68話 迷子の二人
真実の愛を求めて、駆け落ちした男女。
故郷を捨てて逃げ出した二人が辿り着いたのは、寂れた田舎にひっそりと佇むダイヤモンドレイクキャンプ場。湖を見渡せるコテージで、愛を育む二人を密かに狙うはピエロの着ぐるみを纏った狂気の殺人鬼でした。
ボートを漕いで愛を語り合う二人に、湖の中からびしょ濡れの着ぐるみピエロが襲いかかります。逃げ惑うカップルを水を滴らせたピエロが追いかけました。
山奥の極寒の寒さに震える二人は偶然見つけたサウナ場へと逃げ込みます。しかし、サウナの中でピエロは既に待機……待ち伏せしていたのです! 大量の汗と着ぐるみが二人を追い詰めます。
サウナ場を飛び出した二人は、偶然にも冷凍食品などを保存する冷凍倉庫を見つけます。二人は倉庫の中にピエロを誘い込み、見事に閉じ込めることに成功したのです! 命からがら生還した二人はそこで長台詞と共に愛を深め合いました。撮影の都合上、ピエロは10分以上冷凍庫で過ごさなくてはなりませんでした。
安心したのも束の間、キャンプ場に戻った二人の前に倒したはずのピエロが現れます。ピエロは真っ青なペンキを体に被ると、ダイナマイトで自爆しました。爆発のシーンは塔子がなんとか編集で良い感じに誤魔化してくれました。爆発で吹き飛んだピエロの生首、そしてなんの伏線もなく明かされるピエロの驚愕の正体。恐怖に叫んだ二人のカットで映画が終わります。
高槻よしの初監督作『着ぐるみピエロ』の舞台挨拶を終えての最初の上映は、まずまずの評判です。客席の後ろに立って反応を見ていましたが、終始笑いの絶えない和やかな雰囲気でした。
「……ふふ、これは映画史に残る傑作ですよ」
私は隣に立つ塔子に満足して言いました。きっと私の名前を世界に知らしめることになるでしょう。これから忙しくなりそうです。
「歴史に残るかはともかく、まあそこそこ面白かったよ。素人にしては頑張った方じゃない? それより、あのピエロの着ぐるみさ……」
塔子は宣伝ポスターに写るピエロを指差しました。
「あれ、中身お兄さんだよね。文句言われなかったの? 池とかサウナとか冷凍庫やらさ」
「いいえ、何も。ただ折角の初上映をお兄ちゃんが見れなかったのは残念ですね。一番の功労者ですから。風邪なんて引かなければ、観客の称賛を浴びれたのに」
「あ、やっぱり風邪引いたんだ。じゃあ、篠原先輩が来れないのもそれが理由か」
「篠原氏が来れなくて残念でしたね」
「いや、別にいいよ。それより二人でお祭り回って楽しもう」
「そ、そうですね。折角のお祭りですからね」
しまった。篠原氏まで来れなくなったら、塔子と二人きりになってしまうじゃないですか。最近、何かと気不味いのに、文化祭が終わるまでずっと一緒にいるなんて地獄です。いや、でも塔子は何か話があるようでしたから、二人きりの方が都合が良いのでしょうか。いったいどんな話があると言うのでしょう。篠原氏はあんなこと言ってましたけど、まさか告白なんてありえませんよね?
