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武家の作法・三献の儀」への応援コメント


  • 編集済

    お答えありがとうございます。そうだったんですね。

    後半の細川藤孝とのエピソードは最近何かで読みました。
    当時の細かな事までお書きになっているので凄く勉強になります

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    それは天正10年(1582)元旦の安土城主郭見学ツアーじゃないかなと思います。
    『信長公記』第15巻の最初にその逸話が書かれています。
    信長公は「今度は、大名小名によらず、御礼銭百文づつ、自身持参候へ」と伝えさせ、やってきた武将たちから自ら受け取りました。

    また細川家に伝わる話で、この時の逸話が残っています。
    天主の内装の黄金の豪華絢爛な輝きに
    『さてさて夥しきことかな!』
    (うわ!むっちゃギラギラしてる!)
    と幽斎が驚きの声を上げると、ドヤ顔で信長公が返しました。
    『八幡金三千枚もった』
    (神に誓って、金三千枚分、貼り付けちゃった)
    それを聞いた幽斎が
    『あやかりまするように』
    (俺もそんな風になりたいや)
    と手を伸ばすと、信長公は
    『弄うまいぞ、あつや坊』
    (触ったらあかんで、このボケ!)
    と笑いながら嗜めました(拙作からコピペしました汗)

    信長公記自体は、ネットでも読み下し文、現代語訳などを公開されている方がおられるので、探してみてください。

    ちなみにためしに
    「信長公記 天正10年正月 御出仕の事」
    でひっかかりました。

    ありがとうございます。