58話 「私の恋人になってくれないかな」

「私の恋人になってくれないかな」


 環さんのような素敵な女性にそう言われたら、男なら誰だって悪い気はしない。しかし、残念ながら俺には篠原という大切な恋人が既にいるのだ。本当に残念ながら。


「すみません、どういう意味で言ってるのか知りませんけど。俺にはもう彼女がいましてね……」


「へー、彼女いるんだ。意外。可愛いの?」


 環さんの反応を見るに、本気で言っていたわけじゃないみたいだ。


「でも、問題ないわよ。恋人と言っても、恋人のフリをしてくれればいいの」


「いや、問題大ありですけど」


「実は大学でしつこく言い寄ってくる男がいてね、きみと付き合っていると言えば諦めるだろうから、お願い一芝居打ってよ。安心して、きみに危害が及ぶことはないから」


「いやでも、それはさすがに……」


 俺はよくても篠原に知れたらえらい事になる。事情を話しても、許してくれるとは思えない。


「そうか、結構困っていたんだけど、断られたなら仕方ない。脚本は一人で頑張ってね」


 そうだ俺はラブストーリーを書きに来たのであって、ラブストーリーを演じるわけにはいかない。しかし、俺一人の力で脚本は完成するだろうか。


「……一度だけだったら、やってもいいですよ」


「本当に? ありがとう。助かったわ。一度で十分よ。日取りは後で知らせるから、それまで二人で脚本頑張りましょう。明日もこのカフェに集合でいいかしら?」


「はい、お願いします」


 これから毎日学校終わりに環さんと脚本執筆をする約束を取り付けた。悪魔の契約にも思えたが、脚本を完成させるためだ。やむを得まい。せいぜい、篠原にバレないことを祈るだけだ。





「ねえ、エマまだ買うの? 流石にくたびれたわ」


「あと一軒だけですから、我慢してください。まだ日本の鉄道に慣れてないので、ミズキがいないと大変なんですから」


「わかったわ。でも、次降りる駅で休憩させてね。喉も乾いたから」


「はい、カフェにでも入りましょう。わたしが奢りますネ」


 私たちは両手に紙袋を持って電車に揺られていた。日本での新生活に必要なものをあちこち買い回っているのだ。


 エマが突然日本に転校してきたのには驚いた。父親の日本出張が長引きそうなので、母と一緒に付いてくることにしたそうだ。


 エマはクラスメイトから熱烈な歓迎を受け、すっかりクラスの人気者である。男子たちの評価によると、現在ではエマこそが学校一の美少女ということらしい。私はすっかり日陰に追いやられている。本当、男子って胸のサイズにしか興味がないみたい。まあ、その方が彼とゆっくり話せて都合がいい。ちなみに、私とエマの両方と親しい彼は余計に男子の顰蹙を買っているようだ。


「エマ、この駅で降りるみたいよ」


「はい、行きましょう」


 二人で電車を降りる。目当てのお店は歩いてすぐだが、休憩しない事には一歩も動きたくなかった。エマと一緒に、駅ビルのカフェに入る。荷物を下ろして、私は椅子に座り込んだ。そういえば、ここは彼の家の最寄駅だ。しかし、エマには黙っておこう。どうせ面倒なことを言い出すに違いないから。


 私の正面に座るエマが急に神妙な顔付きになった。


「……それで、ミズキはユータとどこまでいきましたか?」


「どこまでって、パリまでは行ったわよ」


「そうじゃありません。恋人として、です」


「な、なに言ってるの、変なこと聞かないでよ!」


「変じゃありません。恋人同士なら普通ですよ。ねえ、AアーBベーCセーではどこまでしたんですか?」


 これだからフランス人は困る。隙あらばすぐそういう話を持ち出すのだ。


「まだ、なにもしてないわよ。幼稚園の時のあれはノーカウントだし……」


「え? まだなにもしてないですか? ホテルで毎晩一緒だったのに?」


「失礼ね、寝室は別だったわよ。鍵も掛けてたし」


 そもそもそれが互いの親が出した条件だった。まあ、こっそり鍵を開けておいた夜もあるけど、見事になにも起きなかった。彼もその辺は弁えているようだ。


「なんだ、それならわたしがユータを奪うのも簡単そうですね」


「な、な、なんでそうなるの! それはルール違反じゃない!」


「恋愛にルールは存在しませんよ。それと、フランス人に恋愛で勝てると思わない方がいいですよ、ミズキ」


 エマが珍しく恐い顔をしている。そんな顔、教室や彼の前では見せたことないんだろうな。男子どもはエマの善人面しか知らないんだ。


「私だってあんたなんかに負けるつもりはないんだから」


「フフ、望むところですよ……あれ、ユータ?」


 私はエマの視線の先を見る。確かに向こうの席に彼がいた。しかも、女の人と一緒に。椅子をぴったりくっ付けて、テーブルの上で何かしているようだ。


「あの方は誰ですか? やけに親しそうですけど」


「知らない人よ。少なくとも私はね」


「じゃあ、声をかけましょうか。おーい、ユータ……」


 私は身を乗り出して、エマの口を塞いだ。


「ゴホゴホ、……なにするんですか?」


「待って、声をかけてはダメよ。まだ浮気の証拠をつかんでいないわ」


「浮気? ユータがですか? まさかそんなことしないでしょう」


「自分で言っといてなによ! いい? 男子なんて胸のサイズのことしか考えてないのよ」


「だとすると、ミズキに勝ち目はなさそうですよ」


 エマは手を丸めて双眼鏡みたいにして、向こうを窺う。私もテーブルに伏して、相手を観察する。とっても綺麗な人だった。それにサイズも私より大きい。


「ねえ、向こうの会話聞こえる?」


「ここからでは無理です。もっと近付かないと」


「そうよね。でも、これ以上近付いたら気付かれそうね」


「わたしにいい考えがあります。これを使いましょう」


 エマは分離型のワイヤレスイヤホンを取り出した。


「それでどうするの?」


「これには外音取り込み機能が付いているので、会話が聞けるかもです」


 エマは床に落ちたものを拾うふりをして、イヤホンの片方を床に転がした。イヤホンはうまい具合に二人の足元に転がる。テーブルで作業をしている二人はそれに気付かない。見事な手際だった。さすが忍者好きなだけはある。


 エマはまた椅子に座り、もう片方のイヤホンで音を聞いている。


「どう、何か聞こえる」


「……はい、どうやら今週の土曜もここで会うみたいです。そこで大学の友達に彼氏として紹介すると言っています。あ、女の人帰りましたね」


「彼氏?」


「はい、聞き間違いでなければ、確かにそう仰っていましたよ。あ、ユータも帰るみたいです」


 私たちはテーブルに顔を伏せて、気付かれないようにやり過ごした。誰もいなくなった後で、イヤホンを回収する。


「ミズキ、やっぱりこういうことはよくないですよ。明日、ユータに事情を聞きにいきましょう」


「……今週の土曜って言ってたのよね?」


「ミズキ?」


「現場を押さえるわよ! 今度はバレないように変装するわ」


「はあ、わかりました。面白そうなので、とことんやりましょうか。おそらく、わたしたちの勘違いでしょうけど……」


 浮気なんて絶対許さないんだから。覚悟しておくのね、高槻悠太。決定的な証拠をつかんで目の前に突き付けてやる。




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 今日も読んで頂きありがとうございます。明日も19時ごろ更新です。

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