第33話 帰郷 1

エンジンが大きな音を立てて唸る。

排気ガスの匂いがホームに漂い、タマちゃんが顔をしかめた。

ホームに停車しているのは、電車ではなくディーゼルカーだ。

お盆に入る前の週、俺は金曜日に有給を取り、滝原とタマちゃんを連れて、生まれ故郷に向かっている。


いかにもローカル線といった感じの二両編成の列車を、滝原は目をキラキラさせて見ている。

騒音と匂いから顔を背けるタマちゃんとは対照的だ。

辺りの風景は、既に山と田圃と民家のみ。

ビルや大型商業施設なんてどこにも無い。

ここまでは電車だったが、俺の実家は、ここから更にディーゼルカーに乗って一時間近くかかる。

「こーすけ君、あれ何ー?」

「はいはい、もうすぐ発車するから遠くへ行くなよ」

滝原はホームを動き回る。

「孝介さん、こんなところに」

タマちゃんは駅の柱にセミの脱け殻を見つける。

「もののあはれを感じます。この子は孝介と命名しましょう」

いや、やめて?

風が吹いて、脱け殻はポトリと落ち、ホームを転がった。

「ああ、孝介」

「……」

その哀れむような目をやめろ。

グシャ。

ホームを歩いていた客が、セミの抜け殻を踏んだ。

「げ、キモ」

靴底を覗き込んだ客は、無情に呟く。

もののあはれだ。

「孝介さん、今、あやつめが孝介さんをキモいと」

「俺じゃねーよ!」

何だか、遠足の引率をしている気分で疲れる。


四人掛けのボックスシートに座り、ローカル線をのんびり走る。

「それはそうと孝介さん」

滝原は流れる景色に夢中だが、タマちゃんはこんな時でも姿勢よく腰掛け、気持ち程度に窓の外や車内に目を向けるだけ。

夏休みとはいえ、まだお盆前だし、旅行客の姿も見当たらず車内は空いている。

「朝は抜いてきましたか?」

出発は朝早くだったし、もうすぐ昼になろうという時間だ。

途中の駅で駅弁は買ってあるから、そろそろ食べようという提案だろう。

「いや、食べてきたけど?」

「食べた? 朝から食べてきたのですか!?」

何を驚いているんだ、このお嬢様は。

「それなら安心ですね。これから二泊、溜め込んだ野獣と一つ屋根の下で過ごすのは、少々不安でしたので」

何を言ってるんだ、このお嬢様は。

……ん?

「朝は抜いたかって、朝から抜いたかってことか!?」

「言い方を変えたところで、言ってることは同じですよ? おかしな孝介さん。ふふふ」

口許に手を当て、わざとらしいお嬢様笑いをする。

「抜いてねー!」

「あら面妖な」

何で? 俺が朝から抜いてないと面妖なの?

「ねータマちゃん」

「なぁに、みゃー」

くそ、コイツ、俺の時と話し方が全然違うじゃねーか。

「面妖って何?」

「不思議で奇妙なことよ」

「そうなんだぁ」

滝原が、どういう納得の仕方をしたのか気になるが、これ以上、俺の個人的な性事情に話が進んでも困るので、黙って窓の外を見ることにする。

先日の傘の件については、二人が話し合ったかどうかは知らない。

滝原の様子からも、特にわだかまりがあるようにも見えない。

今も二人で、俺を抜きにして盛り上がっている。

いつの間にか窓の外は見覚えある風景に変わっていて、俺はしばし、二人のことを忘れて外に目を凝らした。

実家まではまだ距離があるが、幼い頃から何度も乗った路線だ。

四年、いや、五年ぶりか。

懐かしさに目尻が下がる。


駅弁を食べ、眠くなる頃に目的地に着く。

無人駅だ。

「無人駅だ!」

滝原がはしゃぐ。

「孝介さん」

「ん?」

「外ですることを青姦と言ったりしますが、駅舎でするのは何と言えばいいのでしょう?」

「知らん」

「駅姦……駅弁スタイル、いえ、これだとただの体位に……」

頭のおかしな美少女は放っておいて、駅前に出る。

「よう、孝ちゃん!」

「おっちゃん!」

実家の隣に住む、ずっと世話になってきたおじさんだ。

来る前に電話を入れておいたので、車で迎えに来てくれたようだ。

「ご無沙汰してすみません」

「いや、立派になって」

俺が実家を出るときは、まだ四十代だったはずだが、随分と小皺も増えた。

あれから十年、前回、訪れてからは五年。

畑仕事で日焼けした顔を、しわくちゃにして迎えてくれるのを見れば、もう少しマメに帰ってこなければと思う。

「ところで孝ちゃん」

おっちゃんが、滝原達の方を見ながら声をひそめる。

「電話で聞いてたけどさぁ、まさか、おかしな関係じゃねーよな?」

まあ気持ちは判る。

友達には見えないしだろうし、恋人とするには幼すぎる。

何より二人もいるから、俺も電話では上手く説明出来なかった。

俺は二人を手招きした。

まずは自己紹介させなきゃな。

「隣の家のおじさんで、誠一さんだ。今日から三日間お世話になるから、ちゃんと挨拶しろ」

二人は姿勢を正し、おっちゃんの前に立つ。

若くて可愛い女の子が二人も目の前に立てば、訝しんでいたおっちゃんも、にこやかにならざるを得ない。

「正妻のみゃーです!」

「妾のタマです」

ええっ!?

おっちゃんが、顔を引きらせながら俺を見る。

もしかして、前途多難? 波瀾万丈な旅行になるのだろうか。

俺は誤魔化すように笑いながら、痛くなってきた頭を抱えるのだった。











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