第21話 下僕

「さて、まんまとロリコンオヤジの甘言に騙された彼女は、高校生活で私のような素敵な友達に恵まれ、どんどん明るくなっていきます」

俺にはもはや、ツッコむ気力は残されていない。

「やがて彼女は思います。楽しい毎日、充実した学校生活、今、それを享受できているのはあの人のお蔭ではないか?」

「いや、それはアイツ自身とお前ら周りの人間のお蔭だろうが」

「黙って聞いてください。このロリコン声掛け事案野郎が」

「はい……」

もう俺は、タマちゃんには逆らえない。

「はっきりと顔を憶えている訳では無い。手に持っていた缶コーヒーの銘柄は何故か記憶に残っていたそうですが、あとは何となく背格好や雰囲気を曖昧に思い出せるくらい。でも、恐らくは通勤途中であったはずだから、必ず通学途中で擦れ違うはず。彼女はそう思い、毎朝、擦れ違うサラリーマンを観察しました」

お互い、そうと知らず、いったい何度擦れ違ったのだろう?

そしてアイツが俺に気付いてから声を掛けるまで、何度俺を見送ったのだろう?

「通学時間をずらしたり、道路の右を歩いたり左を歩いたりと、彼女なりの努力を繰り返しているうちに、あの人ではないかと思える人物に出会います。でも、ソイツはロリコン声掛け事案野郎なので、人様に顔向け出来ません。いつだって下を向いて歩いていたのです」

そうだ、ずっと地面ばかり見て歩いていた。

他人に興味は無く、通行人の会話も、街の喧騒も耳に入らず、自分がひどく寂しい人間であるということすら気付かずにいた。

「どうしましょう」

ふと何かに気付いたように、タマちゃんが俺を見る。

「どうした?」

「同級生の男子をからかうより、大人の男性をからかう方が楽しいことに気付いてしまいました」

「どうでもいいよ! ていうか、真面目な思考に耽らせて?」

「新たな性癖に目覚めさせておいて無責任な物言いですね」

「勝手にからかって勝手に目覚めただけだろうが!」

「……まあ下僕の失礼な態度は保留するとして、とにかくみゃーは、なかなか決め手を見つけられなかったんです」

俺はいつの間に下僕に……。

「で、ある朝、下僕が缶コーヒーを行儀悪く歩き飲みしていたところ、さすがに下を向いたままコーヒーは飲めないので、そのみすぼらしい顔を上げた瞬間に遭遇することが出来ました。見覚えのある缶コーヒーの銘柄、うろ覚えだった顔が明確に重なり、彼女は胸を高鳴らせました。ああ、あの事案の人だわ」

……もう何も言うまい。

「そこから先は、もう説明がいらないと思いますが……でも、そこから先が、あの子にとって必死の日々でした」

「え?」

「声を掛けたい。あの時のお礼が言いたい。自分は、今こんなに幸せです。だからどうか、あなたは俯かないで。どうか元気になって。どうか……どうしたら、あなたは笑ってくれますか?」

滝原……。

「そこから私のアドバイスが功を奏して、今のはっちゃけたあなたに至るわけですが」

功を奏したのかどうかはともかく、というかはっちゃけてなんかいないけど、アイツの極端なアタックが、俺に上を向かせた。

「という話を、ついさっき駅前でみゃーから聞いたところです」

「そうか」

「財布なんか落としたこともなく、口から出任せの甘言だった、ということも聞きました」

「そうか」

「あの子は、優しい嘘って言ってましたけどね」

秘密基地で、アイツが「優しい嘘は吐くよね」って言っていたのは、そのことだったのか。

「俺、もう一つ、嘘を吐いてた」

「は?」

「滝原に対する気持ちが恋愛感情かどうか判らないって言ったけど」

「ええ」

「俺、アイツのことが好きだ」

タマちゃんが、少し目を見開いてからニッコリ笑う。

「……それで、どうしますか?」

怒るかも、とも思ったが、優しい顔のまま訊いてくる。

「予定通り、夏休みを利用して疎遠になるよ」

「私は予定を変更して、別れることは推奨しません」

「何故?」

「かと言って付き合うことを推奨する訳でもありませんが、あの子にとって、どちらがいいのか判らなくなってきました」

「こんな歳の離れた、うだつの上がらないオッサンなんかより、アイツならもっといい男が見つかるはずだ」

「その点に関しては百パーセント同意しますが、下僕のことも考慮しないと」

「俺のこと?」

「うだつは上がらなくても、顔は上げていてほしいと私も思いましたので」

「え?」

「後は大人のあなたの判断にお任せします。それでは下僕さん、私はこれにて」

「あ、おい」

タマちゃんは手を振って、今日一番の笑顔を残して立ち去る。

くそ……大人が常に正しい判断が出来る訳じゃねーぞ。

俺はタマちゃんから聞いた話を反芻して、しばらく公園のベンチに座っていた。

どうしていいか判らず、答もずっと出なかった。

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