第51話 最初

「え? 今年の春休みでしょ」

「春休みぃ!?」

思っていたよりも最近のことで驚く。

「あれ? こーすけ君、判ってなかったの!?」

「春休み、どこで?」

「だから通勤電車の中だって。痴漢さんから助けてくれたじゃない。あーもう、最初はともかく、とっくに思い出してくれてると思ってたのに!」

普段、怒らないみゃーが怒ると、つくづく自分が悪いのだと思わされる。

「夏休みに入って最初の頃に、私、友達のところに遊びに行くって同じ電車に乗ったよね?」

「あ、ああ」

「その時、こーすけ君はいつも痴漢さんから女子を守ってるの、って私は言ったでしょ?」

「確かに、言ってた」

「何でこんな時間にってこーすけ君が言って、私は前にも満員電車に乗ってその子のところに遊びに行ったけど、こーすけ君いたし、って言ったと思うけど」

「こーすけ君いたし、っていうのは以前のことじゃなくて、あの時だけを指しているのかと」

「そういうことか。私はてっきり思い出してくれてるものだと思ってたから……でも、過去形で言ってるのにもう」

不満げに、ちょっと口を尖らせる。


「春休み、あの時間の電車に乗って、つまりこーすけ君が乗る駅で急行に乗り換えて、それから直ぐに、私のお尻を触ってくる人がいて、私、頭がパニックになっちゃったの」

みゃーはどちらかと言えば活発な方だし、痴漢なんかも撃退しそうなイメージがあるが、やっぱり実際に被害に遭えば、そんな簡単なことでは無いのだろう。

「撫で回すような手が、だんだんまさぐるような動きになってきて、怖くて固まってたら、突然、ふっと背後に隙間が出来て」

春休みの頃なら、何となく覚えがある。

ただ、妙な動きをしているオッサン、随分と若い子、くらいの記憶しか無いが。

「振り返ったら、こーすけ君が私の後ろで踏ん張ってた」

たぶん、この間と同じように、扉に手をついて可能な限りスペースを確保していたはずだ。

「私の降りる駅が先で、私、降りるとき頭を下げてお礼を言ったら、こーすけ君がニコって笑ってくれて」

そういった出来事があったのは憶えているけど、照れ臭くて顔は見てないなんだよなぁ。

「その笑顔が優しくてさ、心の中で、君みたいな天使には誰にも触れさせないよ、って言ってるのが聞こえたの」

「言ってねーよ!」

俺の心の中を捏造するな!

「とにかく! 憶えて無かったのは減点するから!」

「すまん」

「だいたい、旅行に行く時も、痴漢さんから守ってくれた人だからお母さんも信用してくれた、って言ったのに」

「いや、あれもこの間のことだとばかり」

「この間は痴漢さんに遭ってないじゃん、もう!」

「ごもっとも」

怒っても、プンプンといった感じで寧ろ可愛い。

「でも、憶えてないってことは、あの出来事が特別じゃないってことだよね」

「特別じゃない?」

「人生に一度きりのことだったら、もっとハッキリ憶えてるでしょ? だから、こーすけ君にとって特別じゃないってことは、こーすけ君の優しさを表しているのです」

ニマニマしてる。

「いや、そんな立派なことじゃ」

みゃーの怒りは、もう消えていた。


「で、いきなりそんなこと聞いてどうしたの?」

「いや、お前とのこともそうだけど、タマちゃんと俺、最初に出会ったのっていつだろうって」

そもそも、この二人はどこまで情報を共有してるのだろうか。

みゃーはともかくタマちゃんは、何かと隠し事が多いような気もする。

「受験の時じゃないの?」

「知ってるのか!?」

「私がこーすけ君と通学路で擦れ違ってることに気付いてから直ぐに、タマちゃんと二人でこーすけ君を見に行って、その時に聞いたよ。凄い偶然だねーって」

最初の出会いをみゃーは知ってた。

でも、タマちゃんが俺に嘘を言ったことまでは知らないようだ。

「じゃあ、お前が財布の話をしたことあったけど、あれは?」

「あれって連絡先の交換した時だったっけ?」

「たぶん」

「確かこーすけ君が、あんまり自分のことを信用するなみたいなことを言ったから、私としては財布のことも知ってるし信用出来ますぅー、ってことだったかな」

恐らく、みゃーは俺とのことを、逐一タマちゃんに話していたのだろう。

みゃーと俺がどんな会話をしたか、判った上でないと嘘は吐けない。

「て言うか、やっぱりタマちゃんとのことも憶えて無かったんだ」

「面目無い」

「気付いてないっぽいから、言おうと思ったんだけど、タマちゃんが黙っててって言うから」

「どうして?」

嘘がバレないように、だろうか。

それにしては穴だらけというか、みゃーとの出会いも口止めしなきゃ意味が無い。

「弱味を握られたくない、なんて言ってたけど、嘘だと思う。それはこーすけ君が、タマちゃんから直接聞いた方がいいと思う」

「それもそうか。でもお前、黙っててって言われたこと、いま全部話したよな」

「……え?」

きょとんとしてから、ハッとして、考え込むような顔になったかと思ったら、次には目を見開いた。

「あああああ!!! ヒドイ! 巧妙な誘導尋問だ!」

ただ普通に訊ねただけだ。

しばらく頭を抱え込んで、どうしよう、なんてぶつぶつ言ってる。

「あっ!?」

今度は何だ?

「こーすけ君、もうそろそろ行かなきゃだよ!」

「あ、そうだな」

もうギリギリの時間だ。

本当は、今すぐにでもタマちゃんと話したいくらいだが……。

「今日、夕方六時半、駅前で会お。ちゃんと話をしなきゃだから」

「あ、ああ」

「じゃ、行ってらっしゃい」

いつもと変わらない笑顔で、みゃーは俺を送り出してくれた。

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