第一章 HIPHOP的な彼女

 高校生になった今でも、第三土曜日の昼は凛奈の家に行くのが恒例となっている。


 凛奈の家は遠い。同じ県であるものの、方や西の端、もう方や東の端で片道行くだけでも特急で1時間半かかる。小学生の頃は隣同士だったのだが、中学校上がると同時に少し離れ離れになってしまった。それでも僕が未だに凛奈の家に行くのには理由がある。


「今日も来てくれてありがとう、武瑠君。いや、本当なら武瑠様と呼ぶべきか。すまない、恩人なのに礼儀がなっていなくて」


 凛奈の家に上がると必ず凛奈のお父さんが出迎えてくれる。凛奈の母親は凛奈が小さい時に亡くなった。それ以降男手一つで凛奈を育てて来たのだ。

 ただこの人、大学の教授だからかかなり変わった人である。困ったことに、とあることがきっかけで僕のことを崇め奉っているかのような言動を端々に見せるのだ。僕なんて何の変哲もない普通の人間なのに。


「変にかしこまられると馬鹿にされているような気がして、そっちの方が嫌です。普通に君付けで呼んでください。……次も同じことを言わせないでくださいね?」

「本当に申し訳ないと思う。ただ、こうやって先に許しを得ておかないと、自分自身の気が済まないのだ」

「面倒なので未来永劫許可します。これでいいですか?」

「今の君が許可したとしても、未来の君が許可するかどうかはやはり別問題だ。人間、気が変わるなんてことがいくらでも起きうる。過去に言った言葉も言わなかったことにする人間だっている。君がそういう人間だと思っているわけではないが、ただ君の変化をありのままに受け入れた上で礼儀を貫き通していたいんだ。なぜなら、私は君に対して尽くしても尽くしきれぬ恩があるのだから」

「そんな恩、ありませんよ。僕はただ自由に振る舞っていただけです」

「君が自覚的でなかったとして、君の『超能力』の恩恵に与ったことは確かなのだ。キリストが現代人を救っていることに自覚的でないとして、救われた人がキリストを崇拝しない理由はどこにある?」

「おじさん、昔みたいに『超能力』って言っておけば喜ぶと思っているんです? 僕もう高校生なんですよ」


 確かに小学生の頃、この人に『超能力者』って言われて有頂天になっていたことは事実だ。でも、もう高校生だ。自分に何の能力もないことは、自分が一番知っている。そして何の秀でた能力も持っていないことに、少しだけ苦しんでいる。


「僕には何の能力もありません。奇跡を起こしたわけでもありません。凛奈が自分で努力して喋れるようになった、ただそれだけのことです」


 本当に、ただそれだけでしかないのだ。


「言葉の力というのは本当に強く、素晴らしく、そして思うようには操れないものだ。君は君の言葉によって凛奈に君の思うままの影響を与えた。そしてそれはまだ科学じゃ再現出来ない。少なくとも、上っ面をなぞることしかできない。それは君にしか備わっていなかった能力だ。科学の一歩先を進んでいる」


「仮にも大学で学問を教える人が、超能力なんて言ったら生徒に笑われますよ」

「そうだな、それは私の言葉が悪かったのかもしれない。なにぶん言葉を操る能力は未熟なものでね。ただ、そういった超常的現象を扱う学問として超心理学というものは実際にある。もっとも私は専門外だし、そもそも再現性のないものは本質的に学問にはならないがね」


 大学の教授というものはみんなこんなに頭が固いものなんだろうか? まあでも、好意的にとらえてくれる分にはそれに越したことはない。凛奈も年頃の女の子だ。普通なら、男というだけであまりいい顔をされないだろう。


 凛奈の家はバリアフリーが行き届いていて、車いすが通りやすいように廊下には一切の物が置かれていない。そのためか生活感があまりない。ドアは全てスライド式になっていて、僕がノックを二度するとしばらくしてドアが小さく開く。それを僕の側で大きく開けてやるのがいつもの挨拶だ。


「よう、遊びに来たぞ」


 扉を開くと、凛奈が好きなHALUというラッパーの壁紙が四方から笑いかけてきて、少し不気味な気分になる。部屋の中は整理整頓が行き届いていて、当然のように床に物は一切ない。

