終章
終章
「だけどそもそも、有希さん。もう一回教えてください。あなたは、本当に、点滴の使い廻しがあったという事を、目撃したんですか?」
と、ジョチがもう一回言うと、また看護師たちの顔が変わる。今度は神頼みでもするように、もう二度と言わないで!という顔をしている。
「ほら、有希さん、もう一回言ってみてくれ。君は、水穂さんに対して、看護師たちがずさんに扱っていたのを見てしまったんだな。それで、水穂さんが可哀そうになって、その気持で頭が一杯になって、その全容を言えないでいる。でも、其れは、君が悪いことじゃないんだよ。それをしようとしていた、看護師が悪いんだから。目撃した君は悪くない。寧ろ、悪いことを許せないでそうやって泣くんだから、とってもいいことだよ。」
チャガタイが、有希の背中をなでてやりながら、優しくそういうのだが、有希は、それでも発言することは出来なかった。
「あの、すみません。皆さん出て行ってもらえないでしょうか。」
ふいにジョチが言った。
「おそらく彼女は、皆さんの視線が怖くて発言してくださらないのだと思うんですよ。いくらあなたたちが隠そうとしたって不正は、必ず暴かれます。其れはいくら先延ばししても必ず!」
看護師たちは、もうだめだと首をだらっと垂れたまま、黙ってそこにいたままだった。
「わかりました。あなたたちが、そういう事を、するのであれば、僕たちがでていきましょう。僕たちは、ただ、真実が知りたいだけなのに、それを隠し通そうとし、それを、正しい事をしていると思い込んでいる、おかしな人たちが多すぎます。こんなところに居ては、先が思いやられる。」
とジョチはため息をついて椅子から立ちあがった。
「水穂さんは何処にいるんですか?」
チャガタイが聞くと、
「処置室で寝てます。先生が、もうマラスムスみたいに衰弱していると言ったから、ブドウ糖の点滴の処置をしているんです。」
と、一人の看護師がそうこたえた。
「じゃあ、僕たちもそこに行きましょう。」
ジョチは、彼女に立つように促した。チャガタイがそっと肩をかけてやって、有希のそばについて付き添っていた。看護師たちは、もう何も言わないで、三人がでていくのを見送った。
処置室に行くと、一番端のベッドに水穂が寝ていた。グレイヘアの、かなりベテランと思われる、高齢の看護師が一人、そのそばについてやっている。
「あれれ、あたしが見たときは処置室の椅子の上で寝かせられていて、、、。」
有希が、おもわずそう言ったため、やっぱり、不正があった事は事実だとジョチもチャガタイも確信した。
「あ、この人のご家族の方ですか?」
その看護師は、三人の方を向いた。
「あ、知人です。」
ジョチがいうと、
「そうですか。あたしがすり替えて置きました。良かったわねえ。この人、そのままだったら、たいへんなことになっていたかもしれないから。」
と、その看護師は言った。
「というと、どうなっていたという事でしょうか。」
ジョチが又聞くと、
「ええ、怖いところでした。若しかしたら、ブドウ糖ではなくて、別の人の点滴を入れられるかもしれなかった。こんな人がまだいたんですね。あたし、子どものころに見たことあるんですよ。こういう柄の着物を着て、道路で物乞いをしていた人がいたこと。」
「そうですか。出来ればわかい看護師さんたちにも、それを教えてやってくれませんかね。」
チャガタイが、おもわずそういうと、
「いいえ、無駄でしょう。彼女たちは、安全教育ですから、そういう人には近づくなって、学校とか親から、しっかり教育されてますでしょう。だから、こういう人が来ても、治療してやろうという気にならないんですよ。誰でも医療を受けなければならないって、教えられてはいませんもの。」
と、看護師は答えた。
「そうですね。生まれながらに自分に順位をつけて、其れよりうえをうえをしか、頭に無かった世代ですから、ある意味しょうがないかもしれないですよね。」
ジョチも、そういう事を言って、苦笑いした。
「そういう所からも他人の命の貴さというのは、把握できないのかもしれないですね。」
「出来れば、おばさんが、あの馬鹿な連中の前に出て、しっかりしかってやれないモノでしょうか。もし、違う人の点滴入れられたら、水穂さんは助からなかったかもしれないんですよ。」
有希がそういうと、優しいおばさんは、
「いいえ、あたしは准看だもの、正看護師の彼女たちに、文句は言えないわよ。」
と、にこやかにわらった。
「さ、もうちょっとで点滴も終わりますから、そうしたら、お宅へ連れて帰ってやって頂戴ね。といっても、点滴したからと言って、それでおしまいにしちゃだめですよ。ちゃんとおいしいもの作って、食べさせてやってね。もう、あんな風に泣いちゃだめよ。」
