第37話 感謝

滝の音が響き、霧状になった水飛沫が陽射しを受けてキラキラと輝く。

セミの声に混じって、二人の女の子の歓声が谷間にこだました。

意外なことに、タマちゃんは泳ぎが苦手で、深いところには近寄らず、浅瀬でチマチマやっている。

滝原は、滝壺に潜ったり滝に打たれたりと、縦横無尽に遊び回っていて、そんなところまで二人は対照的だ。

俺は岩の上に寝転がって、二人の安全に注意を払いながら、のんびり太陽の光を浴びる。

眠ってしまいそうなほど気持ちがいい。


「こーすけ君」

遊び疲れたのか、滝原が俺の隣に座った。

「どうした」

いつものニッコニコではなく、小さな花みたいな笑顔が返ってくる。

「ありがと」

たぶん、旅行に連れてきたことを言っているのだろう。

「ビキニの方が良かった?」

「谷間も無いくせに無理すんな」

「もう」

鼻をままれる。

「ホントはね、タマちゃんはビキニ持ってるんだけど、私に合わせてくれてるの」

たぶん、水着も安くは無いんだろう。

男同士だと、気を遣っているうちは親友じゃないみたいな感覚があるが、コイツらは、お互いに気遣いながらも、とても強い結び付きがあるように見える。

「旅費だけは確保しなきゃって思ってたから。でも、こーすけ君が切符も全部、事前に用意してくれてて、だったら、こーすけ君の喜ぶカッコがしたかったなって」

「旅費を持つことなんて大人の役割だし、お前は当然の権利だと思って楽しめばいいんだよ」

「こーすけ君」

「なんだ」

「裸で泳いでもいいよ」

一瞬だけ、想像してしまう。

水と緑と陽射しの中で、それはとても綺麗なんだろうなと思った。

「見たい?」

滝原は立ち上がる。

寝そべっている俺からは、したたり落ちる水滴がキラキラと眩しくて、何だか尊く見えた。

でも、そんな尊さよりも、渇望するかのような衝動が勝ってしまいそうになる。

俺は──

「見てください! サワガニを捕まえてしまいました!」

意外と子供っぽく、意外と空気を読まずにタマちゃんが駆けてきた。

珍しく素敵な笑顔をこぼしているが、妙な雰囲気に気付き、すぐに真面目な顔になる。

「えっと……交尾前ですか?」

「んなワケあるかっ!」

でも、正直なところ、タマちゃんに助けられたと言っていい。

あのままだったら、俺は理性が保てなかったのではないかと少し怖くなった。


「先程は失礼しました」

タマちゃんが殊勝な態度で謝る。

滝原は川に潜って、手掴みで魚を捕っていた。

なかなかの野性児っぷりだ。

「いや、寧ろ助かったよ」

「まあ、こういう環境、しかも水着の女性とくれば、間違いを犯す可能性は必然的に高くなりますからね」

タマちゃんは微笑みながら滝原を眺めている。

「んー、信用されなきゃならんのに、返す言葉も無い……」

「いえ、何も男性側ばかりの問題ではなくてですね、女性としても、濡れた水着に少々粘液が混じったところでバレないものですから、ついつい大胆に──痛っ!」

コイツの頭を叩くのは何度めだろうか。

「私の頭を軽々しく叩く人は、あなたくらいなものです」

「俺もお前ら二人以外、叩ける頭は無いな」

「……ありがとうございます」

「え? お前、まさか──」

「ち、違います! 叩かれて喜ぶ変態さんではありま……違わないかも……」

おいおい。

毒舌下ネタ少女は、叩かれて喜ぶ変態少女の称号まで手に入れるのか!?

「私の親は放任主義なので、叩かれたことがありません」

何となく、判るような気はする。

「同級生とも距離を感じるし、みゃー以外に気安く触れてくる子はいません」

それも、何となく判る気がする。

「だから、触れられるのは嬉しいのかも知れません」

それは誰だってそうだろう。

心許せる距離感というものは、なかなか得難いものだ。

でも、それが俺じゃなきゃ駄目ってことでは無いだろう。

そういった存在が、タマちゃんの傍に偶然いなかった、というだけのことだ。

「もしかしたら、性器を触れられるのは、もっと嬉し──痛っ!」

「だからどうしてお前は真面目な話に下ネタぶっこんでくるんだ」

「……叩かれたいから、ですかね?」

ドキッとする。

答を求めるように、俺の目を覗き込んでくる。

「これでも、みゃーに出会えたこと、この旅行のことも、孝介さんには感謝しています」

「いや、滝原にも言ったけど、感謝なんかいいから、気遣いなしに受け入れて楽しめばいいんだよ」

「ゴム無しに受け入れて感じればいいので──痛っ、イタタタ、痛いです孝介さん!」

今回に限っては、頭を叩かず腕をつねってやる。

「これが、破瓜はかの痛み……」

「ちゃうわ!」

コイツは最後まで自分を貫きやがる。

「破瓜って、十六歳の女の子の意味もあるんですよ」

悪戯っぽい笑み。

それどころか、悪戯を待ちわびるような気持ちにさせる笑み。

「孝介さん」

「何だ」

「親に嘘吐いて旅行に来て良かったです」

「え!?」

ちょっと待て。

滝原から聞いてた話と違うぞ!

というか、そんな悪戯は待ってない!

「そもそも私、嘘吐きなんです」

「いや、でも──」

「誰にも言うことはありませんから、ご安心を」

驚く俺を楽しげに見ながらそう言って、滝原のところへ駆けていく。

「みゃー、私も魚捕まえるー!」

あのヤロー。

しかし……親の同意無しに未成年者を泊めたら、何か犯罪に問われるんだったっけ?

色々と良くないことが頭に浮かんでくるが、結局、出てきた答は……まあいいか、だった。

二人は楽しそうだし、何か問題があるなら、大人として俺が責任を取ろう。

こんな風に、誰かと繋がれることの方が、よっぽど大切なことなんだから。

ただ、タマちゃんの言葉に、何か少し引っ掛かる部分があったような……。


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