第74話 タマの日 1

「みゃーは?」

トイレから帰ってきたタマちゃんが、心細げに訊ねてくる。

子供みたいに周りをキョロキョロ見て、鈴がちりんと鳴る。

あれ、そういや理由、何て言えばいいんだ?

中学時代の友達と偶然出会ったとか?

いや、それだとみゃーがそっちを優先したみたいだし、タマちゃん的には寂しいことかも知れない。

体調を崩した、というのは、タマちゃんが心配するだろうし……。

正直に本当のことを言った方がいいかも知れない。

「えっと、今日はタマの日だからって」

「私の……日?」

「そう。えっと、つまり、デートだ」

「……どうして私の日が、あなたとデートという不名誉なことになるので──いひゃいでふ」

憎まれ口を叩くものだから、ついほっぺを引っ張ってしまう。

「取り敢えず、何かメシでも食いに行こう」

「みゃーは?」

「いや、だから」

「私の日なら、みゃーがいなきゃ嫌です」

「タマ……」

まるで、寄る辺ない子供みたいだ。

最後に、って言われてたけど、俺はタマの頭に手を伸ばす。

「子供扱いしないでください」

俺の手を振り払って睨んでくる。

その姿は、やっぱり痩せ我慢をする子供みたいだ。

「俺が、みゃーの分もタマを可愛がるから」

「キモいです」

「じゃあ、みゃーを呼び戻そうか? タマだって、アイツの気持ち、判るだろ?」

「……」

「タマの日なんて、いくらでも作ればいいじゃないか。その時に、みゃーと三人で、あるいは二人で過ごせばいいだろ?」

「みゃーの日は?」

「みゃーの日も、ちゃんとあるよ」

「……いいの?」

子供が、許しを乞うみたいな上目遣い。

「いいよ。今日はタマの日だ」

「私の……日」

「そうだ。特別な日。まあ正確には明日だけど」

「明日……」

「ああ。みゃーにとっても、俺にとっても、とても大切な日だ」

「大切……?」

「そう、大切な──」

どこか焦がれるような瞳。

「大切なタマ、誕生日おめでとう」

タマは、何かをこらえるようにうつむいた。

もう俺の手を拒まなかった。

それを、タマはおとなしく受け入れた。

じっと、身じろぎもせず、噛み締めるみたいに頭を撫でられていた。

華奢な肩が震えて、鈴がちりんと鳴った。

──私は、ここにいます。


タマの普段の過激な発言は、タマの自己主張だ。


「私は、うどんか蕎麦そばなら、蕎麦派なのですが」

「ここはパスタ店だよ!」

昼食にパスタ専門店に入り、注文を終えてからそんなことを言う。

「パスタ店なんて有り勝ちで、特別感に乏しいですね」

「入る前に言ってくれ!」

「男性と入るのは初めてですから、まあ特別なんですが」

だいぶ平常運転に戻ったようだが、時おり素直にドキッとすることを言う。

きのこの和風パスタが届く。

本当はペペロンチーノが好きなのだが、これは一応デートなので、ガーリックは避けた方がいいかな、なんて考えてしまった。

タマの前にも同じものが置かれている。

「孝介さんのようです」

小さいきのこを俺のようだと言う。

「えい」

俺のようだと言ったものをフォークで刺す。

それを口に運ぶと、ニコッと笑う。

「美味いか?」

「私は蕎麦派なのですが」

「今度連れてってやるよ!」

またニコッと笑う。

その笑顔を見ていたら、何を食べても美味しくなる気がした。


ウインドウショッピングをする。

タマがじっと見入るものがあれば、その度に買ってやろうとしたのだが、タマはいつも柔らかい表情で首を振った。

その度に、鈴がちりんと鳴った。

俺はデートなんかしたことが無い。

どこに行って、何を話せばいいのかなんて決まりは無いのだろうし、ただ一緒にいて楽しければ、それでいいのだと思う。

本屋に立ち寄る。

成人誌コーナーで立ち止まるので引き摺って移動させる。

「予習を」

「あそこはお前の知的欲求を満たせるレベルに無い」

「さっきまで私が何かを見る度に買うかと聞いてきたのに、ひどいダブルスタンダードです」

手を繋いだ。

「なっ!?」

口達者なお子様を黙らせるには、こういった手段が効果的かと思ったのだが、覿面てきめんにおとなしくなった。

俺の左手とタマの右手。

意識すると、俺まで口数が少なくなってしまう。

何より、本を見るのに非常に不都合だ。

「本屋で手を繋ぐのは、バカップルの極みだと思いますが」

「そ、そうだな」

俺は手を離そうとする。

「?」

タマの指が絡む。

「ほ、本屋を、出ればいいのでは?」

「そ、そうだな」

手を繋いだまま本屋を出て、手を繋いだまま街を歩く。

心なしか鈴のが、軽やかになった気がした。

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