武家の作法、饗応・酒宴

 戦国時代は、室町時代に確立された様々な礼法を受け継ぎ、身分に合わせた振る舞いが、強く求められた時代でした。

しかも大名、将軍を含め、いとも簡単に身分が上下していましたので、常に自己客観視をしつつ、自らの立ち位置の上下の作法についても心得ておく必要がありました。


それが如実に現れるものの一つに、宴があります。

宴は折に触れ、持たれるものでしたが、そこに於ける席次は、受験塾のクラス分け、成績順の席などと同じように入れ替わります。


シンデレラストーリー、アメリカンドリームのように、出世してしまうと、末席で気楽に呑み食いしていたのが、いきなり宿老や殿の身近で食事をしたり、畏って盃を受けたり、お茶を頂いたりする羽目に陥ります。


家の中だけではなく、殿に連れられ、上様やら他所の殿の宴にお邪魔することになったり、殿が公家衆や将軍、天下人、寺の高僧を招いての宴を張られたりするのに、参会することになったりします。



 今回は、戦国時代に転生して成り上がる予定のあなたのための、宴での作法マナーを見ていきましょう。



 まず出仕する(登城)と、馬廻たちが詰めている詰所にて刀を預け、帯に扇子を差し、連れてきた家臣と別れて、身分別に控え室のようなところに入ります。


しばらくすると、殿の近習から声をかけられ、身分の上下にしたがい会所の広間へと向かいます。


主賓が将軍や天下人の場合、主殿での式三献の後、会所の広間や対面の間で家臣(重臣)との対面(献上品の進上、練絹、盃などの御下賜)がある場合があります。


そういう場合は、それが終わった後、控室に戻り、近習の合図にあわせて身分別に宴がもたれる広間に入ります。


 会所の広間の方は、まず一番位の高い方の座が、正面中央に作られています。

その座を中心として、左側(向かって右)が上座、右側(向かって左)が下座になります。


もし公家と武家が同席した場合は、公家衆が左手に官位に従って座り、右手に武家が身分の上下に従って座ります。

武家衆だけの場合は、身分の上下に従い、左→右→左→右と座っていきます。


粛々と作法の乗っ取り、会所の広間の出入り口で腰を下ろし、腰の扇子を取り出して前に置いて一礼の後に座ったまま入室します。

入室しましたら、上座の方へ向いて扇子を置いたのちに再び一礼し、自らの座へと向かいます。


ご自分の場所に着きましたら、片膝を立てて座ります。

ちなみに座布団や席次表もないですし、目印になるものは何もありません。前後の人を確認して、適当な距離を取って座ります。


暫くすると、殿たちが入室し、それを合図に馬廻たちが配膳を始めます。


 日本の食文化は、銘々膳めいめいぜんによる、個食(あらかじめ取り分けられ、盛り付けられた食事)になります。

配膳される膳は、身分によって形、数が違いますが、基本的に大名未満の武家衆は、一律脚の付いていない角型のお盆の平折敷ひらおしきになります。


また身分が下になると膳の数も皿の数も減り、器の種類や盛り付けも変わっていきます。


配膳は主賓から、身分の上下に従い配られていき、最後に亭主のもとに置かれます。


宴は酒と肴の酒礼の三献があり、三膳、五膳、或いは七膳の膳部、その後最初の三献から数えて四献以下の酒宴の献部となります。


ここの膳や献の内容に関しては、次回見ていく予定なので、今回は説明は飛ばします。


 また初献、五献、七献などの「献はさめ(挟間、挟目)」には、亭主やその連枝、重臣から引手物(贈り物、献上品)が進上されます。


式三献では刀や馬などですが、ここでは沈香や香炉、花瓶、絵、金襴緞子、練貫の小袖などが唐盆や檀紙に据えられて贈られます。

これは来客の殿だけではなく、御内室様たち、彼の家臣や御女房(侍女)に対する贈り物も渡されますので、相当な量になることもありました。

また上様や主君のための宴では、初献の初めに太刀目録が渡されるのが恒例でした。


誰宛に何を貰ったのか、どんな料理が出たのかなど、誰がうちの殿や家臣に何をいったのか、饗応の様子は、逐一来客の本城へ報告の馬が走りますから、気を使うポイントです。


これらの引手物は御座の左手に、並べ置かれます。


