第七章
第七章
同じ病院の耳鼻科の診察室では、一人の男性患者に対する、診察が行われていた。医者はこの患者に対しては、非常に慎重に言葉を選んでいた。そうでないと、この患者は、自分たちのポジションを、取っ払ってしまう可能性があるからである。彼には、弟と言われている一人の男性が付き添っており、さらには、お抱えの運転手までいた。
とりあえず、診察は終わって、彼はなにかぶつぶつ文句を呟きながら、診察室を出て行った。
「結局ただの風邪ですか。」
と、ジョチは言った。一緒に歩いていたチャガタイが、心配そうな顔でこういうのである。
「それで良かったじゃないか。俺、診察受けている間ハラハラドキドキして、どうしようもなかったよ。よし、何はともあれ、めでたしめでたし。」
「何を言っているんですか。ただの風邪でしたら、経済産業審議官と会食出来た筈なのに。急ぎの相談事というか、大事な話があるから、すぐに来てくれって、東京に行くのが前々から決まってたんですよ。それなのに、少しばかり鼻血を出しただけで、敬一が血相を変えて、病院に行こうぜ!何ていう物ですから、僕のほうが面食らった位ですよ。」
と、ジョチはがっかりした顔で言った。
「そうだけど、兄ちゃん。審議官よりも体のほうを大事にしないとさ。兄ちゃんは、いろんな人から理事長理事長って頼りにされているんだからよ。倒れられたら、いろんな人が困るでしょ。だからこそ、今日は、しっかり薬飲んでよく休んで頂戴よ。」
まだ心配そうな顔をして、そういうチャガタイは、兄ちゃんも、審議官という高級な人に会うくらい偉くなってしまったのか、其れなら余計に健康を大事にしてもらわなきゃと思っているようであった。
「大丈夫だよ兄ちゃん。俺が代わりに審議官さんから電話貰って、ちゃんと、体が悪いので今日はよしてくれと言ったら、審議官さんはちゃんとわかってくれて、じゃあ、一週間でも一か月でも喜んでまたせてもらいますと言っていたぞ。」
「何を言っているんですか。そういう事を言われたら、半分諦めも入っているんです。そういう事をいわれる前に、行動しなくちゃ。」
「そうだけど、体がだめだったら何も出来ないよ。それくらい兄ちゃんでもわかるだろ。ましてや兄ちゃんは子どものころ散々倒れて寝込んだりしたんだからさ、特殊な体質だってことくらい、自覚しておきなよ。」
「そんなこと、四十年以上むかしの事じゃないですか。今更持ち出されても困りますし、今とむかしは違うんですよ。」
「そうだけどねえ、、、。それを言うなら、たしかに今の兄ちゃんは、むかしの兄ちゃんと比べると、各段に偉いわけだからさ、もうちょっと、そのためには健康ってのが大事なんだと、自覚してほしいのだが。」
二人はそんな口論をしながら、病院の廊下を歩いて、丁度総合内科の診察室の前を通りかかった。まだ、会計を済ませていない患者が数人ばかり、疲れた顔をして呼ばれるのを待っている。
「あらあ、総合内科混んでるねエ。そんなに沢山体調の悪い人がいるのかなあ。意外にここで診察受けても、異常のない人が多いと聞いているが、、、。」
チャガタイは、待っている患者を眺めながらいった。
「いえ、単に我慢強さがないだけだと思います。」
スパンと言い放つジョチに、
「そんなことないよ。いくら異常がないからと言っても、本人にはものすごい苦痛なんだからさ。其れに、異常が見つかってからではもう手遅れっていう事もあるんだし。早く症状を自覚出来ればそれに越したことはないんじゃない」
と、チャガタイは言うのだが、最後まで言い終わらないうちに、
「少し黙って!」
とストップを掛けられてしまった。
「どうしたんだよ。」
「いえ、声がしたんですよ。また医者が不正をしたんでしょうかね。」
「は?」
ジョチもチャガタイもおもわず注意深く診察室から聞こえてくる声を聞いてみる。
「本当にもう!」
声は若い女性の声であった。
「どうして水穂さんに対してこんないい加減な処理しかしないんですか。この病院、患者さんに対しては平等に接すると書いてありましたけど、そんな事は大嘘じゃありませんか!」
「水穂さんって、あの水穂さんだよな。」
チャガタイがそっと呟いた。
「ええ、最後まで聞きましょう。」
ジョチの指示で、二人は暫く黙って聞く。
「全くもう、ここの看護師さんは、本当に真剣身がないんですね。どうして、水穂さんの事を見て、汚い人には嫌だ何てそんな事を平気で言うんですか。ほかの患者さんたちには、ものすごく丁寧に施術しておきながら、水穂さんには、平気でがさつにやるんですか!そんな病院、はっきり言って信用できませんわね!」
