第50話 理想
「最近、タマちゃんの顔見た?」
夏休みも、もう一週間も残っていない朝の秘密基地で、みゃーがそんなことを言い出す。
傍らには缶コーヒー、みゃーの足元にはサバっち。
「俺の家に泊まった日から見てないな」
あれから十日近く経っている。
何となく俺も、避けられているのでは、なんて考えていたところだった。
「どうしたのかなぁ」
「お前も会ってないのか?」
みゃーも会っていないなら、何か他に理由がありそうだが。
「私は会ってるけど、秘密基地に誘っても来ないし」
やっぱ俺が原因なのか?
心当たりがあるとすれば、あの朝のやり取りしかない。
俺が優柔不断で不甲斐ないから、だよな。
正妻がみゃーで、タマちゃんはその横でからかいながら、妾だとか愛人だとか言って笑っていられる関係。
それがずっと続くなら、それで良かったんだ。
でも、そんな関係は長くは続かない。
いつか破綻するって、そうタマちゃんは思ったんだろう。
いや、もしかしたらタマちゃんは、ずっと立ち位置に迷っていたのかも知れない。
近付きたいと思ったり、離れなきゃと思ったり。
「こーすけ君」
「ん?」
「私、思ったんだけどね」
サバっちを撫でるみゃーの笑顔は、やっぱり慈愛に満ちている。
「タマちゃんは、こーすけ君に、タマって呼ばれたいんじゃないかな?」
「なーんだそりゃ」
もっと重要なことを言うのかと思いきや、あまりに軽いことで拍子抜けする。
「タマちゃん、学校じゃ多摩さんで、男子は多摩って呼び捨てにする人もいるけど、こーすけ君が呼ぶタマは、きっと特別なんだよ」
「特別?」
「なーんかね、タマっていう一言に、コイツはもう仕方ねーなー、可愛いヤツだなぁ、おーよしよし的な要素が詰まってるように感じそう」
タマちゃんに対してそういう感情というか、感覚みたいなものは持ち合わせているが、タマと呼ぶことで、それが伝わる?
「この前こーすけ君の部屋に泊まったとき、一度だけタマって呼んだよね?」
「呼んだ……気がする」
「タマちゃん、タマって言いましたねって、二回も言ってた」
「確かに言ってたな」
「あの時、喜びが隠しきれてなかったよね」
そうだっただろうか?
以前、ここでタ~マって呼んだ時も、膝まで垂れてきましたとか冗談を言っていたけれど……。
「私、おかしいのかな?」
「何が?」
「最初の頃、タマちゃんのこと、好きになっちゃ駄目って言ったことあったよね」
「あったな」
「今はそんなこと思ってなくて、自分の好きな人が自分の好きな友達を好きになってくれて、自分の好きな友達が自分の好きな人を好きになってくれたら、凄く素敵なことだなって思う」
コイツは……どうしたらそんな博愛的な考えになれるのだろう。
いや、俺も少し、感化されてる部分はあるか。
でも……。
「俺が、お前よりタマちゃんを好きになったら、とか考えないのか?」
みゃーが自嘲的な笑みを浮かべる。
こんな顔は初めて見るような気がする。
「考えるよ。ううん、ずっと考えてた」
「だったらどうして」
「タマちゃんのこと、大好きだもん」
それだけで、全ての説明がつくとコイツは思ってるんだ。
そしてそれだけで、理由の全てだと言い切れるんだ。
それは、どれほど素敵なことだろう。
「でもね、タマちゃんもきっと私のことが好き」
「ああ、間違い無いよ」
「だからタマちゃん、こーすけ君から距離を置こうとしてるんだよね?」
「それは、まだ判らないけど……」
「私、そんなの嫌だから」
どちらかが遠慮したり、黙って何かを我慢することは、みゃーにとって看過できないことなのだろう。
「理想は……さんぴー?」
「ぶっ!」
飲んでいたコーヒーを噴き出す。
あ、ごめん、サバっち。
「でも、タマちゃん素直じゃないから」
素直かどうかより、まずは常識の壁を崩さなきゃならんのでは。
あれ? でもタマちゃんって、常識的だったっけ?
「あと猫みたいだし」
「お前は犬みたいだけどな」
「私は主人に忠実な犬だね。メス犬とお呼びくださいご主人様」
「黙れメス豚、ブヒィって鳴いてみろ」
「そうそう、そう言うの、タマちゃん好きだよね」
……冷静に考えて、アイツは変態?
「そんな、今の三人の関係が、凄く好き」
「……」
「こーすけ君は、気まぐれな猫が帰ってきたくなる場所なんだよ」
「いや、今、離れてる最中なんだが」
「こんな短い期間、離れてるうちに入らないよ。何てったってこーすけ君は、あがり症のタマちゃんを救ったんだから」
救ったって大袈裟な。
コンビニバイトの最初の客になっただけのことだ。
「そういやお前も初バイトだったのに、意外と余裕っぽかったな」
「私は緊張なんてあまりしない方だし。もう勢いで行っちゃうタイプ?」
「え?」
「こーすけ君に話し掛けた時もそうだったでしょ?」
確かに……でも、それだと……あれ?
また違和感? いや、もっと明確になりつつある。
何かが、浮かび上がってきそうな。
「みゃー、お前、受験の時──!!」
「どうしたの?」
……目がいい?
俺の部屋で、星を見て、みゃーは確かにそう言った。
じゃあ、受験の時、地味で眼鏡を掛けてガチガチに緊張していたのは、誰だ!?
「みゃー!」
「な、何?」
俺は鼓動が早くなった。
「お前が、最初に俺を知ったのは……いつのことだ?」
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