「それより、塔子は私に話があるんでしょう? もう私たちの仕事も終わりましたし、そろそろ聞かせてくれませんか?」
こういうのは先延ばしにすると、余計に気になってしまいますから、さっさと聞いてしまうに限ります。そうすれば変に期待することもありませんから。
「そうだね。文化祭が終わってから話そうと思ってたけど、別に今でも構わないか。あのね、私……」
「はい……ってうわ!」
塔子と廊下を並んで歩いていたら、人にぶつかってしまいました。私が塔子の顔ばっかり窺っていたからでしょう。とんだ不注意でした。ぶつかったのはまだ小学校にも上がらないくらいの女の子でした。
「ごめんね、おねーさん」
「いえ、私の方こそ。ケガはないですか?」
「うん! へーきだよ」
女の子がにっこり笑ったので、安心しました。
「あ、おねーちゃん監督さんでしょ? あたしピエロのやつ見たよ! すっごい面白かった!」
「ほう、その歳であれの良さがわかりますか。なかなか見所ありますね」
「そうかな? 私はこの子の将来が心配だよ」
塔子の横槍は無視して、私は彼女の頭をわしゃわしゃ撫でてあげます。
「でも、ピエロさんかわいそうだったな。あんなにびしょ濡れで頑張ったのに」
「ピエロはまだ生きていますから、安心してください。今日は来れませんでしたけど」
「そっか、ピエロは無事だったのね。よかったー」
なかなか殊勝な女の子です。私のファン一号に任命してあげなくもないです。ふと、塔子が辺りを見回して、それから女の子に訊ねました。
「きみ、ご家族と一緒じゃないの? 見当たらないのだけど」
「え?」
女の子は後ろを振り向きました。しかし、彼女を見ている大人は誰もいません。
「ママいない……どこに行ったの? ママ、ママ!」
笑顔だった女の子は明らかに動揺し始め、一頻り母親を呼んで叫びましたが、誰も現れません。文化祭の人混みのなかで逸れてしまったのでしょう。
「うぇ、ひぐっ、ママ、ママ、どこにいるの?」
終いには彼女は泣き出してしまいました。慰めようにも、小さい女の子をあやした経験などなく、どうしていいかわかりません。困った私は塔子に助けを求めました。
「まあ、まだ校内にいるだろうから。校内放送で呼び出してあげよう」
「ああ、それがいいですね。そうしましょう。さあ、私たちでママを見つけてあげますから、いきましょう!」
泣き咽ぶ女の子の手を握って、上階の放送室まで塔子と向かいました。
校内放送は文化祭の出し物の情報を伝えていました。どうやら、演劇部が『眠り姫』の劇を体育館でやるようです。塔子が女の子の名前と特徴を紙に書き出して、放送室に入っていきました。それからすぐに迷子を知らせる放送が流れます。
[迷子のお知らせです。白いワンピースのエミちゃん四歳が、お母さんを探しています。お心当たりのある方は三階の放送室までお越しください。繰り返します……]
私はスピーカーを見上げて廊下に流れる校内放送を聞いていました。女の子は不安げな顔で、ポロポロと涙をこぼしていました。
「うう、ママ、ママぁ……」
「大丈夫ですよ、すぐにママが迎えに来てくれますから」
「うう、ママ、早く来て、ママ……」
私は膝を屈めて、女の子の目にハンカチを当てがって涙を拭ってあげました。そういえば、あの時も塔子はこうやって私の涙を拭ってくれたのでした。ずっと泣き止まない私のそばから離れずに、手を握っていてくれたのです。あの時の私は余裕がなくてお礼も言えないままでした。
「……あれ、どうしておねーちゃんも泣いてるの?」
「泣いてなんかいませんよ。あなたの涙がうつっただけです」
しばらくして塔子が放送室から出てきました。
「これで、母親も聞き付けて来るだろう。……あれ、よしの? どうしたのさ」
「どうもしてませんよ。ちょっと、目にゴミが入っただけです」
私は塔子から顔を隠すために、窓から外を眺めました。中庭にも出店がたくさんあって、人で賑わっています。
「……ふーん、それならいいけどね」
塔子はそれ以上詮索しませんでした。でも、なんとなく彼女には見抜かれているような気がします。
塔子は私のことどう思っているのでしょうか。あんな恥ずかしい姿を見せたのだから、きっと変なやつだと思ったに違いないのです。でも、不登校になった私を家まで訪ねてくれたのは、クラスでも塔子だけでした。最初はなんて妙な子だと思っていたけれど、なんの気苦労なく学校に戻れたのは塔子のおかげでした。じゃあ、今の私は塔子のことどう思っているのでしょうか。窓ガラスを見つめても、答えは書いてありません。
やがて女の子のお母さんが慌てた様子で迎えにきて、私たちに丁寧にお礼を言うと、子供を連れ立って去っていきました。
「じゃあ、行こうか」
「……そうですね」
そうは言っても、特に目的地があるわけでもありません。あてもなく校内を歩く私たちも、もしかしたら迷子なのかもしれませんでした。
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