『趣味は高くつく』
やましん(テンパー)
『趣味は高くつく』
*これは、すべてフィクションです。(シベリウスさまと、『アンダンテ・フェスティボ』などのお話し、大指揮者、フルトヴェングラーさまと、トスカニーニさまのお名前だけは、事実に基づいております。)
なんだかんだと言っても、結局のところは、募集業者さんに、うまくまるめこまれた感じで、ぼくは『第28期火星永住移民団』の一員として、この『火星』にやってきました。
テラフォーミングは、まだ基礎段階で、その完成にはあと100年はかかりそうです。
しかし、この居住地自体は、『南極観測基地』よりも随分ましで、住み心地は、それほど悪くありません。
ここ10年くらいの間に、生活の場所としての基盤も、随分整備され、最初期の頃に移住してきた方に比べたら、それはもう、雲泥の差がある環境が作られて来ておりました。
地球から持ち込まれた細菌が、火星で進化して、危険な病気が流行したこともあったのですが、それもなんとか抑え込みに成功し、最近は感染例が、ほぼ無いという事です。
ああ、しかし、移住してきてまだ半年というのに、ぼくは深刻な精神的欲求不満に陥ってしまっていたのです。
女性問題ではありません。
お金や、地位の問題でもありません。
『音楽』です!
たしかに、まだ移住地では、豊かな文化を創造するというような段階ではありません。
でも、とにもかくにも「クラシック音楽」に興味があるという人が、非常に少ないのです。
ぼくは、地球でかなりの数の、CDや古いレコードのコレクションを持っておりました。
しかし、移住に際して持ち込める物資の重量は限られており、ぼくは可能な限りを・・・つまり、厳選に厳選のうえ、約100枚程度・・・火星に持ち込みました。
それは、2万枚を超えるぼくのコレクションの中では、ごく少数です。
残りは、泣く泣く、図書館に寄贈しました。
売り払えば、お金にはなるけれど、ぼくには、散逸してしまうのが、たまらなく悲しかったのです。
火星行政長官以下、エリートのみなさんにも、『クラシック音楽愛好家』は、ほとんどなく、ことクラシック音楽に関しては、お手軽な『クラシック音楽世界大全集』のCD、というものが、ライブラリーにある程度で、僕が持って来たもののほうが、遥かにマニアックでした。
実際、たくさんの民族、文化を基盤とする人たちの集まりでしたから、西欧中心の『クラシック音楽』自体が、メジャーな存在という訳でもなかったのです。
それでも、多少は楽器が出来る少数の人たちが集まって、小さな楽団を作っておりました。
民族楽器を持って参集してきた方もあります。
なんでも、音が出る楽器ならば、オーケーです。
ぼくは、フルートを持って、参加しておりました。
まあ、優秀なプロの音楽家さんが、『火星』に移住してきているということは、現況では、ありません。
ここでは、キャリアを築けないからです。
まあ、テラフォーミングが完成し、移動が容易になれば、また違ってくるでしょうけれど。
それでも、引退した、もと音楽教師の方がいらっしゃって、リーダーを務めてくださっておりました。
ぼつぼつ、ですが、僕たちの活動は、少しずつ理解を得てゆくことが出来ました。
レパートリーは、実に多様で雑多でしたが。
********** 🎺 🎻 **********
移住地には『ショップ・ちきゅう』というお店がありました。
日用雑貨から食料、本、なども、手広く扱う、『何でも屋』さんです。
ある日、そこに『なつかしの地球CDコーナー』が作られました。
ちらし広告を見たぼくは、さっそく仕事帰りに行ってみました。(ぼくは、専門職ではなくて、誰でもできる『軽作業』という職種でしたが・・・お給料は安いです。)
案の定、軽音楽や、フォークソング系統のCDばかりでしたが、その中に、クラシック音楽のCDが、一枚だけ、混じっていたのです。
おまけに、『日本語』と来ました。
『クラシック音楽スペシャル大全集 豪華CD2枚組 『管弦楽編』 べートヴェン・シュウヴェリト、その他 豪華演奏陣! 歌付き』
まあ、あやしいこと、この上ないです。
CD2枚で、ベートーヴェンさんや、シューベルトさんの作品が全部、収まるはずもなく、名前の表記は、綴りが違うし、だいたい『歌付き』なんていうのは、クラシック音楽を手掛ける方が制作する発想ではありません。
裏側を見れば、それでも、なつかしい曲名が並んではおりますが・・・。
① ベートヴェン 『ピアノソナタ『月光』 第1楽章』
ここで、まず、あぜんといたしました。
『管弦楽編』と銘打っておきながら、その最初が『ピアノ・ソナタ』ときたら、ずっこけて当然です。
しかも、演奏者は『オハヨ・デカルト管弦楽団』とだけ、書いてあります。
む、これは、ベー先生の『ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調作品27の2』いわゆる『月光』ソナタの、管弦楽編曲版か?
