第64話 野菜

「あなたのタマが参りました」

金曜の夜、いつもより少し弾んだタマちゃんの声。

何かいいことでもあったかな?

ドアを開けると、最初っから柔らかな表情のタマちゃんが立っていた。

「お、大根葉だ」

タマちゃんが手に持っている、いつものスーパーとは違う袋。

そこからはみ出した、大根の葉っぱ。

タマちゃんは何か言いたげに口をモゴモゴさせたが、結局、何も言わずに笑顔を浮かべた。

「あの八百屋のおばちゃんに頼んだのか?」

「はい」

「そっか、偉いな」

ちょっと子供扱いした発言だったろうか?

でも、タマちゃんは褒められた子供みたいに、笑みを隠しきれずにいる。

「ごま油で、ちりめんじゃこと炒めるのが定番らしいのですが」

「あ、それ昔よく食べたよ。ご飯に凄く合うんだ」

「ではそれで」

タマちゃんはキッチンに立つ。

ごま油もちりめんじゃこも買ってきているようだ。

食材費はいつも渡しているが、一円単位でお釣りを返してくるのが、俺としては心苦しい。

タマちゃんの頑張りへの対価が支払えていない気分になる。

ただ、タマちゃんはキッチンで鼻歌を歌っている。

料理を作ることを楽しんでいるなら、お駄賃なんて考える必要は無いのかも知れない。

鼻歌の音程が、少しばかりズレているのはご愛敬だ。


今日の晩飯は野菜尽くし。

大根の煮物にホウレン草のおひたし、キュウリとワカメの酢の物と、ナスの油炒め、そして大根葉。

冷蔵庫に入らない分を使いきるしか無かったのだが、俺は野菜が好きなので問題無い。

子供の頃は田植えもしたし、野菜作りも手伝った。

豊かに実った野菜を見ただけで元気になるくらいだ。

「何も考えずに野菜を買ってしまいました。棒状のものが多いのは偶然です……」

いや、別に勘繰ってはいないが。

基本的に、タマちゃんはスマホでレシピを見ながら料理を作る。

でも、レシピ通りに作ったからといって、上手くいくとは限らないもので、素材の品質はその時々で変わるから、火を通す時間や味付けには微妙な加減が必要になる。

その辺のところは、やはりセンスが大事になってくるのだろうし、タマちゃんにはそのセンスがあると思う。

何より、白ご飯の上に大根葉を乗せて食べると、懐かしさが口の中いっぱいに広がった。

「い、いかがですか?」

「美味い」

俺は掻き込むようにご飯を食べる。

自然と顔がほころび、気持ちが豊かになる。

固唾かたずを呑むように俺の口許を注視していたタマちゃんは、幸せそうに目を細めてから、少しうつむいて笑った。

下ネタ全開少女が恥じらう。

「いい嫁さんになれるな」

「か、身体の相性が大事です。ナスビ以下の粗チンは願い下げです」

恥じらいを下ネタで誤魔化す稀有な女の子だ。

と言うか、ナスビ以上って、なかなかいないと思うぞ。

「そういやゴーヤも買っていたな」

さっき、タマちゃんが種を抜いて冷蔵庫に入れていた。

「孝介さんも、ゴーヤみたいになって出直してください」

アレみたいに!?

「あれはきっと凄いです」

いや、凄そうだけど、「俺に触れると怪我するぜ」って言いたくなるモノなんだが。

「まあ、タマも凄いんだろうなぁ」

「凄いです。バナナも切れます」

……もはや自分で何を言ってるのか判ってないんじゃないだろうか?

真っ赤になって俯いて、大根の煮物を箸で転がしていた。


食後はインスタントコーヒーを飲んでくつろぐ。

食器洗いはタマちゃんが帰った後で、俺がすることになっている。

そうでないと、九時に帰るタマちゃんの寛ぐ時間が無くなってしまうから、そこは強引に受け入れさせた。

タマちゃんの前にもコーヒーカップがある。

飲めるようになりたいらしいのだが、ほとんど減っていない。

タマちゃんは、鞄から取り出したプリントと何やら睨めっこしている。

進路調査票の文字が見えて、何故かドキリとする。

みゃーとタマちゃん、二人の進路、二人の将来……。

「なあタマ」

「ごめんなさい、今日は生理ですので」

「ちげーよ! 求めてねーよ!」

何故そこでねたように唇をすぼめるんだ。

「安全日と言えばいいんですか」

「だから求めてねーって!」

何故そこで口惜しそうに睨み付けるんだ……。

「ま、まさか危険日狙い──」

「そうじゃなくて、将来のことだ」

進路調査票を見て、懐かしいなんて思っていられず、保護者みたいな感覚になっていた。

「ああ、これのことですか」

タマちゃんがプリントに目を落とす。

「正妻って書こうかと──」

「やめろよ?」

「孝介さんは、将来どうするつもりですか?」

「え?」

まさか逆に将来のことを訊かれるとは思ってなかった。

「今の仕事を、ずっと続けるんですか?」

今の仕事をずっと……か。

正直、自分に合ってるとは思っていない。

生活のために働いているだけで、遣り甲斐とか楽しさなんて感じたことは無かった。

「みゃーと出会って、元気になりましたよね」

「あ、ああ」

「でも、いちばん活き活きとしてたのは……」

「何だ?」

「さあ?」

「何だよ!?」

「私達は、かせにはなりたくはないのですよ」

「……どういう意味だ?」

「負担にはなるかも知れませんが」

「いや、判るように言ってくれ」

「孝介さんが望むままに、でしょうか」

そう言ってタマちゃんは、まるで何もかも受け入れてしまいそうな笑顔で俺を見た。

何だかその笑顔に圧倒されてしまい、俺は何も言えなかった。








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