第10話 秘密基地
とうとう家を出るのが以前より二十分前になってしまった。
何も俺一人が気持ちを浮き立たせて行動を起こしてる訳じゃない。
秘密基地への集合時間が取り決められてそうなったのだ。
滝原も今までより一本早い電車に乗ると言う。
これって、もはやデートではなかろうか。
いや、会っていられる時間はせいぜい三十分しか無いし、薄暗い路地がデート場所に相応しく無いのは判っているが、秘密基地に集合、と言い換えれば、何やら秘密めいて、気持ちが高ぶってくるものがある。
秘密基地には俺が先に到着する。
先客は猫二匹。
その三毛とサバトラの二匹は、既に俺を憶えているのか、逃げる様子も無く毛繕いをしている。
猫が路地の入口に顔を向けた。
「ごめーん、待った?」
「いや、今来たとこ」
「えへへ」
滝原が照れ臭そうに笑う。
やっぱりこれって、もはやデートだよな?
でも、誰かに見られたら、怪しいことこの上ない。
滅多に人の通らない、恐らくラーメン屋の従業員などがゴミ捨てや裏口から出入りする時くらいしか使われない路地の片隅。
そんなところにスーツ姿の男と制服女子高生がいたら、通報でもされてしまいそうだ。
「こんな薄暗い路地に女子高生を連れ込んで、何をするつもり?」
「お前が言うな」
「ここで私が悲鳴を上げたら、こーすけ君は終わりなのだ」
「それ、シャレにならないからマジでやめて」
「ふっふっふっ、じゃあ、何してもらおうかなぁ」
なんかデートじゃ無くなってる。
「じゃあ、まずは」
悪戯っぽく唇に舌を這わし、鞄の中をゴソゴソし出す。
くそっ、地味系可愛い系のくせに妖艶かよ!
俺は何かエロい要求でもされるのではないかと不安になる。
正確に言うと不安なのか期待なのか微妙なところで、いったいあの鞄の中からどんなエログッズが飛び出してくるのかと気が逸っている。
ゴムか? いやまさかこんなところで。
では、振動するアレか?
「じゃーん!」
……。
缶コーヒーとサンドイッチだった。
「朝ごはん、まだだよね?」
「あ、ああ」
「じゃあ食べよ。どーぞー」
「あ、ありがとう。いただきます」
すまない。
こんな低俗で汚れ切った大人を許してくれ。
俺は、目の前の雑居ビルの壁に、自分の頭を打ち付けたくなった。
でも、汚れ切った大人、などと言っても、俺は童貞だという事実が情けない。
心は汚れていても、身体は綺麗なままだから! って、普通は逆のセリフをよく聞くけどなぁ。
滝原は何故かこちらをチラチラと窺いながら、トマトジュースを飲んでいる。
変わった好みだと思いつつ、ちびちびとトマトジュースを飲む姿は可愛らしかった。
「こんなこと訊いていいのか判んないけど……」
躊躇いがちな、少し小さな声。
「何だ? 何でも訊いてくれ」
「こ、こーすけ君って、どーてーですかっ?」
ピンポイントに敬語で前のめりな質問に、俺はコーヒーを噴き出す。
被害者はサバトラ。
恐らくは経験者で、童貞である俺を蔑むような目で見た。
「だ、大丈夫?」
「お前はいきなり何を訊いてくるんだ!?」
「やっぱりいきなり過ぎた? えっと、じゃあ、私は処女です。こーすけ君は?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「え? 大雑把過ぎ? その……たまに一人でなら」
「じゃなくて!」
「判った。正直に言う」
何を!?
「ごめん! この前こーすけ君が使ったペンを別の用途で使いましたっ!」
訳の分からないカミングアウト! ていうかそのペン俺にくれ!
「……まだ答えてくれないの?」
「いや、お察しの通り、生粋の童貞です」
「ホント!?」
ぱーっと笑顔が輝く。
二十八歳童貞を、純真無垢な笑顔で祝福する処女。
なんて絵面だ。
「あと一年ちょっと、我慢してね」
ニッコニコだ。
「何をだ?」
「だって、十八歳未満だと犯罪になるんでしょ?」
純粋に恋愛感情の上であれば、その限りでは無かったと思うが、まあ世間一般的には犯罪者扱いか。
滝原は確か十月生まれだったから、来年の十月には十八歳になるわけだ。
俺はその時ちょうど三十。
魔法使いになるかは微妙なところだが、とにかく、俺が三十までは童貞を守り通すことが確定した。
こんなに若い子の言葉など、どこまで信じていいものか判らないが、少しくらい夢を見てもいいのかも知れない。
秘密基地から見上げた狭い空は、梅雨の中休みなのか、鮮やかな青い線を描いていた。
仕事中、ペンを見ただけで下半身が元気になってしまう俺は、まるで高校生のようだ。
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