第4話 生徒手帳

滝原美矢。

十月生まれの十六歳。

笑顔の顔写真と、名前と生年月日以外、特に見るべきところも無いのに、俺は何故か校則まで目を通してしまった。

しかし、なぜ生徒手帳には、身長体重とスリーサイズが記載されていないのか。

いや、当たり前のことだけど、校則を熟読してもなお、俺は読み足りなさを感じた。

俺は、アイツのことを、もっと知りたいと思っているのだろうか。


城塚孝介。

八月生まれの二十八歳。

くたびれた表情の顔写真、一応ゴールドである免許証は見る気もしない。

大体、免許証の顔写真は写りが悪いことが多いようだけど、初めて免許を取った時の写真は、もっといい顔をしていたように思う。

免許の更新の度に、表情が冴えなくなっていくのは気のせいだろうか。

若さを失っていくというより、何か大事なものを失っていくかのようだ。


勝手な持論だが、写真を撮られるときに自然な笑顔が出来る人というのは、日常生活が充実している人だと思う。

日常が不満だらけで、日々、笑うこともあまり無い人間が、カメラの前でだけ笑ったところで、それはぎこちないものになる。

アイツの生徒手帳と俺の免許証の写真を見比べれば、それは一目瞭然という気がする。

アイツは、きっと学校でも楽しくやっているんだろう。

もしかしたら、彼氏なんて存在もいるのかも知れない。

でも、だったら何故、俺なんかに話しかけてきたのだろう。

俺があまりにも辛気臭い顔をしていたから、お節介を焼きたくなったのだろうか。

でも、そんな殊勝なヤツがいるとは思えないしなぁ。


顔を上げて歩くことを心掛けたはずだけれど、今朝はつい、生徒手帳に目を落としながら歩いてしまう。

メモ欄は概ね空白だが、一部、気になる書き込みが見受けられる。

中でも『ダイオウグソクムシ』と『日々是好日』が圧巻だ。

訳が分からない。

ただ、字は綺麗だ。

あとは一つだけ絵があって、有名なクマのキャラクターが描かれており、その下に中国の国家主席の名前が書いてある。

全く訳が分からない。

いや、似てる気はするけど。

絵の方も上手いし、コイツは手先が器用なのかも知れない。

「こーすけわぷっ」

「おっと」

生徒手帳を見ながら歩いていたせいで、少女、というか滝原と正面衝突してしまう。

しかし、なんて可愛い音を発するんだ。

わぷって何だ。

「……もしかして、朝のお約束の衝突にときめいた?」

「はっ、ガキにときめくかよ」

こんな虚勢を張ることが、大人であるということなのだろうか。

取り繕って、嘘で塗り固めて生きていくのが大人なら──

「私、今日は日直だからもう行くね!」

大人の虚勢など、意にも介していない若さに、俺は嫉妬した。

駆けていく脚は細く、躍動感に満ち、揺れる髪は朝日に輝いて眩しい。

そして、華奢な上半身に対して豊かなケツ──

俺はそこで思考を中断する。

アイツを中年オヤジのような目で見るのはやめよう。

いや、高校時代の方が、そういう目で舐め回すように見ていた気もするが。

あ!

「ていうか生徒手帳!」

俺は手に持っていた生徒手帳を高く掲げて呼び止めた。

「もう一日だけ使っていいからー!」

使うって何に?

もしかして、この顔写真で?

あるいはアイツの文字で欲情するとか、クマさんの絵でとか?

俺はそんな高等スキルなんて持ち合わせてないぞ。

いや、顔写真なら頑張ればもしかして……。


とにかく、何か拍子抜けしたというか、ちょっと物足りない思いで会社に向かう。

本来、忙しない朝にゆっくり喋ってる時間なんて無いのが当たり前だし、たとえ少しでも言葉を交わせたら、やっぱり元気になれる気がする。


今日は余裕で会社に間に合った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る