おばさんは有希に言った。たしかに、点滴の中身は、もうかなり減っていて、もうすぐ点滴が終了することを示していた。
数分後。
「さ、おわりました。これで終了です。終わったら、受付から指示があると思うから、待合室でまってて下さい。」
おばさんは、点滴の中身が終わった事を確認し、水穂の肩をたたいて終わりましたよと優しく言った。水穂はちょっと動いた様であった。それを見て、有希も、ほかの人たちもほっとする。
「多分動けないようだから、俺が連れていくよ。」
チャガタイが、ヨイショと水穂を抱え上げた。その間にジョチは、小園さんに電話して、おおきめのワゴン車を持ってきてもらうように頼んだ。
病院ですべての用事が終わると、水穂たちは、小園さんが運転してきてくれたワゴン車で製鉄所に帰った。小園さんが、正門の前でクルマを止めると、
「あ、姉ちゃん!何処に行っていたんだよ!」
と、ブッチャーが血相を変えて飛びだしてきた。
「俺たち、てっきり二人で心中でもしたのかと思って、今、警察に連絡しようとしていた所だったんだよ!」
「まあいいじゃないですか。今回、お姉さんのご活躍のおかげで、また不正をしていた病院を見つけ出すことが出来ましたから。許してやってください。」
と、ジョチの明るい返答のおかげで、ブッチャーは、怒るにも怒れなくなって、大きなため息をついたのであった。
とりあえずチャガタイが、水穂を製鉄所の中へ連れ込んで、再び布団の中へ寝かせてやった。ブドウ糖を点滴してもらって、やっと水穂も落ち着いたらしい。咳き込むこともなく、しずかに眠っている。
「おい。もうそろそろ、晩御飯の時間じゃないのか?」
水穂もどってきたことに気が付いたのか、おいしそうなヴィシソワーズスープの入った器をもって、杉三がやってきた。多分ブッチャーが、姉ちゃんを探すのを手伝ってくれといって、杉三を呼び出したのだろう。
「よし、食べさせようぜ。せっかく病院行ってきたんだったら、それでは食べてくれるチャンスかもしれないぞ。どんな事でも、悪いことでも必ずなにか、いいことを含んでいるもんだからなあ。」
杉三のこの言葉に、みんな、すごい脳内変換力だと聞いてあきれた。杉ちゃんのこの才能は、ほかの誰にもまねできない、すごいものだと思われる。
ところが、それを別の意味にとったものがいた。
「ねえ、私にやらせてくれない?」
ふいに有希がそういうことを言い出した。彼女もまた、その事例に対して別の何かを感じ取ったのだろうか。
「はいよ。」
杉三は、平気な顔をして、彼女にお匙を渡した。
「水穂さん、ほら食べよう。せっかく点滴してもらったんだから、これが無駄にならないように食べよう。」
有希は、受け取ったお匙をそっと水穂の口元へ持っていく。多分きっと、また咳き込んで吐き出してしまうのではないかと、誰もが思った。切り替えの速い杉三なんかは、布巾を取って、吐瀉物を拭き取ろうと構えた位だ。
ところが水穂は、中身を口の中に入れると、ぐいっという音をたてて、それを飲み込んだ。
「おう、食べたぞ!こりゃあ、若しかしたら奇跡といえるかもしれないな!」
と、杉三が、にこやかにいう。
「うん、、これはたしかに奇跡だ。そしてうちの姉ちゃんが初めて人のためになにかをした。」
ブッチャーは腕組をする。
「点滴、効いたんですかねえ。若しかしたら、不正を働いたのは、あのおばさんだったのかもしれませんよ。ブドウ糖を点滴しただけで、飲み込む力が回復するとは思えませんもの。」
と、ジョチが言った。若しかしたら、、、そっちの方が正解だったのかもしれない!
「多分きっとそうだよ。だって、あのおばさんのいうとおりなら、誰一人、水穂さんの事を助ける筈がないもの。」
チャガタイのいう通り、助けないというのが正解だからだ。水穂のような身分の人間は、道路で倒れても放置しておけ、というのが正しい答えだからだ。
「騙されましたね。僕たちは。」
ジョチも苦笑いする。
「まあいいじゃないかよ。おかげさまで、水穂さんは助かったんだよ。悪いところをつつきあうより、よかったことを喜びあおうぜ。」
杉三だけが一人、カラカラと笑うのだった。
有希はもう一度、匙を器の中へ入れて、スープを取り、
「さあ水穂さん。」
と、今度はにっこりしながら言った。
普段から役に立たないと言われていた有希が、初めて誰かの役にたった「瞬間」でもあった。製鉄所の窓の外には、夕日が優しく陽を落として、杉三たちを照らしていたのであった。
Moment 増田朋美 @masubuchi4996
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