朝倉宗滴の書状と朝倉義景(『桶狭間合戦討死者書上』)2ー2

 その他、杉若氏も六角氏家臣だと言われています。

しかし熱田大宮司家として有名な千秋家の名前もある、道の警備役の面々は、越前に所領を持つ国衆たちになります。

ここに名前の載っている杉若氏は、六角氏家臣の杉若氏ではなく、後に信長公の家臣となる、元朝倉家臣、坂井郡が本貫の杉若無心の系統が「杉若藤左衛門」であるといえます。


 そして仁木義政です。

亭主の朝倉義景に並んで、落ち延びてきてる仁木義政がしゃしゃり出てるのはどうなんだ。厚かましいんじゃないのか。

何か意味があるんじゃないか、これは義景は実子で後見についてるからじゃないか、ということなんです。


しかしながら、この仁木義政は前述の通り、幕臣になります。


『足利季世記』には、義昭が六角氏所領矢島におられた永禄9年(1566)より、仁木伊賀守義政が仕えたと書かれているので、少なくともこの頃には、御相伴衆として義昭に侍っていたことになります。


御相伴衆というのは、 将軍の殿中における宴席や他家訪問の際に随従、相伴する人々のことを指します。


御成は最初に将軍、将軍の近習(最低限)、それから亭主(迎える側の大名)、その子息によって「式三献」が主殿で執り行われます。亭主に相伴するのは、基本的に次代を担う嫡男たちだけです。

その後、会所の広間に座を移し、饗応が待たれます。


『朝倉義景亭御成記』では、饗応で「十七献」の宴を持たれた様子が書かれ、仁木義政が参会されているのが記録されています。


そして門外で出迎え、式三献への出席したとし、これをもって朝倉義景の父親であると言われるのですが、むしろこれにより仁木義政が義昭の側近として、対朝倉家の取次をしていたことがわかります。


また織田信秀の書状にも出てくる、将軍家申次衆大舘左衛門晴光から、朝倉義景宛の書状の案を送られていることから、朝倉義景の家臣とも言われています。

しかし取次というのは、ただ単に殿の代理人として外交を行っているのではありません。

相手方に送る書状を、失礼がないか、呼び方に間違いはないか、内容に齟齬はないか、相談を受けるのも取次の仕事です。


現在、取次の役割に関し、信長公と斎藤道三の聖徳寺の会見で、堀田道空を斎藤道三の家臣であると言われるなど、大変軽視されていますが、外交の在り方が現在と違うので、残された文書などからも相手方の家臣のようにも見えることがありますから、注意したい点です。詳細は拙作「取次」シリーズをご覧ください。


 また義景の周辺に姿を見せる「河端氏」「山内氏」なのですが、これらは元々は六角氏の連枝が名乗る名前になります。


山内氏は、応仁の乱の後、六角氏の家督争いが勃発し、明応の政変で将軍を廃した細川政元の支援を受けて六角氏の当主に、山内就綱がなられました。

しかし明応3年(1494)、斎藤妙純の支援を受けた六角行高に敗れて、近江坂本へ逃げ落ち、翌年には京へ退いています。

その後、六角領で山内氏を名乗った六角氏連枝は、ちょっと見当たらなく……

なので天文年間には、六角氏の家臣とはいえないのではないでしょうか。


また河端氏(八幡山氏)は、義政が名乗った名前であり、室町幕府の倒壊から徳川家康による開幕への過程で、子孫は仁木、六角姓を捨てて、河端氏を名乗り、鳥取藩士となっています。


 話は戻り、その後、仁木義政は『明智軍記』によると、天正元年(1573)2月、義昭と信長公との対立が決定的になると、上野陸奥守、荒川掃部助、山岡光浄院(暹慶せんけい)、杉原淡路守、甲賀衆、伊賀衆とともに近江の堅田城に籠城されています。

上野氏、荒川氏、杉原氏は代々幕臣の家柄です。

ここに出る山岡氏も、六角氏の家臣であり、養子説の傍証として挙げられています。

山岡暹慶は、確かに六角氏家臣勢多城主山岡景之の四男で、山岡家は甲賀出身の一族になります。

しかし山岡暹慶は出家し、その後矢島御所時代の義昭に取り立てられ、幕臣になりました。



このように仁木義政も山岡氏も、朝倉家と同じ陣営におられるのですが、朝倉家自体と共に行動はされておらず、彼らの身分は幕臣で、朝倉家の家臣ではないことが確認できます。


そして仁木義政は、天正4年(1576)の義昭備後下向には伴っていないことから、この間に討死されたのではないかと考えられています。


 ということで、もし義景が仁木義政の次男ならば、実家である六角氏に対抗した浅井長政と手を組んだのは、もしかすると義景(義政次男)は、定頼系の排除を目していたのかもしれません。


