第55話 ─閑話─ 教室

こーすけ君と話した朝は、いっつも登校時間がギリギリになる。

急ぎ足で階段を上り教室に駆け込むと、既にクラスメートは揃っているみたいで、みんな夏休みの思い出話に花を咲かせていた。

「美矢、おはよう!」

「美矢ちゃん、夏休み、どうだった?」

日焼けした子、髪色を変えた子、少し垢抜けた子。

みんな夏休みに、色々あったのかなぁ。

窓際の一番前の席、窓の外を見ていたタマちゃんがこっちを見る。

いつものように手を振ると、タマちゃんもいつものように胸元で小さく手を広げる。

え?

ひらひら。

いつもとは少し違って、その可愛らしい手のひらを振った。

それどころか、いつもとは大きく違って、その硬い表情をほころばせ、柔らかく微笑んだ。

ありゃ、知らないよ、私。

男子達がどよめく。

ほらね。

それぞれが小さな声で、あ、とか、お、とか、え、とか言う。

て言うか、男子はあ行しか口に出来ないのかな。

学校では滅多に笑わないタマちゃん。

その笑顔を見た者は幸福になれる、なんて馬鹿なことが言われたりするけれど、ホント、タマちゃんのあんな笑顔、見ただけで幸せな気分になっちゃうよね。

こーすけ君、あなたのタマちゃんは、沢山の男子の憧れですよー。

ホント、判ってんのかな、あのニブチン。

タマちゃんはタマちゃんで、自分が男子の憧れだなんて気付いてないしさ。

ったくもう。

私としては、一緒に登校した時の状況を詳しく訊きたいところではありますが、今は勘弁してやる! という視線を投げ──

なに!? タマちゃんが睨み返しただと!?

あ、そか、正妻の座は私のものよ! ってことか。


思えば数日前──

待ち合わせ場所にタマちゃん行かせたけど、二人はちゃんと会って話し合ったかなぁ、なんて心配していた私のところに、突然やってきたタマちゃん。

外はもう暗くなっていて、息を切らせて最初に私に見せた笑顔は、とても力強さに満ちていた。

そっか、上手くいったんだ。

やったね、タマちゃ──

「聞いて、みゃー」

何か、決意のこもった視線と口調。

きっとタマちゃんは、とても大事なことを私に伝えようとしてるんだ。

「私が騎乗位で子種を注ぎ込まれている間、みゃーは顔面騎乗位で我慢して」

へ? がんめんきじょうい?

いきなり言われて、何のことか判らなかった。

いや、ゆっくり考えなおしても意味は判らなかったけど。

「もし孝介さんがバックが好きなら、みゃーは手マンになるけど」

てまん?

やっぱり判らない。

「えっと……私、妾や愛人じゃなくて、正妻になりたい……」

私が理解してないと悟ったのか、タマちゃんが恥ずかしそうにモジモジして言い直す。

よく判らないけど、恥ずかしがるところがズレていることだけは判る。

そして、これが正妻の座を賭けた、宣戦布告であるということも判った。

「さんぴーが理想って言ってくれて嬉しかった。私はみゃーが好き。だから、さんぴーの時もちゃんと、みゃーを隈なく愛するから」

よく判らないけど、気持ちは伝わってくる。

その気持ちに私も応えなきゃ。

そう思って、声に力を込めて言った。

「私も、負けないから!」


──タマちゃんは、直ぐに帰った。

タマちゃんの気持ちは嬉しかったけど、でも、あんな勢い込んだタマちゃんは初めて見た。

負けるかも……いや、勝ち負けなんかじゃ無いのかも知れない。

でも……。

その夜、私は喜びと不安がい交ぜになった思いを抱えて、眠りに就いたのだ。


──何事も無かったかのように、ほんの一瞬で視線の交錯は終わる。

こーすけ君は、私は今まで通りでいいって言ってくれた。

だったら、私は彼の望むままでいよう。

あ、そうだ、あと、さんぴーって具体的にどうするのか、タマちゃんに訊かなきゃ。


退屈な始業式を終えて教室に戻る。

バイトは夏休みで終わったし、後はもう家に帰るだけなんだけど、私の席の前に男子が立つ。

「た、滝原」

緊張、発汗、挙動不審。

理由は多分──

「あ、あの、多摩、多摩さんのことなんだけど!」

やっぱり。

「今日の多摩さん、ちょっと違うっていうか、今までより柔らかいっていうか、め、女神みたいなんだけど、も、もしかして」

こーすけ君はタマちゃんのこと、小悪魔だって言ってたことあるけど、女神かぁ。

「夏休みに、な、何かあった?」

言っていいのかな?

いいよね?

「タマちゃん、彼氏出来たから」

「!?」

ちょっと可哀想かな。

「か、彼氏ってどんな!?」

んー、タマちゃん曰く、三重苦を背負った男?

いやいや、本心は、緊張を解きほぐし、優しく包み込んでくれるような王子様、なんて思ってるはず。

まあ王子様は言い過ぎとしても、安心して甘えられる人かな。

私もそうだし。

ちょっと頼りないとこあるけどね。

「た、滝原?」

おっとごめん、忘れてた。

「えっと、誘惑したくなるような人?」

なんだそりゃ。

自分で言ってて意味不明だけど、間違ってはないような。

項垂うなだれて立ち去る男子。

「あの多摩が誘惑したくなるって……」

まあそう思うよね。

普段、媚びた態度も見せないし、甘えるような声も出さないし。

その男子を、不安げな顔で迎える男子が三人。

「どうだった?」

「おい、泣くなよ!」

……そっか、彼が代表で訊きに来たんだ。

これで少なくとも四人のタマちゃんファンが撃沈したことになる。


「美矢ー、カラオケ寄っていかね?」

「あ、うん」

タマちゃんとは帰る方向が逆だし、一緒に帰ることは少ない。

私はタマちゃんの方を見て、小さく手を振る。

タマちゃんがそれに応える。

あ、また女神が降臨した。

「うおっ!」

「うっ!」

「ああ!」

「くそ!」

知ってる人と知らない人。

悲喜こもごもな反応が、教室のあちこちから漏れる。

こーすけ君、キミは刺されないように気を付けたまえ。

でも、ホントに心配だから、一緒に登校するのは禁止、って忠告しようかなぁ。

でもなー、嫉妬してるみたいだしなー。

「美矢、恋する乙女の顔してるよ?」

そうなのです。

私は恋する乙女なのだ。

「にへへー」

ではでは、いざという時、綺麗な喘ぎ声が出せるように、熱唱しに行きますか!

恋する乙女は、どんな行動も愛する人のためにあるのだー!





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る