日 2

「お城が見えます」

「ラブホだよ!」

「初めては、たぶん二階の孝介さんの部屋のような気がします」

「そういう妄想はまだ早い。つーか五階だろーが」

タマが笑う。

全てを受け入れてくれるような、謎めいた笑みに戸惑う。

「中学の時に峰岸杏奈という子がいまして」

いきなり何だ?

「みんなからギシアンと呼ばれてました」

「またその手のネタかよっ!」

クリちゃんだとか、ギシアンだとか、コイツの通ってた中学はネタの宝庫か。

「きっと今この瞬間にも、あそこではベッドがギシギシと音を立て、その上ではアンアンとあえぐ獣が」

「手を離すぞ」

「まあ、まるで手を離すことが脅迫として成り立つかのような物言い。孝介さんも偉くなったもので──あ、ウソですゴメンナサイ! 離しちゃヤだ!」

……なんだ?

「ど、どうかしましたか?」

今、不思議な、だが途轍とてつもなく可愛らしい生き物が現れた気がしたが。

もう一度、手を離そうと試みる。

「ヤだ、ごめんなさい! もうおかしなこと言わないから!」

……新種? 覚醒、は以前にもあったな。

これは……脱皮? 

「間抜け面しておかしな孝介さん」

狼狽うろたえた直後には、普段の憎まれ口を叩くのだが……。

まあ、今日は甘やかすのが目的でもあるから、これでいいか。


「どこか行きたいところはあるか?」

夕食まで、まだもう少し時間がある。

「公園で座りたいです」

随分と歩かせてしまっただろうか。

さっきとは違う、小さな公園に入る。

俺は缶コーヒーを買うが、タマは何もいらないと言う。

二人並んでベンチに座る。

手は繋いだままなので、少し缶が開けにくい。

「コーヒーが飲みたくなってきました」

「……ブラックだぞ?」

「いつまでも私を子供だと思わないことです」

タマが胸を張ったので、鈴がちりんと鳴る。

大人だと主張するヤツは、大体において子供だ。

「缶の味が──痛っ!」

舌を出して飲み口を舐めるので頭を叩く。

「て、照れないでください」

「お前だよ! つーか普通に飲め」

「……」

一口飲んで、ちょっと顔をしかめたかと思うと、あおるように一気飲みした。

「ふ」

ドヤ顔うざい。

「孝介さんの、清濁せいだくすべてをあわせ呑むことが出来ますからね」

そんなことは、コーヒーを飲んだところで何の証明にもならないのだが。

「清濁どころか白濁え──痛っ!」

何度でも頭を撫でてやりたいのに、コイツは叩く機会ばかり作りやがる。

「孝介さんが頭を叩いてばかりいるので、コブが出来てしまいました」

「こんなんでコブが出来るか!」

「ここにコブがあるような気がしないでもないのですが」

うつむいて俺に頭を向ける。

……もしかして、撫でてほしいと言ってるのか?

素直じゃないが、タマにしては素直というか、いじらしいではないか。

「この辺か?」

コブなど無いのは判っているが、頭を撫でる。

タマが目を細める。

ちりん。

猫みたいだ。

いや、幼くて甘えたがる子供みたいだ。

「タ~マ」

俺が呼ぶと、タマは目を閉じたまま、口許をほころばせた。

俺は、タマが満足するまで頭を撫で続けた。


「そろそろ帰りましょうか」

薄暗くなってきた頃、タマが立ち上がる。

「夕食は?」

「家で食べます」

「いや、でも」

「日曜は、家族が揃ってるはずなので」

何かを期待しているのだろうか?

例えば今日こそは、とか。

それとも、日曜は家族全員で食事をする、という形骸化けいがいかした決まりでもあるのだろうか。

「私の日、なんですよね?」

「ああ、そうだ」

「初めて、あの人達に感謝出来るような気がするんです」

「俺は、タマの両親に感謝しているよ」

でなきゃ、タマには出会えなかったのだから。

「今日は孝介さんの保護欲を満たしてあげることが出来て良かったです」

「おい、素直じゃなさすぎるだろ」

「素直になっていいんですか?」

「おう」

「では、この手を、私の家の前まで離さないでください」

え? 改札を通るときも? 電車の中でも?

「みゃーの日も、みゃーの我儘を聞いてあげてください」

「それはもちろん」

「孝介さんの日、私の日、みゃーの日。いつか、三人の日も作りましょう」

「ああ、そうだな」

「きっとそれは、三月になる気がします」

「どうして?」

初めてみゃーと話したのは六月のことだ。

少し遅れてタマにも会った。

三人で会ったのは、七月になってからのはず。

受験は二月? いや、三月だったっけ?

「そんな気がするだけです」

そう言って、タマは謎かけみたいに笑う。

子供とは違う、大人びた笑み。

タマの日に、子供みたいな姿を見せたタマは、少し大人になった。

確かに保護欲を満たされていた俺は、大人になっていくタマを喜ばしく思いつつ、ちょっぴり寂しくもあった。

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