武家の作法・三献の儀

 戦国時代の正式な宴は、酒礼、饗膳、酒宴の三つから成り立っています。

「酒礼」は、現代で饗応に先立って行われる、「乾杯」として受け継がれています。


 中世当時武家では、この乾杯の儀式ばったものが「三献」と呼ばれ、出陣式、大将や大名の首級との対面(首級改)、帰陣式、結婚式、元服、朔日、正月などの宴、そして客を招いての饗応の前に執り行われました。

三献の儀の様式は、結婚式の三々九度、任侠の方の盃の儀式などに残っています。


三献は元は公家文化で、保延2年(1136)、藤原頼長が内大臣に就任した時に行われた、祝いの饗応に於いて饗膳に先立ち、出席者の間に盃を3回回している様子を『台記』に見ることが出来ます。


一つの盃を共有することにより、その場に臨座している人々の間の絆や縁を結ぶという考え方で、出陣式、帰陣式のそれは、神との絆を結び直す儀式になります。


平安時代のように、戦国当時でも一つの盃を回すということは、酒宴でも見られます。


将軍御成も「式正の御成」と「常の御成」(非公式な御訪問)があるように、武家が編み出した儀式、三献の儀、特に主殿で行われるそれは、非常に儀式的なもので、式三献と呼ばれます。

「式」とは「式正の御成」の「式正」からの略語で、正式な、公式のという意味になります。 


式三献は将軍御成、主君の来城、或いは新たに武将が転仕してきた、また同盟を結ぶ折など、主従関係や同盟関係の確認、絆を固める為に執り行われます。


『信長公記』でも、天正二年の正月、浅井長政らの箔濃髑髏で有名な宴ですね。この宴の前に式三献を行っている様子が書いてあります。


『信長公記』巻七

「朝倉義景、浅井下野、浅井備前が三人が首、御肴の事」

「正月朔日 京都近隣の面々等 在岐阜にて御出仕あり。各々三献にて、召し出しの御酒あり。」


織田家の武将たちが、それぞれ信長公との主従関係、同盟関係を確認する盃を頂戴しています。


これは主殿で行われるものと、対面の間で行われるものがありました。

まず主殿で行われる式三献に付いて見ていきます。


 式三献に於いて、自らの城などに迎える側を亭主と呼びます。

客が亭主よりも家格が上になる場合、亭主が盃を頂く側になり、亭主が上の場合、盃を与える側になります。


 御成の場合、将軍の到着はおおよそ午後2時から3時くらいなります。それを亭主は門前まで出てお迎えし、自ら主殿の公饗くぎょうの間へと案内します。

将軍御成を受けるような方は、将軍やその近習たちと顔見知りであるので、自ら出迎えることは、それ自体が保証になります。

また公饗は、供饗とも書きます。


出迎えに関しては、大名同士、他所の家の重臣、あるいは公卿が訪ねてくる場合は取次、相手が顔を見知った男性の家臣、僧侶などが出迎え、同じ家の武将の場合は別段出迎えはありません。



 式三献が行われる主殿は、建築様式としては、公家の住居である宮殿造(寝殿造)に近く、屋根は檜皮葺、入母屋造になり、室内は基本的に板敷きで、置き畳が用いられています。主殿には前庭が作られ、寝殿造同様に白砂敷きになっています。

その中に襖や障子で仕切られた武家の様式と言われている書院造があるというのは、文化の担い手の変化と、それによる過渡期を感じさせますね。


主殿の公饗の間は、書院造になっているということは篰戸や御簾などの代わりに、障子、襖が採用されているということになります。

また床間とこのまが設けられたり、違い棚があったかもしれませんね。


戦国当時は、板床に置き畳が多かったようです。

しかし必ずしもではなく、床木(床机)に腰をかけての三献もあったようです。


 式三献に於いて、この公饗の間に入るのは、迎える側では亭主とその息子たちのみになります。


初献は三男、二献は次男、一番重要な三献目を長男が仕り、亭主は引手物(献上品、贈り物)の役をします。

もし息子が3人いなかったり、乳児の場合、亭主は三献目を自ら注ぎます。

息子がまだいない場合、実弟たちが担います。


将軍御成や武将家に主君が来ての式三献の場合、家を継ぐ可能性の高い嫡男たちの顔を見て頂き、当家の次代の安泰さをアピールする目的があったと考えられます。

時代が下るに連れ、将軍家の地位が低下し、このあたりは家によって異なり曖昧になっていきます。

また室町中期には、儀式において伊勢流、小笠原流など様々な流派が出来、一概にいえない、ということをご了承ください。


 客が亭主の主君にあたる場合、客が席につき次第、亭主の口上と共に、直垂姿の亭主の連枝衆が廊下から太刀や鎧などを献上し、受け取った亭主が御座の左手に飾ります。


それが終わったら、初献が三男の手によって運ばれます。

初献の膳は大きめの折敷おしきになります

「折敷」デジタル大辞泉

https://www.weblio.jp/content/折敷


この上に耳土器みみかわらけに乗せられた箸、それから四つの小型の膳が乗せられています。小型の膳の上にはそれぞれ、箸の向こう左側に三重ねの盃、右側に勝栗、更にその向こう左手に昆布、右手に打ちあわびが乗せられています。

