第9話

「……で?」

 オディールとライラが続きを促すように頷く。

「えっと、そのあとデートを重ねて、プロポーズしていただいて、今に至るんですけど」

「え、それだけ?」

 ライラとオディールが何か言いたげに顔を突き合わせている。

「「つまんない」」

「う、うーん……」

 困ったように愛梨が僕に視線を送ってくる。僕はだいぶ前から耳を塞いで部屋の隅に丸くなっているので、助けることはできない。できないのだ。

「ていうか、悠真キャラ違う」

「カッコつけてるぅ」

「スカしてる」

「何か、気のないふりしてるけど、気があるのバレバレみたいなぁ」

「一番カッコ悪いやつ」

 ライラとオディールが好き勝手に批評を始める。ここは地獄か?

「こう、『早く俺のものになれよ』って壁ドンとかないんですかぁ? 婿アダムはよくやるのにぃ」

「いきなり〇〇○とかね。✖️✖️とかね」

「えっ、やだ、そんなことまで? 外国ってすごい……」

 愛梨が目を覆って相槌を打つが、指の隙間から目が見えている。……興味津々らしい。

 外国というか淫魔界だろうが、そんないかがわしい場所を基準にされても困るし。僕は普通の人間だし。プラトニックなラブだったんだよ当時は。

「なんかブツブツ言ってる」

「根暗ぁ」

「ゆ、悠真さん元気出して」

「」

 僕はもう何も言わずに、シャワーを浴びることにした。

 