 凛奈は少し考え込みながら、車椅子を一歩二歩と後ろに引かせた。


「そう。眠そうな顔をしてるけど、まどろみに来たの間違いじゃないの?」


 凛奈は話の流れを作って韻を踏もうとする。


「まるで遠足の前日のよう、夜が明けるのを楽しみに待っていた、きっとそんな顔ね」

「楽しみで眠れなかったわけじゃない、怒りに打ち震えて眠れなかったんだ」

「痛み・憎しみに狂っていたのね、その心の中で」


 そう言うと凛奈はニヤっと笑った。それからあたかもマイクを向けるかのように、あるいはグッジョブとでも言わんばかりに、拳に突き立った親指を僕の方に向けた。

 いつからだろう、凛奈が会話の中で韻にこだわるようになったのは。最初は連想ゲームだった。言葉を覚えたての凛奈は、次の言葉が浮かびやすくなるという理由で連想ゲームのように話を繋げていった。それがいつの間にかしりとりのようになり、そしてそれが更に変化して言葉と言葉の間に音の関連を持たせるようになった。きっとそれの名残であり進化形なんだろう。僕みたいな一般人からすればものすごく制約のキツイ『縛りプレイ』のように見えるけど、凛奈にとってはそれが一番自由に言葉を操れる方法なのかもしれない。

 しかも芸が細かいからパッと聴いただけではわからなかったりする。凛奈も特に説明しようとはしないから、きっと僕が気づかず消えていった韻も沢山あるのだろう。過去でも未来でもなく、今その瞬間を彩る刹那的な芸術と言えそうだ。


「君って本当にHIPHOP的だな」


 僕がいつものようにそう感想を漏らすと、「わかってないな」とでも言うように凛奈は深く溜め息をつく。


「ただ韻を踏むだけじゃHIPHOPじゃない。韻はグルーヴを生む手段。魂に芯をきちんと持って、聴いてる誰もがピンとくるような言葉で韻を踏む、それでようやくHIPHOPなんだ。ただ言葉遊びしてるだけじゃ、ままごとと何ら変わらないの」


 凛奈のHIPHOPに対するこだわりは、会うたびに強くなっていっている気がする。元々は韻を踏むことに対する興味から始まったはずなのに、いつの間にか興味の範囲が広がり、韻を踏まないような曲も聴きはじめ、好きなラッパーが出来、そして今ではバトルに興味が向いている。

 HIPHOPという概念は非常に好戦的だ。自分を構成する全ての要素に精一杯のリスペクトを送る一方で、そうでない物に対しては最大級のディスを浴びせる。ある意味人間の原初的な性質が剥き出しになったもの、それがHIPHOPの最も根源にある原理だ。ただし、お互いに争い排斥しているだけでは文化というものは発展しない。だからその好戦的な性質を一つの文化に集約して押し込めた。それが今一大ブームを巻き起こしている、フリースタイルバトルという、即興のラップバトルだ。凛奈は今、その文化に片足を突っ込んでいる。


「君はいつもふわっとしたことだけを言って上っ面しかなぞらない」


 凛奈のお説教はまだ続いている。


「百聞は一見に如かず。フラットな目線を持っているつもりなのかもしれないけれど、一度だけでいいから名曲をその耳に喰らってさ、それから『なんて素晴らしいんだ』って唸ってさ、そして心のままに歌ってみれば、きっと本質がわかるはず。あまり大量に摂りすぎるとクラッと来るかもしれないけれど」

「検討するよ」

「検討って……頭固いなぁ。考えるよりも先に一緒に飛び込もうよって言ってるのに。まあでも念頭には置いといて」


 今更飛び込まなくとも、凛奈と話をしているだけですでに片足を突っ込んでいるようなものだ。元々全く知らないわけでもないし、HIPHOPが自分にとって本当に素晴らしいものであるのなら、全身が浸かりきるのもきっと時間の問題だろう。


「ところで、今日は一体何を聞かせてくれるの? そのために来たんでしょ?」


 その通りだ。僕が凛奈に会いに来る理由、それは凛奈のためとか、凛奈のお父さんのためとか、決してそういう理由ではない。自分自身のため、自分の創作をブラッシュアップするため。


「さあ、今日の話を聞かせて頂戴」


 いつだって、この瞬間が一番緊張する。

 僕は語り始めた。アイツに虚仮にされた、思い出すのも屈辱的なこの物語を。

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言葉の音は理の外側 クロロニー @mefisutoshow

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