この鮑は特に「ひきわたし」と呼ばれ、膳自体を「ひきわたし」と呼ぶこともあります。

昆布と勝栗は海月くらげと梅干しに代わることもあります。


三献でも、主殿で行わない、正月、朔節の三献や出陣式などでは、このひきわたしの膳のみで執り行われます。


「耳土器」コトバンク

https://kotobank.jp/word/耳土器-639673



まず盃を渡す側の前、左手に膳が据えられ、その後与えられる側の前、左手に据えられます。


おそらく主殿の台盤所で御側衆の僧たちが盛り付けたものを、次の間か、敷居近くまで馬廻が運び、それを受け取り運ぶ形であったでしょう。


続いて次男が運ぶ二献目は「うち身」(刺身)、塩と酢が乗せられ、長男が運ぶ三献目は「腸煎わたいり」(鯉の内臓の味噌煎り煮)、あるいは「あつもの」、それから生姜になります。

羹は、魚や鳥肉などの動物性蛋白質が入った吸い物になります

これらには、口をつけることはありません。


……非常に蛇足なのですが、この「口を付けない」なのですが、史料によっては耳土器の話を書いてない上に「箸を付けない」と書いてあるものもあります。

その為、その史料だけ見た場合、これを「箸を用意しない」という意味に解釈しておられるものもありますので、少しだけ注意をして頂けると良いかなと思います。

昔の史料は省略が多いですし、日本語は難しいですね。


 さて一献目の盃を、盃を与える側が手に取られたら、長柄の銚子で白酒を三男が「鼠尾そび鼠尾そび馬尾ばび」と注ぎます。(参照拙作「戦で御座る①」)

あるいはこの「そび」の時には、軽く盃に長柄銚子の注ぎ口を当て、実際に注ぐのは最後の「ばび」だけであるとする流儀もあります。(『宗五大双紙』伊勢流)

しかし注ぎ口を盃に当ててはいけないともされており、その家や客が誰であるかで、また違うのかもしれませんね。


そして注がれた方も「ちょび、ちょび、ずずっ」と盃を飲み干すと、未使用の盃の横に、使用した盃を置きます。

次に盃を受ける側が、自らの膳から盃を取り飲みます。二献目の盃も同様に飲み干します。膳の上にはそれぞれ使用した盃が二枚重なり、未使用の盃が一枚残っている形になります。三献目の盃は、受ける側は自らの盃を取らず、与える側が自分の飲んだ盃を受ける側へ渡します。盃を頂いた受ける側は、それで酒を飲んだ後、自分の未使用の盃の上にその盃を置きます。それから、お礼に太刀を盃を与えた側に献上します。


使用した盃を伏せるのは、首級改の対面の時のみになります。


この儀式が終わると、御成や主君が来られた場合は裏の付いた直垂を着た重臣が、主殿前の白い砂の敷かれた庭に、献上する馬を引き出してきます。

将軍はそれを見る形で公饗の間から廊下へ移動し、一旦足を止めて馬を見た後、そのまま会所へと移動していきます。


これで、主殿での式三献は終了致します。


 正月や節目の三献の儀は、基本的に対面の間で執り行われます。


特に室町幕府の最盛期には、将軍家では毎月朔日や節会の三献が厳かに行われていました。


しかし幕府の崩壊と共に、段々と簡略化され、廃れていきました。


下国した守護職や勃興した戦国大名家での、それらの史料は待ち合わせがありませんが、わずかに記録されている八朔でも、式三献は無くなって、対面くらいだけになってるのではないかと思われます。

また見つけ次第、追記します。


 それでは正月の三献の儀を見ていきましょう。

室町幕府が力を保っていた時代の将軍家では、朔日より儀式が始まったようですが、大名家では朔日からというわけではありませんでした。


また将軍家では、家格に合わせて出仕する日など異なったようですが、戦国大名家や、幕府の力が衰退して下国したままになった守護大名の家では、家によって違うでしょうが、家中で盃を頂戴する順番こそ守られていたものの、例えば他国衆が増えた織田家では、ある年には他国衆は出仕しなくて良い、戦の後なので来なくて良いなど、結構臨機応変に対処していたようです。


