第45話 みゃー

最近、滝原は夕方のシフトによく入っているようだ。

六時上がりのことが多いらしく、だいたい六時半くらいに帰ってくる俺と会うのに都合がいいからだとか。

まあ朝より長く話せる訳で、今日も秘密基地で猫の相手をしながら俺を待っていた。

「お帰りー」

「ただいまー」

新婚夫婦かよ、なんて思いながら頬が緩む。

滝原の傍らにはトマトジュースがあり、その横に置かれたスマホの待ち受け画面には、田舎で三人で撮った画像が表示されている。

浴衣姿のときのもので、俺さえ写っていなければ、なかなかいい写真なのだが。


「そう言えば、あれからタマちゃんどうだった?」

タマちゃんに絡んでいたあの客に殴られた後、俺は、『話し合いで解決したから心配するな』というメッセージを滝原に送った。

顔を見せないと心配するかとも考えたが、少しばかり殴られた頬が腫れているように思えたので、コンビニに戻らずそのまま帰ったのだ。

「メッセージでも言ったけど、ああいうお客さんが店員に手を出すことなんてまず無いんだし、場合によっては警察呼ぶから、部外者は間に入ってこないこと!」

そうは言われてもなぁ……。

まあ実際、関係無い俺が口出しして殴られた訳で、反論は出来ないけど。

「あの後、溜まっていたお客さんをさばきながら、もう気が気じゃ無かったんだからね!」

珍しく滝原はご立腹だ。

「これは内緒だけど、タマちゃんレジをしながら泣いちゃうし」

「ええっ!?」

「驚くところじゃ無い! 自分のせいでこーすけ君に何かあったらって考えたら、怖くて不安で泣いちゃうよ!」

「……すまん」

「まあすぐにメッセージが来たから、それで少し安心出来たけど、それだってどこまで本当か判らないし」

ジト目で俺を見る。

サバっちもジト目で俺を見る。

「実際、嘘吐いてたみたいだし!」

もう頬は腫れていないと思ったんだが、バレてしまったようだ。

「タマちゃんと決めたんだけど」

「はい」

「今後こんなことがあったら、二人でこーすけ君を児ポ法違反におとしいれることにしたから」

何それ? ある意味ご褒美?

いや、社会的生命は絶たれるけど、人によっちゃ、社会的自殺を選択するほどの価値があるんじゃないか?

「というわけで、私史上最大のお怒りモードは終わるけど、もう怒られるのが嫌なら肝に命じてね」

え? どうしよう? 別に嫌じゃないんだけど?

て言うか、これが最大の怒りモードって、お前は弥勒菩薩みろくぼさつか何かなのか?

「こーすけ君?」

「え? あ、何だ?」

「もしかして、怒った?」

お前の怒りは優しさに満ちているのに、俺の沸点どんだけ低いんだよ。

「いや、もう心配かけないように気を付けるよ」

「うん、お願いね」

……こんな顔を何て言うか知ってる。

慈愛だ。

家族のいない俺が、普段向けられることの無いものだ。

自分が、自分だけのものでは無いと教えてくれるものだ。

それを知ってしまったら、無鉄砲とか、自暴自棄とか、そういったものにはもう近寄れない。

「まだ痛い?」

か細い指が、優しく頬をなぞる。

「いや、大丈夫だ」

て言うか近い。

甘やかな匂いと、耳をくすぐる息遣い。

サバっちが、何故か目を逸らした。

その瞬間、柔らかな唇が俺の頬に触れた。

え?

「……えっと、児ポ法違反じゃないよね?」

「た、たぶん」

えへへ、といつものように笑ってから、いつもとは違って顔を真っ赤にした。

「こ、こーすけ君、ちょっとタンマね!」

あたふたとしてから、滝原はサバっちを持ち上げて顔を隠す。

「みゃー」

サバっちは迷惑そうに鳴いて、やれやれと言いたげに俺を見る。

思考停止に陥っていた俺は、そこでやっと我に返った。

お前はいつも、俺達二人の間で何を考えているんだろう?

俺も滝原とはまともに目を合わせられそうに無いから、間にいるサバっちに助けられている。

お前は、はた迷惑かな?

そう思って、サバっちに向かって「みゃー」と鳴き返す。

「え?」

サバっちの陰から、そっと顔を覗かせる滝原。

真っ赤な顔に、目が潤んでいた。

「やっと、みゃーって呼んでくれた」

え? いや、そうじゃなくて──

滝原が、いや、みゃーが顔をくしゃくしゃにして笑った。

まるで、幸せをいっぱい搔き集めたみたいな笑顔に、俺は息を呑む。

ああ、こんな笑顔を向けてくれるなら──

だから俺は、今度は鳴き真似ではなく、初めてお前をそう呼んだんだ。

「みゃー」







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