また長い宴では五献目、七献目で一度休憩が入り、皆、そろそろと座を離れたりしました。

そして最後の「はての献」で、御成や上様など家格が高い方が主賓の場合、亭主に主賓から盃が渡されます。


 さて御供衆が目の前に、酒礼用の盃と肴の置いてある折敷を置いたら、足を胡座に組み直します。

この膳は時と場合によるのですが、一膳ではなく、一献につき三膳の肴が供されることもあります。

御膳は中央、それから左(本人から見ると右手側)、次に右(本人から見ると左手側)と置かれます。

置かれますと、御酌の近習が盃に酒を注いでくれます。


しかしどんなにお腹が減り、喉が乾いても、主賓が盃に口を付け、肴に箸をつけるまで、それらを口にしてはいけません。

主賓よりも先に飲んだり、食べたりすることは、マナー違反ですから、じっと主賓の動向を観察しなければなりません。主賓の殿もみんなの視線の中、飲み食いするのは慣れないと大変そうですね。


 まず一献目の盃をず、ず、ずずっと飲み干し、主賓の殿が箸を付けたら、おもむろに左手で箸を取り、右手に持ち替え、それから初献の膳に乗っているお椀を持ち上げます。


これは正月などの祭事の祝膳であれば、かならず雑煮の膳になります。

時代が降ると、宴会ではこの時の為に亭主たる殿が用意した鶴、鷹、うずらなどの羹になることがあったようです。


必ず最初に口を付けるのは、雑煮か殿の用意された羹です。


殿のご用意された鳥料理は、非常に気を遣う食べ方をするので、焼き鳥などの料理と合わせて後述します。


雑煮はまずお椀の中の具材を二、三口頂き、それから箸を置きつつ汁を啜ります。箸を置いてからではなく、置きつつがポイントです。また最初に汁を啜るのは、マナー違反になります。


 またどのような身分の方の膳にも必ず、「はじかみ(山椒、或いは生姜)、梅干、塩」が置かれた皿があるはずです。

何だかむせそうだなと思ったら、箸の先に塩を付けて舐めましょう。もし口の中に物が入っている時にむせそうになったら、梅干しを眺めましょう。また味がイマイチだとか、同じような味の物が続いてると感じた時には、はじかみを口にすると良いでしょう。


主賓の殿が箸を付け終わると、初献の膳がひかれて、二献目の膳が運ばれて来ます。

そしてまた盃に酒を注いでもらい、三口で盃をあけて、ちょいちょいと箸をつけていると、膳が引かれて、三献目の膳が配られます。


三献の膳が引かれると、膳部の御膳が配られます。


ご飯物は「二本立にほんだて」と呼ばれる二種類、「三本立」の三種類のいずれかで登場します。


御膳の数は饗応の規模、主賓の格により異なりますが、三膳の場合、本膳が中央に置かれ、左、右と置かれます。(三献の膳と同じく、本人にとっては向かって右→左)

五膳の場合、二膳目と本膳の向こうに四(与)膳目、本膳と三膳の向こうに五膳目が置かれます。

七膳まであると、四膳目の向こうに六、その向こうに七とずらして置きます。このような場合、六膳、七膳目は小さめの膳になります。


安土時代の膳の参考例として信長公が家康をもてなした、天正10年(1582)の再現模型をご覧ください。


朝日新聞digital

「特別展「和食――日本の自然、人々の知恵」 膳から見えた戦国時代の姿」

https://www.asahi.com/event/photo/AS20200219001450.html


上記の膳部の前に三献があり、この膳をひいた後に酒宴の盃の膳がついていた事になります。



 まず最初に出てくる飯物は、「本飯」と呼ばれる物になります。これは「黒もの」とも呼ばれ、強飯こわいいになります。

強飯とは、粳米うるちまい、あるいは糯米もちごめを、土器、木製のこしきに入れ、何度も水にかけて、蒸したもので、ご飯の原型ではないかと言われているものです。

この強飯に、黒塩(胡麻塩)が添えて出されています。

時代が下れば、強飯のおこわ、混ぜご飯が出てくることもあります。


 また戦勝の祝膳の場合、あなたが手柄を立てていれば、小豆で赤く染められた赤飯、「赤椀」が配膳されています。この場合、いつもよりも膳の数が多いでしょう。場合によっては殿から盃が頂けることになります。

