60話 前の車を追って!
念には念を入れて変装した私とエマは、例のカフェで上手く彼の隣の席に陣取ることができた。変装のおかげで彼には全くバレていない。ここからなら会話もバッチリ聞こえる。サングラスで目線もバレないだろう。あとは声を出さないよう、身を潜めるだけだ。
彼はさっきからタブレットとキーボードで何かを書いている。そう言えば、よしのちゃんから無茶なお願いをされたと教室で語っていたような気がする。
彼に遅れてこの前の女の人が姿を見せる。環という名の女性は、相変わらず親しげに会話をしたあと、タブレットで彼が書いていた文章を読み始めた。どうやらそれは彼が書いた脚本らしい。そんなことをしているなんて知らなかった。
「どんなところがダメでしたか?」
「そうね、まずリアリティがないわ。このヒロインの女の子……ツンデレっていうの? いくら素直になれないからって、好きな男の子にここまでする? 靴を投げたり、押し倒したり、ヒールで足を踏んだり、ほとんど暴力じゃない」
彼の脚本の内容を環さんが並び立てる。ちょっと待って、それは私が彼にしたことそのままじゃない。どうしてそんなこと脚本に書くのよ。いくら自分がしたこととは言え、改めて他人に指摘されると恥ずかしかった。
「いくらなんでも現実味がなさすぎよ。こんなのがきみの理想なの?」
現実味がないと言われても、実際に私は彼と付き合っているんだ。彼の理想は私に違いない。
「いや、別にそういうわけじゃないですけど。そこは直しておきますね」
思わずテーブルを叩いてしまった。変装してなかったら、怒鳴りつけているところだった。エマに抑えられて、なんとか私は怒りを鎮める。この男やっぱり浮気しているんだわ。私に満足してないからって、他の女に走るなんてあんまりだ。
「そうだ、彼女さんとの馴れ初めを聞かせてよ。参考にするから」
「え、篠原ですか?」
「そう、篠原さん。二人はどうやって出会ったの?」
この人、彼に彼女がいるとわかってて手を出しているんだ。なんて性悪な女なのか。だが、ちょうど良かった。彼が私をどう思っているのか確かめるチャンスだ。
彼は私との経緯を語り始めた。その語り口はなんというか慈愛に満ちているというか、幸せな思い出を噛み締めているようだった。ていうか、浮気相手にそんなに詳細に語るものなの?
「篠原は俺にはもったいないくらいの彼女なんです。本人の前では言わないけど、誠実で、努力家で、優しくて……」
本人がいるのも知らずに褒めちぎる彼に私は恥ずかしくて悶絶しそうだった。
「卑怯なことなんか絶対にしません。あいつと出会えて、俺は本当に幸運だったと思います」
言われてますよ、とエマがサングラス越しに非難の視線を送ってくる。どうやら、全部私の思い過ごしだったようだ。彼が浮気なんてするはずがないのに、馬鹿だな私は。
「そっか、自慢の彼女さんなのね。無神経なこと頼んじゃったね。それに、お父さんのこと……ごめんね何も知らなくて、余計なこと言ったかもしれない」
「いえ、全然そんなことないですよ。親父の話ができて嬉しかったです。今日は、環さんの恋人に相応しいよう頑張りますね」
「……どうしてそうなるのよ!」
我慢できなくて声が出てしまった。すぐにエマが口を押さえてくてたから、なんとか彼にはバレずに済んだ。
その後、カフェに入ってきた男の人と一緒に彼は外に出たので、私たちはこっそり後を追った。
「エマ、どうしよう。彼車に乗るみたいよ」
三人は外に停まっていた車に乗り込んでしまう。このままでは見失うだろう。
「タクシーで追いかけましょう」
「いいアイデアね」
私は咄嗟に通り過ぎるタクシーを呼び止める。開かれたドアにエマと一緒に飛び乗った。
「お願い、前の車を追って!」
運転手にそう叫んだ。
「前の車って、どの車だい?」
「黒いセダンよ、ほらあの仙台ナンバーの」
「はい、わかりました。じゃあシートベルトお願いしますね」
タクシーは彼の乗った車を追って走り始めた。エマが遅れて私に訊ねる。
「ミズキ、センダイってどこですか?」
「あんた、そんなことも知らないの? 仙台は東北の都市よ。ここからだと300キロ以上離れているわ…………あ」
もしかしてあの車、仙台まで向かうつもりだろうか。
「向こうの車、高速乗るみたいだけど、料金大丈夫かい?」
ドライバーさんが親切にも確認してくる。私は自分の財布の中身を見る。果たして、これだけで足りるだろうか。
「安心してください、ミズキ。わたしカード持ってきましたから」
エマは漆黒に輝くクレジットカードを取り出した。高校生がなんでそんなもの持っているのかと気にはなったけど、今はそんなこと言っている場合じゃない。エマのブルジョワぶりに助けられた。
「さあ、地獄の果てまで追い詰めてやるわ、覚悟しなさい!」
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