しかしそれならば余計に、永禄13年(1570)4月20日の織田軍による越前出兵(金ヶ崎の戦い)から、朝倉家滅亡の天正元年に至るまでの間に、義政たちから、信長公との間の仲介を朝廷に願い出るなり働きかけがあっても良かったのではないでしょうか。


 しかも根本的な、なんで六角氏から養子?という感じも拭えません。


ですので義政の次男説は、正直、首を傾げざるを得ません。


 しかしながら六角氏から養子を取ったということが本当であれば、一つ、考えられる血流が、佐々木氏にあると思うのです。


 これは裏打ちする資料もなく、相当の眉唾物ですが、引き続きお読み頂けるとありがたいです。


それは、室町初期の話になります。


かの佐々木道誉(永仁4年(1296)或いは徳治元年(1306)から文中2年/応安6年8月25日(1373年9月12日))は、娘を次期武衛と見られていた、若狭守護斯波氏頼へ嫁がせました。

ところが父である斯波高頼は、四男の義将を跡取りとしました。これに怒った道誉は、斯波氏への支援を打ち切り、これが斯波氏の没落の原因の一つとも言われています。

この後、失意の斯波氏頼は京から佐々木道誉の領地へと向かいました。


この後の氏頼の消息は正史から消え、いかようになったのか不明です。


 足利元嫡流である斯波武衛家は、他の足利支流の家とは格が全く違い、唯一無二の存在で、将軍家から最後まで足利姓を名乗ることを許されていた家でした(斯波の名は『満済准后日記』応永29年(1422)11月20日条が、当時のリアルタイムのものとしては初見)


つまり斯波氏頼は、元々足利氏の嫡流の嫡流の血筋です。


そして第9代武衛斯波義健が享徳元年9月1日(1452年10月13日)、僅か18歳で亡くなると、氏頼の弟の斯波義将系斯波嫡流が絶え、権力者を巻き込んでの武衛騒動が起き、応仁の乱の一因になったと言われています。


佐々木道誉の家は、後に京極氏になりますが、佐々木氏嫡流、近江源氏を名乗るのは六角氏で、京極氏の所領のいくばくかを取得(強奪)しています。その流れで、斯波氏頼系斯波嫡流の血流を保護していてもおかしくありません。

もしそうであるなら、斯波嫡流が絶える頃に政治的に介入した将軍家が、執拗に六角氏征伐を繰り返した原因の一つに、足利尾張家に強い影響力を保持する為に、本来の斯波嫡流、或いは将軍家の元嫡流の血筋の確保、或いは殲滅があったとも考えられます。


 また後に、最後の武衛、斯波義銀の弟、斯波義冬(津川雄光、織田信雄の重臣。雄は織田信雄よりの偏諱)が秀吉の謀略により、織田信雄に殺されると、その息子の義照は、近江木浜の南氏を頼り逃げ落ち、後に出家して、「光正寺」(現在は遮那山光照寺)を開山しました。


南氏というのは、元は京の下鴨社の供祭人を務めていた、琵琶湖の支配者堅田の湖賊のうち、刀禰家、居初家、小月家三家に従う新興の一派になります。

六角氏の家臣木浜城主の永原重虎との文書が残っていることから、堅田の対岸の木浜湊に住む元締めの一家だったようです。


永禄11年(1568)織田軍が近江に侵攻し、六角氏を滅ぼすと、永原氏も、湖族の南氏も信長公の家臣化して行きました。


 比叡山、高野山、円城寺など有力な寺ではなく、また斯波連枝衆関連の寺ではなく、天下を掌握せんとしていた実力者秀吉の手から逃れようとした義照が、わざわざ近江守山近くの南氏を頼っているというのは、斯波氏との強いつながりが、この地、或いは南氏にあったのではないかと思うのです。

この木浜もまた秀吉の掌握するところとなるのですが、義照は生き長らえています。


まぁ秀吉側からすると、有能で信雄を支えていた義冬(雄光)を殺すことが目的で、義照はどうでも良かったのかもしれませんが、義照とすれば自分も殺されるのでは?と考えるでしょう。


 話が戻ります。

もし義景が斯波氏嫡流の流れを汲む息子の1人であれば、養子として迎える朝倉家としては、怨念を祓う非常に有効な手立てでありますし、家格を高める一手にもなるわけです。


また本来の武家の棟梁源氏の斯波氏嫡流を護ってき、朝倉家の救世主となった六角氏は天道的に良い因果が巡り、「於度々御高名御面目之至候」かもしれません。


もし朝倉義景が、六角氏から迎えた養子であれば、この線くらいかなと思われます。



 享保12年(1727)木浜大火事で、光正寺を含む、さまざまな記録類は焼失しました。


歴史の中に消えた真実は、どうだったでしょう。

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