と、中の人は怒鳴っている。声質から判断すると、若い女性のようであるが、一体誰がしゃべっているのだろう。
「ちょっと行ってみましょうか。」
と、ジョチは診察室の扉に手を掛けた。
「どうしてよ!どうしてそうがさつな扱いをするのよ!」
一人の若い女性が、看護師に詰め寄っている。
「何を言っているんですか。点滴の使いまわし何て、してはいませんよ。そんな事するわけないじゃありませんか。医療従事者何ですから、そんな事はしません!」
詰め寄られた看護師は、そうこたえるが、その女性は納得しようとはしないのだ。
「いいえ、あたしははっきり聞きました!有んな汚い身分の人間に、点滴なんかして何になるのか、どうせ誰かのを、使ってやればそれでいいわって、言っていたじゃありませんか!何ですか、其れともあたしが障害者であるから、みんな馬鹿にして、適当に答えを言っていればいいとでも?馬鹿にしないでよ!あたしは、この人の事が心配で。」
「あれ、うちへ以前働きに来ていた、須藤有希さんではないか?」
とチャガタイが言うと、隣にいた看護師が、
「あれ、この人の知り合いなんですか。もう早く追い出してください。さっきから、点滴の使いまわししてるじゃないかって言って、聞かないんです。」
と言った。
「ちょっと、お待ちください。本当に点滴の使いまわしをしているような事があれば、其れは医療機関として重大な事になりますよね。そこをはっきりさせることが先ず重要なのでは?」
看護師の話にジョチが割って入った。理事長の顔を見て、看護師たちはぎょっとする。
「げっ!どうしてここに!」
「ああ、そうですか。では、点滴の使い廻しは本当にあったという事でしょうか。」
そうきっぱり言われて、看護師は黙ってしまった。
「やっぱりね。そうだまるってことは、水穂さんに、点滴の使い廻しをしたのは本当なのね!」
「一寸待ってください。事の起こりが何であるのか、こちらも全体を掴まないと、前に進めません。有希さんが、水穂さんをここへ連れてきた事はたしかなんでしょうが、そのあと何があったか、知っている人から教えてください。」
ところが、ジョチがそういっても、有希は泣いてばかりいる。それでは、何があったのか、誰も知ることは出来なくなってしまうのだ。
「有希さん。一体ここで何があったのか、教えていただけないでしょうか。僕たちは、何があったかを聞かせてもらわないと、この病院の不正を、公に出来ないんですよ。」
看護師たちは、相変わらずぎょっとした顔をしている。と、いう事は、やっぱり不正があったというのは、確実なんだなという事はわかった。でも、有希はそれまで看護師に言われてきた事で相当傷ついてしまったらしく、その感情を処理することで精一杯何だという事がわかった。
「まあまあ、兄ちゃんの言い方は、たしかにきついからな。ちょっと我慢してくれよ。なあ、本当の事を話してもらえないかなあ?俺たちは、そんなに悪いことはしないからさ。ただ、俺たちは、本当の事を知りたいだけの事なんだよ。それ以外に俺たちは何もしないし、君を馬鹿にしたり、障害者だからと言って、特別扱いしたりすることもしないよ。だから、本当の事、話してくれないかな。」
チャガタイが、そっと、そばにあった椅子を取って、有希の隣にすわった。そうして、有希と対等に目を合わせた。
「有希さん。」
そういわれて、有希はしずかに涙を拭く。
「水穂さんが、どうしても、ご飯を食べないので、私、この病院に連れてきたんです。」
有希は、そう言い始めた。看護師たちは、自分の不正をばらされるという事がもう決定してしまったかという顔をしている。
「先生は、水穂さんの事を診察して、肺結核であるかは病理検査してみないとなんとも言えないが、其れよりもかなり衰弱しているみたいだからって言って。」
そういって有希は、一度言葉を切ってしまった。周りの看護師たちが又ざわつき始める。
「そうなんだね。」
と、チャガタイは優しく言った。看護師は、それ以上言わないでもらえないかしらと、顔を見合わせているが、
「看護師さんたち、本当にあなたたちは、患者さんのためを思ってやっているのでしょうか。本当は、ただ、お金儲けだけで動いているんじゃありませんか。だから、こういう現場では、資本主義と言いますものは、役に立ちませんね!」
と、ジョチに言われて看護師たちは、もうだめだ不正がばれる、と首を垂れた。
暫く沈黙が続いた。有希のしずかに泣く声と、チャガタイが、ようしようしといって、なだめている声が聞こえてくるだけであった。
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