第20話 財布
「話せば長くなると思うが」
「社会人なんですから素早く要点をまとめて納得のいく説明をしてください」
コイツはこんな時でも容赦無いな。
「まず、滝原に対する気持ちが恋愛感情なのか、自分でもよく判っていない」
「はあ? なに小学生みたいなこと言ってるんですか。大人ならではの打算と欲望にまみれたドロドロした恋愛感情があるでしょう?」
「そんなのは、恋愛感情とは言わない」
タマちゃんは、虚を衝かれたように俺を見た。
「……その通りですね」
また笑った。
今度は、自嘲混じりの、それでも素敵と思える笑みだ。
「さっきも言ったけれど、俺は一人暮らしが長い。もう十年以上になる」
「随分と長いですね。十六歳の私には、十年以上も一人で暮らすということに、いまいちピンときません」
「すぐに慣れる。いや、慣れていたはずなんだ」
「何か、当たり前の日常を壊す出来事がありましたか?」
タマちゃんは頭がいい。
こんな返し、十六歳の女の子がするだろうか。
「滝原が、俺の前に現れた」
「……みゃーは、あなたの何を壊したんですか?」
「俺は今まで一人が当たり前で、誰かのためにとか、誰かと一緒にとか、あまり考えたことが無かったんだ」
「ええ」
「今は、一人でいると寂しくなることがある」
「え?」
「大袈裟に聞こえるかも知れないけど、結局、一人じゃ生きていけないんだよ。頼ることも勿論だけど、誰かのためにって思わなきゃ、自分が生きてる意味を見失いそうになる。滝原は、俺の中にそんな感情を芽生えさせた」
俺は、十六歳の子供に何を語っているんだろう?
「べつにみゃーじゃなくても、親孝行でもすればいいじゃないですか」
チクリと、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
「親孝行、したい時には親はなし、なんて言葉、馬鹿な俺には、そんな早くに気付けなかったんだ」
「っ!? わ、私、ごめんなさい!」
「いや、知りようの無いことで謝らないでくれ」
「でも!」
「生意気で、年上だろうが平気で蔑むタマちゃんでいてくれ」
「……意外と意地悪ですね」
「褒めてるんだけどなぁ」
「だとしたら、あなたの感覚はズレてます」
「ズレていたとしても、正しいと思ってる」
沈黙が訪れる。
タマちゃんは空を見上げた。
セミはもう鳴いていないし、暗くなってきた空に、星は見えない。
「あ、そうだタマちゃん、門限は?」
「お気になさらず」
毒舌下ネタ娘ではあるが、立ち居振る舞いからそれなりに育ちはいいと思っていたけれど、家は厳しくないのだろうか?
「暗くなった公園で露出プレイ、なんて考えてませんから」
「俺も考えてねーよ!」
お嬢様かと思いきや、とんでもないセリフをぶっこんでくる。
「首輪、持ってきてませんよ?」
「犬も連れてきてねーよ!」
「さすがですね」
「何がだ?」
「今みたいな会話だと、みゃーからツッコミが無くて」
「それ、滝原が正常だからな?」
また笑った。
この子は、滝原といる時は、こんな風に頻繁に笑うのかも知れない。
「……中学時代、あの子は眼鏡っ子で今よりもっと地味で、友達も少なかったそうです」
考えてみれば、俺は滝原のことを何も知らない。
過去のことどころか、今のアイツのことすら、学校でどんな風に過ごしているとか、俺に向ける笑顔が級友に向けるものと違うのかとか。
「受験の日、特進生を目指していた彼女は、ガチガチに緊張していたそうです」
地味で眼鏡っ子、ガチガチに緊張している滝原か……。
「ガチガチと言っても、あなたの御子息のことではありません」
「判ってるよ! ていうかお前は普通に喋れんのか!」
何故そこで不服そうな顔をするんだ……。
「試験会場、つまりあの高校に向かう途中、彼女は財布を落としました」
「あー、アイツはドジっ子属性も持っていそうだしなぁ」
「ガチガチに怒張、失礼、緊張していた彼女は、あるオッサンに呼び止められるまで財布を落としたことすら気付かなかったそうです」
何か、身に覚えのあるシチュエーションのような?
「下心アリアリのオッサンは、ガチガチ娘が受験生であることに気付いたらしく、次のような甘言を弄しました」
ちょっと待て。
色々言いたいことはあるが、あの時のセリフ、声に出して言われると恥ずかしいものだった気がする。
「俺も受験の時、財布落としたんだよ。でも、俺が落ちる代わりに財布が落ちてくれたみたいで合格した。だから君も大丈夫!」
ちょっと男を真似た声色が、俺を叩きのめす。
ヤメテ! 恥ずかしい! 自分自身、何故あの時あんなセリフがスラスラ出てきたのか判らないんだ!
「きっしょ! 何コイツきっしょ! と私なら思うところですが、少々残念な子であるあの子は、それで緊張が解れて、リラックスして受験に望めたそうです。あら? 孝介さん、どうなさいました? 顔を上げてくださいまし」
コイツ、悪魔か。
身悶えしそうなほど恥ずかしがっている俺に、追い討ちをかけてきやがる。
……でも、あの時のあの子が、滝原だったんだ。
そのことを知って俺は──どう受け止めればいいのだろう?
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