第28話 ラーメン屋

休日、駅前へ買い物に出たついでに秘密基地に立ち寄る。

毎朝、見ている場所だが、昼間に来るのは初めてだ。

換気扇からラーメン屋の匂いが吐き出され、むっとした熱気が立ち込めている。

ゴミバケツの上にはサバっちがいて、こんな時間に何の用だ、という目をした。

「みゃーの残り香でも味わいに来ましたか?」

背後からの声に驚く。

振り返ると、タマちゃんが俺の後に続くように路地に入ってくるところだった。

俺は女性のファッションには詳しくないが、タマちゃんの私服姿は上品でお嬢様っぽい。

こんな路地裏にいると、掃き溜めに鶴という言葉を思い出す。

「よくお似合いですね」

俺は自分の服装を見る。

何の個性も無いジーンズにシャツだ。

「ごみ溜めに孝介、という言葉を思い出しました」

ここで、「ねーよ!」とでも言えば、タマちゃんの思惑通りになってしまう。

「ちょうど俺も、掃き溜めに鶴だな、と思ってタマちゃんを見てたんだ」

「なっ!?」

頬が染まる。

ふっ、チョロい。

所詮は十六歳のガキなのだ。

「言いますよ」

「何を」

「俺も受験のとき財布を落とし──」

「わあぁ、ヤメテ! ごめん、すみませんでした!」

ふっ。

鼻で笑われた。

「くそっ、人の黒歴史を」

「黒歴史ってことは無いと思いますけどね」

「え?」

「一人の女の子を救ったのは事実ですし、無理矢理空間をねじ曲げる勢いで武勇伝にしてもいいのでは?」

その武勇伝、もはやSFでは?

「それはそうと、どうしてこんなところに?」

「たまたま街を歩いていたら、世を忍び闇に紛れて路地裏に生きる下僕の姿が見えましたので」

「俺は妖怪人間か何かなのか?」

「いえ、そんなにいいものでは……」

言い難そうに言葉を濁し、すっと目を逸らす演技は女優のようだ。

……演技だよな?

「それはともかく、みゃーとは真正面から向き合うことになさったのですか?」

タマちゃんと会うのは三人で揉めた日以来で、タマちゃんも気にしてくれていたのだろう。

「真正面から向き合うと言っても、正常位のことではありま──痛っ!」

頭を叩く。

「お前は下ネタを絡めないと喋れないのか」

「いたいけな少女に手を上げるなんて度し難い鬼畜ですね。子供っぽい同級生の男子ですらそんなことはしませんよ」

「そりゃあ同級生にしたら、お前を異性として強烈に意識してるだろうが、俺からしたらガキだガキ。お子様に気を使ってられるか」

「言いましたね」

「言ったが何だ」

「みゃーの教育係が誰であるのか、思い知らせてあげます」

「はあ? お上品なお前に出来るのか?」

「孝介さん、ブラのホックが外れてしまいました。留めてくださいま──痛っ!」

「つまらん、そそられん」

嘘である。

乗ってしまったら負けであるから、乗る前に折る。

タマちゃんが口惜しそうに睨んでくるのには、少し申し訳ない気もしたが。

「今のはテストです」

「はあ?」

「あなたが、みゃー以外の女性にたぶらかされるか試してみたのですよ。まあ合格でいいでしょう」

負けん気の強いヤツだな。

「はいはい、タマちゃんの誘惑に負けなかった俺は、他のどんな女性にもなびきませんよ」

「ほ、他のどんな!? い、いえ、判ればよろしい」

まあ実際、タマちゃんは充分に魅力的であるわけで、大人ぶるのも楽では──

ラーメン屋の勝手口が開いた。

初めてのことでドキッとする。

出てきたのは割と年配の、店主らしき男性だ。

こんなところにいるのを快く思わない可能性もあるので、少し警戒する。

「あれ、兄ちゃん、こんな時間に珍しいね」

え? 俺、ラーメン屋に入ったことも無いし、当然、こんなおじさんは知らない。

頑固で気難しそうな顔をしているが、話し掛けてくる時には柔らかい笑顔を浮かべた。

「えっと?」

「ああ、すまんすまん。いや、俺んちここの二階だからさ、朝に兄ちゃんと女の子が話してるのを何度か窓から見たもんで」

「あ、ご迷惑だったんじゃ」

「いやいや、微笑ましいなって見てたんだよ」

恥ずかしい……。

「それに、あのお嬢ちゃんの方、あの子は一年くらい前から猫の相手をしてたからねぇ」

好意的に見てくれてるのは、滝原のお蔭なのかも知れない。

「それはそうと、今日はいつもと違うお嬢ちゃんだね?」

「三十分千円で承りました」

「うぉい!」

コイツ、今なんの溜めも無かったぞ。

俺を貶めることに一切の躊躇いも無いのか!?

「はっはっはっ、面白い娘さんだ」

「信じないんですか?」

「いやまぁ、お嬢ちゃんのことはよく知らないけど、いつもの子は心から楽しそうな顔してるからねぇ。あの子のお友達なんだろ?」

「ええ、まあ」

即座に見破られたことに、多少、不満げなタマちゃん。

俺としては冗談の判る人で良かった。

「それに、あんたも随分、その兄ちゃんに気を許してるようだし」

「な、そんな訳ありません!」

「いやだって、俺が出てきた時、兄ちゃんは警戒してあんたの手前に立ったし、あんたも無意識に腕を掴んでるじゃないか。今も」

え?

「え? あ、いやこれは違います!」

俺も気付いていなかったが、タマちゃんもそうだったらしく、慌てて手を離す。

「兄ちゃん、女の子泣かしちゃダメだよ。ま、一度店にも食べに来てくれや。サービスすっから。んじゃな」

……。

豪快で声の大きい人だったせいか、立ち去った後の静寂が気まずい。

タマちゃんも視線を泳がせている。

「えっと、あの、私そろそろ」

「あ、ああ」

掃き溜めに舞い降りた鶴は飛び去って、秘密基地はいつものくすんだ色に戻る。

「みゃー」

サバっちが鳴いたので、俺は視線を足下に落とし、何故だか苦笑する。

掴まれていた腕が、少し熱かった。






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