武将家では、正月七日あたりまでの間、忙しく社交生活を過ごしておられます。

天正7年(1579)の正月の深溝城主松平家忠の日記によると、「一日 家中衆が年頭の礼に来た。 二日 夜通りで浜松へ年頭の礼のために下った。夕方に出仕し謡初があった。立春。 三日 松平玄蕃充清宗のところで振舞があった。浜松の家康家中衆へ礼に歩いて廻り、新居(浜名郡新居町)まで帰った。 四日 吉田の酒井左衛門尉忠次のところに礼に寄って深溝まで帰った。酒井忠次は安土へお使いに行かれた。 五日 出家衆が礼に来られた。会下の東堂様に振舞をした。」


一日には家忠自身の家中の召し出しの盃事を行い、夜も明けぬうちに浜松に向かい、二日の夕方から家康との三献と宴会に出席し、三日には浜松在住の家臣たちと交流を深めています。四日にはブロックリーダーの酒井家に向かい、酒井忠次は五日に安土で行われる正月の礼に間に合うように出発している様子がわかります。家忠は五日に菩提寺などの城下の寺僧を迎え、もしかすると家忠も元服前にはお世話になったお寺の門下の僧たちに振舞をしています。

将軍や大名も正月の松の内の終わりあたりに、寺社などとの正月の対面をしますが、これには盃事はでてこないので、今回は省略します。



 さて三献の儀です。

直垂に着替えた殿は、対面の間へと出座されます。守護職など伝統のある家ではこの着替えの折、整髪の係、刀(御腰物)を渡す係(役者)が決まっていたと言います。

また正月の場合、日により、着用する着物が決まっていたそうです。

そういう伝統のなかった戦国大名では、小姓が普通に着替えさせていたかもしれませんね。


正月や朔日の折には対面の間の近くの廊下にはお身内衆(小姓、吏僚の馬廻、吏僚の僧ら)が控え、露払いと太刀持ちの小姓をいつものように引き連れた殿が廊下を進むと、順次頭を下げていきます。彼らは対面の間での盃事はありません。これを御目通りと呼び、御目通りが済むと、彼らは随時退出していきます。


この頃、三献を受ける武将たちは、別室にて待機しています。


お身内衆が全員退出すると、敷居近くに控えていた近習が、対面の間に着座した殿にその旨を知らせるために「面々」と声をかけます。


すると、三献の盃(おおよそ「ひきわたしの膳」のみのところが多い)を乗せた四方の膳を持った配膳役、長柄銚子を持った御酌役、提を持った加え役の近習が入ってきます。


天正6年(1578)の織田家では、「三献にて、御盃御拝領。御酌 矢部善七郎、大津伝十郎、大塚又一、青山虎」というメンバーが務めています。


さて殿の前に膳を据え置くと、御酌役の近習が進み出、「そび、そび、ばび」とお酒を注ぎ、殿が「チョビ、チョビ、ズズ」と盃を干します。そしてそれを3回繰り返します。


殿が飲み干すと、衝重ついかさねと呼ばれる、四方や三方に土器の盃を重ねておいてあるものを持って、御供衆の近習がスルスルと入ってきます。盃を頂く人数が多い場合は、一人で運ばず、二人、三人、五人と手分けして運びます。


先ほど御酌をした近習が、殿の前に置いてある先ほどの膳を、殿の右方にずらし、衝重の膳を置き、その側に右の膝を立て、左の踵に尻を置いた座り方で控えます。

この時、右手の親指を長柄銚子の「かずら」にかけて逆手で持ち、そこに盃を一つ持っておきます。


準備が整うと、身分が上の者から一人ずつ、献上品を持って参上します。

献上品に太刀を献上するのは、殿に子供が生まれた時と同様、重臣たちになります。


殿の前に進み出ますと、御礼(挨拶)を申し上げ、献上品を差し出します。


献上し終わると、一度殿を見てから盃を受け取り、御酌が「そび、そび、ばび」と酒を注いでくれたものを、「チョビ、チョビ、ズズ」と飲み干します。


飲み干すと、一礼します。


すると、対面の間の次の間から、黒漆で濃みられた広蓋の上に載せられた練絹の小袖一重(二枚一組)を捧持した近習が現れて側に置きます。


広蓋 「丸和商業株式会社」HP

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武将は左手に練絹の小袖、右の手に盃を持って対面の間から出ていきます。


武将が次の間に入ると、御側衆(僧)がそれを受け取り、彼の家臣に渡してくれます。この後、宴会がありますからね。


武将(家臣に兜を被る侍がいる)未満の方々に関しては、御盃、御練絹頂戴はなく、それでも殿の御前に出て、一人ずつ御礼を申し上げて退出していきます。


この中には元服を済ませて、出仕したばかりの少年もいました。さぞや緊張したでしょうね。


全ての直臣が挨拶し終わると、近習が御敷居の際に寄って、「まう」と申し上げると、殿は立ち上がって常御殿へと戻ります。


以上が対面所での、正月の武家の三献の儀になります。


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