夜枕の絵本

高橋秀作(夜枕の絵本スタッフが更新中)

バベル ①

プラチナ通りの銀杏並木をくぐり抜けると、白亜の高層マンションが目の前に飛び込んできた。地上40階のレジデンス棟に住んでいるのは、憧れの大物女優や舞台俳優だ。松島早苗(まつしまさなえ)は、ピンヒールブーツをアスファルトに打ち付けると、スマートフォンの画面に目を落とした。画面に映ったのは、3日前に表参道のネイルサロンで仕上げたピンクと白の花びらネイル。我ながら良い出来だと思う。派手過ぎず、主張し過ぎない。柔らかな色彩の小ぶりなラインストーンも気に入っている。
早苗はツイッターのアカウントを開き、こんな文面を投稿した。

 

〈今夜はコルトン・シャルルマーニュ、95マルゴー、ルソーの09シャンベルタンと添い寝どす。女2人のサタデーナイト〉

 

「あの、ちょっとすみません。ばびろん玲子(れいこ)さんですよね」
早苗は背後の声にハッとした。自分よりも5歳は若く見える女子大生風の女の子が上目遣いで立っている。ビビットオレンジのニットが初々しい。
「あぁ、はい」
早苗は伏し目がちに返事をすると、右の睫毛を中指で押さえた。ちょっとでも大きな瞳を演出するための自然な仕草だ。この子、どこかで会ったことがあったかしら。ミッドタウンレジデンスで催された異業種交流会に居合わせた弁護士志望の子、いや違う。中目黒のパパ活パーティーで出会った女子大生かもしれない。
彼女は早苗の柔和な首肯に安堵の表情を浮かべると、前のめりで言葉を続けた。
「やっぱり、ばびろんさんですよね。あのー、いつもツイッターを見てて。あたし、ホントに憧れてたんですよー。ホントに毎日見てるんですよ」
彼女が差し出してきたスマホ画面には、早苗が1日前につぶやいた文面が並んでいた。

 

〈ハリー・ウインストンで落ち合って、かねさかでお鮨つまんで、リッツ・カールトンにステイして〉

 

彼女の質問攻めは続く。
「このつぶやき、ホント最高です。銀座のかねさかっていうお鮨さん、一度行ってみたかったんですよね。やっぱり美味しいんですよね。きっと予約取れないですよね」
そう言うと、肩をすくめて笑った。
早苗は、ツイッターではちょっとした有名人だった。「ばびろん玲子」というハンドルネームでツイッターを始めて4年が経過している。年間400件、計1600件以上のつぶやきの大半は、日常生活の赤裸々な告白だった。例えば、その年の晩夏には、こんな文面を連投し、フォロワーの間で話題となった。

〈日本でいうと夏の終わりは9月かしら。秋深くなりし頃、ばびろんさんはプライベートヴィラでプール開き〉
〈秋冬物のお買い物は、アイテム一つにOL1ヵ月分のお給料が余裕で飛んでいく。今月だけで株式会社ばびろんは何人のOLを雇ったのかしら〉
〈いまのシーズンのばびろん玲子さんはサントリーニかサルデーニャ。イビサあたりにいます。そして、ときどき港区。来月に入れば、コモ湖も良いかしら〉

 

すると、瞬く間にツイッターは拡散し、ネット上には「こいつ何者なの」「羨ましすぎる」という書き込みが殺到した。早苗は、そんなネット上の反応を楽しんでいた。世間では、港区に棲息し、誰もが羨む日常を送る若い女性を「キラキラ女子」「港区女子」というらしい。私はその称号に相応しい女なのだ。
「あ、いま新しいツイートが届きました。へぇ、今日は女子2人で高級ワインの会なんですかぁ。やっぱり、ホント憧れます。私もいつかばびろんさんみたいになりたくって」
早苗は、彼女が一瞬こちらに目を向け、マツエクに目をやったのを見逃さなかった。こんな小娘に愛嬌を振りまいている暇はない。

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