16話 家に帰ると妹が映画のものまねしている件について ※(ギャグ回です)

 どうしよう私、勢いだけでここまで来ちゃったけど、なにも考えていない。何をするつもりだったのか、30分前の私に問い詰めたい。彼と手まで繋いでしまったし。


 私は隣に立つ、高槻悠太を見つめた。勝手なことをして怒っていないかな。彼は家の鍵を取り出すと、私のことを見返した。


「ボロいマンションで悪いけど、まあくつろいでくれ」


 彼は鍵を差し込んで、ドアを開ける。しかし、入ろうとはしない。


「ありがとな、篠原」


「え?」


「お前が来てくれて助かる。正直、俺もどうしていいかわからなかったんだ。そばにいてやれるだけで、気の利いたことも言えないからな」


「バッカじゃないの。そんなことわかってる。いいから私に任せなさいよ」


 私はまた強がってそんなことしか言えなかった。本当はなにも良い考えなど浮かんでもいないのに。


 それと、彼の妹が少し羨ましかった。私の時は、一緒にいてくれる人なんていなかったから。いや、ルイ先生だけは日本まで来てくれたんだ。どこにいても、私のそばにいると知らせるために。


「いま思い出したけど、妹がお前の大ファンだって言ってたような気がする。きっと喜んでくれるな」


「私のファン?」


 学校での評判が良いことは知っているけれど、まさか中学生にまで知れ渡っているなんて思いもしなかった。けれど、それなら好都合だ。妹さんに気に入られれば、一気に彼とも家族公認の仲になれるわけだし……。


「なんかいま邪なことを考えなかったか?」


 こちらの考えを見透かすように彼は言う。


「べ、別に、なにもやましいことなんか考えてないわ」


「そうか、なんかすごいニヤついてたぞ」


「うっさい、とっと行くわよ」


 二人で家に入って、荷物をリビングに置いてから妹さんの部屋のドアの前に立つ。


「言い忘れてたが」


「なに?」


「妹はかなり変人だ。覚悟してくれ」


「別に気にしないわよ」


「ならいいが」


 ドアにノックをしてから、彼が声をかける。しかし、返事がない。


「寝てるのか?」


「でも、音楽が聞こえる。微かだけど」


 私は耳をそばだてる。やっぱり、何かの曲が聞こえる。スマートフォンで音楽でも流している感じだ。楽器はいろんなものが混ざっているようで、はっきりと断言できない。


「曲名はわかるか?」


「いいえ。でもクラシックじゃない、前衛音楽って感じ」


「そうか……」


 彼は少し考え込んでいる様子だった。


「開けた方がいいんじゃない、もしものことがあったら」


 最悪の事態を私は想像してしまった。もし、妹さんの身に何かあったら、一刻の猶予を争うかもしれない。


「待て、篠原、いまは入らない方がいい」


「何言ってるの! 急いだ方がいいわ」


 私は彼の警告を無視して、部屋に入った。部屋の壁をポスターが覆い尽くしている以外は普通の部屋だ。先ほどの音楽はベッドの側から聞こえる。


 ベッドの上に短い黒髪で色白の可愛らしい女の子が横たわっている。なぜか透明なチューブが鼻に差し込んである。まさか、薬物を吸ったのだろうか。覚せい剤で中毒を起こしたのなら、危険な状態だ。


 私はすぐに少女に近づいて、意識があるか確認しようとする。すると、彼女の体が波打つように激しい痙攣を始める。ベッドまで揺れるほど痙攣を続ける彼女は白目をむいて、獣のように唸っている。


「大丈夫、いま助けを呼ぶから」


 私がスマフォを取り出した刹那、彼女の口から真緑の吐瀉物がすごい勢いで吐き出され、スマフォを握っている手にべったりと張り付いた。


「きゃああああああああああああ」


 思わず絶叫してしまった。そんなことで怯んでいる場合じゃないのに、足が震えて立ち竦んでしまった。


「ウガァ! ウギャア!」


 少女が繰り返し呻いている。きっと苦しんでいるんだ。早く、救急車を呼ばなきゃ。


「篠原、大丈夫か」


 遅れて飛び込んで来た彼の声が響いた。


「私より、妹さんが……」


 ベッドに近づいて、ひとしきり彼女の様子を観察すると、彼はポツリと言った。


「『エクソシスト』だな」


 その瞬間、妹さんの痙攣がピタリと止んだ。


「え?」


「このテーマ曲、『Tubular Bells』だろ。ということは『エクソシスト』の一作目だな」


「ピンポーン、正解でーす!」


 妹さんが急に起き上がって言う。白目も治っているし、苦しんでいる様子もない。私はあっけに取られて何も言えなかった。


「って、お兄ちゃん、この超絶美少女は誰ですか? 白目にしてたから全然気づかなかったです」


「あのなぁ、少しは加減しろよ。篠原が驚いてるだろうが」


「おお、あなたが篠原氏でしたか。初めまして、妹の高槻よしのです」


「あ、あの、大丈夫なの?」


「ええ、ピンピンしてますよ」


 良かった。あれは演技だったんだ。あまりに迫真すぎて、救急車も呼べなかったけど。


「おまえ、この緑色のゲロはなんだ」


 彼が私にタオルを渡してくれる。それで妙に粘性がある緑色の液体を拭った。


「よくできているでしょう。ミルクと野菜でスムージーを作りました。やっぱりリアリティに拘りたいですからね」


 鼻に刺さったチューブを引っこ抜いて、よしのちゃんは嬉しそうに語っている。


「おまえ、まさか夕飯の材料を使ったんじゃないだろうな」


「へ? ダメでしたか?」


「今日、飯抜きな」


「お兄ちゃん、それはあんまりですよぉ」


 慌てて謝り始めるよしのちゃんを見て、私はすっかり安心して、笑ってしまった。


「面白いのね、よしのちゃん」


「篠原氏に褒めらましたよ、お兄ちゃん」


「うるさい、恥かかせやがって。いいから掃除手伝えよ」


 私は二人がときおり口喧嘩しながら仲睦まじく床に飛び散ったスムージーを掃除するのを眺めた。彼がこんなに感情を露わにしているところを初めて見た。家族ってこういう感じなんだ。ちょっと、よしのちゃんに妬いてしまいそうだ。


「仕様がないから、今日は外で食うか」


「お兄ちゃん、うどんです! いまうどんの気分です!」


「うるさい、お前に選択権はねえよ! 篠原も一緒に行くか?」


「うん、行く。一緒に行かせて」


 荷物を持って私たちは外に出る。よしのちゃんはずっと賑やかに喋りながら、高槻くんにべったりくっ付いている。私はそんな二人を後ろから、観察する。さっきは面食らったけど、こんなに明るく振る舞うよしのちゃんが不登校だなんてとても信じられない。


 もしかしたら、それも演技なのかもしれなかったけど。私は二人に遅れないように歩調を早めた。



 



 

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