と、思いはしますが、まあ、おそらくそうではないのだろうな。
地球上でも、かつて似たような現象が起こったことがあります。
正規盤ではない、あやしいCDが、たくさん作られた時代があったのです。
でも、ぼくは、そうしたものも好きです。
まして、ここは、『火星』ですよ。
「えと~~~、お値段は・・・・と。 げ! 」
なんと、10万ドリム!
1ドリム=1円でありますから・・・。
「10万エン~~~!」
その様子を、面白そうに眺めていた、ご店主様が、声をかけて来ました。
「クラシックがお好きですか?」
「はい。そうなんですが・・・」
「高いでしょう?」
「そりゃあ、まあ・・・・」
「あなた、一般募集組ですか?」
「はい。まあ、そうです。」
火星の移住者にも、いろいろと立場というものがあります。
『専門職』のエリート・グループ。
彼らも、二つのグループに分かれており、上級職の人は、業務上、地球との行き来が許されている、ごぐ少数の超エリートです。
お給料は非常に高く、プライドも、ロイヤリティーも、ものすごく高く、みな博士号を持っていて、しかも、危険性もそれなりに高い・・・、大方は自主的に参加している人が多いのですが。
近い将来に、『火星』のトップに立つ人たちです。
その下に、一般にエリートと呼ばれる人たちがいます。
彼らは、『火星』と、その、ふたつの『衛星』から離れる事は、まずありません。
ところで、ぼくたち『ノンキャリ募集応募組』は、お給料は安いのですが、移住にあたっての『移転報奨金』というものを、おおかた1千万ドリムほど、いただいております。
地球での経歴によっては、もう少し上乗せが来ます。
ぼくは、そこで、1500万ドリムほど、いただきました。
まあ、これは、老後の資金と考えた方がよく、気前よく使ってしまうと、あとあと後悔することになると言われております。
しかし、ご店主殿は、そこを狙っている訳であります。
「実はね・・・まあ、それは、裏ルート商品で、珍しいけど、けっしてよいものじゃあないですよ。高いしね。まあ、仕入れが高かったから。でも、まだ、海のものとも山のものともわからないですが、来月から、地球の巨大通販会社の『テガヌーマー』さんが、『火星』への通販を始めると、言って来てます。まだ、公表されてないけどね。そこで、ちょっと裏を通して、最初の試験販売データ、もらいました。意外と、クラシック音楽のCDとかLPとかが入ってるんですなあ。どやら、地球で、いま、クラシックは流行らなくて、良いものなのに、売れ残ってるのを、回したらしい。いやあ、そこにね、どうも、いいのが入ってるんです。まあ、ちょっと、これ、そのデータのコピーですがね・・・・」
「はあ・・・・・・・おう・・・・・・・えええ! これは・・・・すごいかも・・・・・・ややや、フルヴェンさんがある。トスカニーニ先生もある。このあたりは、みな、地球に置いてきちゃったんですよ。あらら、でも、これ、もしかして、初出? えええ、なあんと。シベリウスさんの自作自演の『交響曲第2番』だと! いやあ、すっごいのが出たんだなあ・・・・あ、これが、価格ですか?あらら、5万ドリム。意外と・・・・・・」
「そうです。まあ、確かに、ちょっと、お高いがね。でも、地球価格と、そう違わないでしょう? 音もいいらしいじゃないですか。データ買いしたら、ものすごく高価なうえに、まだ音質がめちゃくちゃよくないって聞きますね。これは、もちろん、意外と、いいらしいです。」
「ええ、いやあ、違わないですよ。むしろ、これなら、安いかも・・・あの、これって、注文が可能なんですか?」
シベリウス先生は、フィンランドの誇る大作曲家であります。
これまで、ながく『アンダンテ・フェスティボ』の自作自演しか、録音が残っていないとされてきました。
こんなのが出たとすれば、まさに、世紀の大発見です。
欲しい、欲しい。
死んでも、欲しい!!
「ええ、いやあ、さすが、判る方には解るんですなあ。いまならば、予約受けますよ。」
「ほしいなあ・・・・・・ごくっ!」
「そうでしょうとも。ただ、問題は、送料なんです。」
「はあ・・・・・・・なりほどお。いくらかかるんですか?」
「100万ドリムです。ただし、1枚でも10枚でも同じです。20枚までは、同額にすると言ってきてます。」
「ヒャクマン・・・ドリム!!!! むり、むり、むり! むり・・・・ううう・・・・・・・・」
「まあ、もうすこし、なんとかならないか、当局と交渉はします。80万ドリムくらいには、なんとかできるんじゃあないかと、感触は受けてますけど。」
ぼくは、火星に来て以来、初めての、悶絶するような苦しみに襲われていたのです。
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『趣味は高くつく』 やましん(テンパー) @yamashin-2
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