15話 キューブラー・ロス

 図書委員の仕事は意外と厄介だ。決まった曜日に昼休みと放課後、図書室に行って、司書の仕事を手伝ったり、カウンターに座って貸し出しと返却の対応をする。別に難しいことなどなにもないが、帰る時間が遅くなるのが一番のネックである。


 クラスの誰もやりたがらないのも当然で、休んでいた俺にこの役割が押し付けられたわけだ。


 昼休みはともかく放課後は特に退屈だ。我が校の生徒は読書に興味がないらしい。利用者はほとんどいなく、図書室にくる生徒も、勉強や友人との他愛のないおしゃべりに来るだけで、本を読みに来るやつは本当に希少だ。


 俺はカウンターに座っているだけで、ほとんどやることもなく退屈な時間を過ごさなければならない。


 しかし、悪いことばかりでもない。ほら、今日も来た。美少女が。

 

 図書室のドアが開いて、篠原が入って来る。放課後、よくあいつは本を借りにやって来るのだ。俺が当番の曜日だけでも、頻繁に見かけるから足繁く通っているのだろう。


「また来たのか」


「別にいいでしょ、が好きなんだから」


「熱心だな」


 頭が良いやつは、やはり本をたくさん読むようだ。篠原も例外ではなく、読書家らしい。彼女はカウンターに寄りかかって、俺に返却する本を手渡してくる。


「もう読み終わったのか」


「ええ、このくらいわね……」


「また同じ作者の本を読んでたんだな、そんなに面白いか」


 俺は篠原が読んでいた本の著者名を見る。キューブラー・ロス、変わった名前だ。当然、本をあまり読まない俺はどんな作家なのか知らない。


「べ、別に、単なる暇つぶしよ」


「ふーん、そういうもんなのか」


 まあ、俺もラノベとかくらいなら暇つぶしに読んだりする。ソードアートオンラインとか、ゲーマーズとか、読みやすい上に面白いから、本屋に通りかかったら続きを買ったりする。その程度だ。


「この時計ってさ」


 篠原はあの腕時計をはめている左腕を俺に見せる。


「説明書に書いてあったけど、2年くらいで電池が切れてしまうのよね」


「ああ、そのことか」


「ここ卒業した後くらいにはもう止まってしまうのかなって思うと残念というか、寂しいというか」


「それ、嘘だぞ」


「へ?」


「実際は6、7年は動くらしい。15年以上動き続けたって話もあるくらいだ」


「でも、説明書には2年って書いてあったけど」


「まあ、メーカーも余裕を持った数字を書いてるんだろう。使い方にもよるけど、2年以上はもつから安心しろ」


「そっか、そうなんだ」


 篠原はなぜか嬉しそうに顔を綻ばせる。


「それに電池が切れても、交換すればまた使えるからな」


「それじゃあ、いつまでも外せないね」


「ん? ああ、壊れるまで使い倒せばいいさ」


「うん、そうする」


 篠原はどうしてこんなことを聞いて喜んでいるのか俺には理解できない。金持ちなんだから、時計なんていくらでも買ってもらえるだろうに。まあ、物を大事にするのは良いことだけれど。


「そうだ、篠原。この前は悪かったな」


「この前?」


「タピオカ。誘ってくれたのに、断って先に帰っただろう俺」


「べ、別に気にしてなんかないわ。……でも、埋め合わせはしてくれるんでしょうね?」


「……そうだな、なにか考える」


「そうね、このあと一緒に買い物付き合ってくれたら、許してあげても良いけれど」


「悪い、今日も早く帰らないとだめなんだ」


 烈火のごとく怒るかと思ったら、篠原は急に項垂れてまたあの時みたいにぶつぶつ独り言を言い始めた。もしかしたら、呪詛の言葉でも唱えているのかもしれない。


 せっかく篠原が誘ってくれたのにそれを断らなくてはいけないのは、俺としても申し訳なかった。しかし、妹の面倒をみなくてはいけないのも事実だった。


「あの日、帰るのが遅いって妹がすごく怒って、終いには泣き出すくらいでさ」


俯いていた篠原が顔をあげる。


「妹さんは何歳なの?」


「もう中3だよ」


「中3でそれって……よっぽどブラコンなのね」


「違う、そうじゃない」


 妹が懐いていたのはどちらかといえば、親父の方だ。篠原には、本当のことを言うべきだろうか。口は堅いだろうけど、違う、そんなことを気にしているのではない。


「妹は学校に行ってないんだ。親父が死んだ日からずっと、一日中、家にいて、塞ぎ込んでる。だから、誰かがそばにいてやらないといけない」


 母は仕事が忙しく帰りも遅い。妹の面倒を見れるのは俺だけだ。


「バカ、なんでもっと早く言わないのよ……タピオカなんてどうでもいいじゃない」


「篠原?」


「早く帰るわよ、急いで」


 篠原は俺を手を掴んで、無理やりカウンターから引き摺り出す。


「でも、図書当番が」


「誰も本なんて読まないわよ。いいから早く案内して」

 

 どうやら篠原も付いて来るつもりらしい。それはとても心強いのだが、どうしてそんな悲しい顔をしているんだろう。図書室を出て、俺の手を引きながら廊下を歩く彼女の背中を俺は黙って見ていた。話すべきじゃなかったのかもしれない。あんな顔をさせたくはなかった。俺はあいつの笑っている顔の方が好きなんだから。


「……私のせいだ。私があんたを連れ回したから」


「違う、それは違うぞ」


 俺はなんどもそう言ったが、篠原には届かなかった。電車に乗り込むまで彼女は俺の手を離さなかった。

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