第16話 連絡先
梅雨が開けて、空は夏の装いになっていた。
朝から強い日射しが降り注いでいたけれど、それもこの路地には届かず、街の喧噪も少し遠い。
ひっそりと、少し時間の流れがゆっくりとしているように感じられる。
今朝は滝原の方が先に来ていた。
「サノバビっち」
「!?」
会って早々に罵倒されたのかと思ったが、滝原はサバトラに向かって言っている。
「なんだ、そのサノバビッチと言うのは」
「この子のことなんだけど、サバトラだからずっとサバっちって呼んでたの」
あまり可愛い呼び名とは思えないが、それはまあいい。
「そこからどうしてサノバビッチになるんだ」
「昨日、放課後にタマちゃんとここに寄ったらサバっちがいてね」
何か嫌な予感がする。
「呼び名って、いつも短縮形ばかりで面白くないから、たまには盛ってみたらどう? とか言うの」
「……」
「私はお洒落な名前なんか思いつかないからタマちゃんに一任したら、サノバビっちがいいんじゃない? って。なんか洋風でお洒落っぽいよね」
あのアマぁ……。
俺は愛すべきバカである滝原を、汚すことなく正しい方向へと導かねばならない。
「呼び名というものは呼びやすいように短縮するものだから、本末転倒だろーが」
「それもそうかぁ」
コイツは素直過ぎる。
徐々に距離を取って疎遠に、という考えは確かに持っているが、あるいは傍にいて見守った方がいいのでは、とも思う。
「確かにサノバビっちって呼びにくいよね。サノバビっちー、せっかくお洒落な名前もらったけど、やっぱりお前はサバっちだよー」
猫に語りかける滝原は、見ていて飽きない。
俺は滝原だけでなく、サバっちの名誉も守ることが出来た。
「それはそうと、こーすけ君」
「何だ」
「えーっと……」
サバトラは滝原の隣でアクビをしているが、滝原は何やら緊張した面持ち。
さっきまでサノバビッチを連呼していたとは思えないモジモジっぷりだ。
「あの、そろそろ……」
何を言い出すのかと、俺も少しばかり緊張する。
「れ、連絡先を交換しませんかっ?」
「……」
コイツは今まで、俺を翻弄するようなことを平気でやってきたのに、こんなことで緊張するのか。
「そ、そうだな」
かく言う俺も、何故か緊張しながらスマホを取り出す。
「これでいつでも繋がれるね」
俺の方を見てパーっと笑顔を弾けさせる。
客観的に見れば、笑うとそこそこ可愛いという評価になるはずだし、出逢った頃の俺もそんな感じに受け止めていたと思う。
だが──
やっべー、超可愛い! 何コレ? 反則じゃん!
という今の俺の内心をどうしたものか。
気取られないように、俺は理性を総動員して冷静を装うものの、朝からこんな素敵な笑顔が見られるのは幸せと言わざるを得ない。
サバトラが俺をジロリと見た。
お前、ちゃんと責任とれよ、と言っているみたいで、思わず居住まいを正す。
いつでも繋がれるということは、意外と責任重大なような気がしてきた。
「男の人を登録したの初めてだから、なんか緊張するー」
画面を見ながらニマニマ。
……とても責任重大な気がする。
これは、きっとアレだ。
保護者的な感覚の、正しい方向に導いてやらねばという責任感みたいなものだ。
「もしこーすけ君が元気が必要な時は言ってね。えっちな画像送ってあげる」
早速、似非保護者が奮起する機会が訪れた。
「そういうのはやめろって」
「どして? 私じゃ元気にならない?」
「そうじゃ無くて、もう少し警戒心を持って、簡単にそんな画像を送らないようにしろよ」
「心配しなくてもこーすけ君にしか送らないよ?」
似非保護者は所詮似非なので、だったらお願いします! とか言ってしまいそうになるが、ここは何とか踏み止まる。
「だから俺も含めて、まだ知り合って間もない他人をそんなに信用するなって」
たったこれだけのセリフを吐くのに、力を振り絞るようにしなきゃならないのが情けない。
「こーすけ君はさあ」
不服、と言うよりは、判ってないなぁ、といった口調。
「何だよ」
「財布、落としたことある?」
「いや、無いな」
「拾ったことは?」
「んー、三、四回はあると思う」
「それ、どうしたの?」
「どうしたのって、そりゃ、交番に届けたり……あ、駅員さんに渡したこともあったな」
「はい、合格」
「は?」
「こーすけ君が信用に足る人物だと認定されましたー」
「はあ? お前、もし俺が口から出任せ言ってたらどうするんだよ!」
「こーすけ君は口から出任せなんか言いませんー!」
何なんだ、コイツが俺に寄せる、この全幅の信頼は。
「出任せは言わないけど、優しい嘘は吐くよね」
「は?」
「何でもありませーん」
全く意味が判らない。
結局、エロが絡まなくても、俺はコイツに翻弄されるのだろうか。
でもまあ、やっぱりニッコニコしてるから、俺は元気になってしまうのだが。
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