「はあ」

 まだ生々しい傷口の包帯の上からビニールを巻いて、シャワーからお湯を出す。

 しかし、急に家の中が女子会の会場みたいになった。男の僕は肩身が狭くてしょうがない。こうなってくると、もはやアインに体の自由を渡したくなってくる。

 愛梨は僕が初恋だと言っていた。いや、愛梨とは僕が押して押して押しまくった結果なので、愛梨側からは恋と言っていいのかすら怪しい。

 初恋か。

 僕は昔から結構惚れっぽかった気がする。最初はありがちだが幼稚園の先生だろうか。あれを恋と呼べるのならだが。

 いや……。

 そういえば小学校に入ったばかりの時、名前も知らない女の子に夢中になっていた時があった。

 顔もよく覚えていないが、子供の目から見ても綺麗な子で、多分ハーフか何かだったと思う。少し無口な、公園でいつも一人でいる子だった。

 近寄りがたいオーラを出していたけれど、僕はあまりそういうのは気にしない質で、気まぐれに声をかけたのだ。女の子と遊ぶのが恥ずかしいなんてことも知らない時期だった。

 その子は日本に来たばかりのようで、何も知らなかった。僕がいろいろ遊びを教えてあげると無邪気に笑ってくれて、それがただ嬉しかったのを覚えている。

 あの子も今は、立派な大人になっているだろう。

 柔軟剤でふかふかになったタオルで頭を拭きながら、僕はパジャマを着た。その時にはもう、その女の子のことなんて全て忘れていた。

「ライラ、お風呂はどうする?」

 たまたま洗面所を通りがかったライラに尋ねる。

「あら、恋愛ちょいダサの悠真が入った後の残り湯なんて勘弁だわ」

 リフレッシュした気持ちがどかんと潰される。シャワーしか浴びてないのに。

「い、いやぁ、しかしライラも女の子なんだなぁ。あんな可愛い話題で盛り上がるなんて。僕は大人の男だから、全く興味はないけどね。ハハハ」

 精一杯の反抗を試みた。さあ、悔しがれ。

「……」

 ライラは黙っていた。何か考え込んでいる。僕は調子が狂って、ライラの様子を伺った。

「それは、悠真が当たり前に恋をしているからだわ」

 ぽつりという。そういえば、と僕は思い出す。

「淫魔は、恋をしないって聞いたよ。女王だけが恋をできるんだってね。ライラもそれで、女王になりたいのか?」

「なりたいわけがない」

 じろりとライラがこちらを睨む。今まで見たことがないほど、冷たい瞳だった。

「恋を知ったところで、私たちは婿アダムの花嫁となるだけ。恋する自由なんてどこにもありはしない」

 僕はライラの物言いに違和感があって、つい、何も考えずに口を開いた。

「アイン以外に気になる男でもいるのか?」

 言葉を発して、後悔した。ライラの悲痛な面持ちで、何かまずいことを言ってしまったのだと気付く。

「いや、ごめん、何でも──」

 ないよ、と言い終わる前に、ライラはバタンと乱暴に引き戸を閉めて、リビングの隣の和室に引きこもってしまった。


 その夜は、淫魔と愛梨の姦しい喧騒が嘘のように、皆静かに眠りについた。

「何かご用かしらぁ」

 間延びした甘ったるい声には、隠しきれない緊張の気配がある。月明かりに、胸焼けするほど肉感的なシルエットが浮かび上がっていた。

 マンションの狭いベランダは、夜を過ごすには狭すぎる。俺は喫いさしのタバコを指で握りつぶして投げ捨てた。

「お前、俺以外の婿アダムとも戦っただろ?」

「ええ、それがどうかしたぁ?」

「知っている婿アダムと淫魔の居場所を、全て教えろ」

「私に何か教えるメリットがありますかぁ?」

 オディールは意味ありげな微笑を浮かべながら、くすんだピンク色の髪を弄っている。

 俺は黙ってオディールの乳房を鷲掴みにした。オディールが泣くような悲鳴をあげる。だがそこに歓びの色があるのを、俺は見逃さなかった。

「もったいつけやがって……」

 片手では溢れる乳房をしごき上げるたびに、オディールは悩ましげな声をあげた。頬は宵闇でも分かるほどに紅潮し、月明かりのように青白い肌がしっとりと汗ばんでくる。淫靡な香りがオディールの下腹部から、妖しげなお香のように立ち上ってくる。女王候補にはあるはずの下腹部の淫紋は、跡形もなく消え去っていた。

 オディールが小刻みに痙攣しはじめたのを見計らって、俺はお預けとばかりに手を離した。オディールは物欲しげな視線をこちらに向ける。男の味を知った立派な淫魔崩れの顔だ。

「……言ったら、慰めてくれる?」

「さあな」

「約束してくれないと、イヤぁ……」

 すがりつくオディールの手を荒々しく払った。

「分をわきまえろよ、白豚が。豚にわかるように言葉を交わしてやってるだけでもありがたいと思え」

「はい、分かりました、分かりましたからぁ……。私が戦ったのはヨダカだけ。でも、婿アダムは見てません」

 ヨダカ。聞いたことがある。女としての魅力は感じなかったが、独特な雰囲気を持つ淫魔だった。

「メムを連れて行かなかったのか?」

「いいえぇ、メムはいました。でも、ヨダカはまだバーサールを連れていなかったんです」

「なんだ、もう犯したのか」

 イラついて、ベランダのフェンスを指でつつく。そんな情報を聞きたいわけではない。

「いえ、メムはヨダカに指一本触れられませんでした。ヨダカは……」

 俺は眉をしかめる。そんなことがあり得るのか?

「ヨダカは、最強の淫魔です」

 オディールの目に、微かに畏れが混じる。淫魔ごときが婿アダムを圧倒したというのか。そんなもの、赤子が武芸の達人を一捻りで倒したと言っているようなものだ。荒唐無稽で信じがたい。

 が。

 無意識に顔が緩む。

 そんな思い上がった淫魔を力でねじ伏せてやるのは、さぞかし甘美な快楽をもたらすことだろう。 

 待ちきれなくなったオディールが甘い声を発しながら俺の下半身に顔を埋める。いつの間にか俺のズボンはパンパンに張り詰めていた。

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既婚者ヘタレリーマンなのにサキュバスと妻に挟まれて修羅場かと思いきや、もっと大変なことに巻き込まれてます じゃまいか @jamingbird

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