もし失態を犯していたり、本来立てるべき戦功を立てていなかった場合、あなたの膳には黒い粳米などの黒い飯、「黒椀」が配膳され、膳や膳の上の皿数が少なかったりするでしょう。

これは戦の作法「赤椀、黒椀の儀」と呼ばれるものになります。


 さて本飯の食べ方は、非常に独特です。

まず左手で箸を持ち上げ、右手に持ち替えスタンバイします。それからおもむろに椀を左手で持ち上げると、飯の中に箸をグッと入れて飯をすくいあげます。飯を箸で挟んだり、つまんだりしてはいけません。ぐっと入れ込んで、持ち上げましょう。

そしてすくい上げた飯は、ダイレクトに口に運んではいけません。

左の手で持ち上げていた椀を折敷の上に戻しまして、それからすくい上げた飯を左手の上に置き、それから口に運びます。

……なんだかうそっぽいですね。

でもね、書いてあるんですよ?『今川大双紙』に!ですから、箸では食べないようにしてくださいね。


そして二番目に出てくる飯物は、いわゆる飯ではなく、麺や餅、点心類だったりします。


もし飯で汁物が添えてある場合、それは強飯になり、これは汁椀の中の具材をほぐして椀の中に入れ、汁をまわしかけます。

汁には「温汁」と、「冷汁」があります。冷汁の中には「とろろ」も含まれます。

必ず、飯椀の方に、一度にかけるようにします。二度、三度に渡ってかけまわすのは、不吉とされていますから、椀に残っていても諦めて、器を膳に戻しましょう。


もし膳に「香の物」が添えられていれば、その飯は「小漬」、あるいは「湯漬」と呼ばれるものになります。湯漬といっても注ぐのは、夏であれば「水」になり、「水飯」と呼ばれます。

「湯漬」「水飯」の正式な膳は「湯漬の膳」と呼ばれ、織田信長公と斎藤道三の「聖徳寺の会見」でも出されました。

室町末期では儀式の折には、湯漬の膳の飯は強飯になりますが、そうでない場合は姫飯になります。


この食べ方も独特です。


まず香の物に箸を付けます。ポリポリと噛んで飲み込んだら、ご飯のお椀を持ち上げ、盛ってあるご飯の中央部分を食べて、ドーナツ型にします。残すのは全体のおおよそ3分の2程度と指南している作法書もあります。

この時の「飯」は洗ってある為、パラパラしています。ですので、そのまま口に運んで構いません。

また時代が進むと、食するのではなく、崩してドーナッツ型にする場合もあります。

食べるなり、崩すなり、ドーナッツ型になったら、御供衆と目を合わせます。すると湯瓶を持った御供衆がスルスルと近寄ってきて、穴の七分目位までお湯、水を注いでくれます。

これは単なるお湯、水の場合もありますが、だし汁の場合もあります。

この時のおだしは、基本的に椎茸と昆布で取ったもの、或いは干瓢や野菜を干したものから取ったものが基本になります。

注いでもらったら、まぜずにそのままご飯のみをすくって食べていきます。そして全部飯を食べ終わったら、そこで初めて水なり、お湯なり、だし汁なりをすすります。


もしかすると2番目の飯物は、麺類かもしれません。

この頃の麺類には、ラーメンの原形である経帯麺、うどん(切麦、切り麺)、そうめん(索餅、索麺、素麺)、そして麺状の蕎麦は、室町時代に完成し蕎麦切りと呼ばれていました。

これらはつけ麺形式ではなく、具を乗せて麺にだし汁などを掛け回したものになります。

まず具を二、三口食べた後、麺を口に運び、最後にだし汁すすります。

この時、背筋を伸ばして前屈みにならないように気をつけましょう。


しかし餅が出た時には、必ず前屈みになって食べなければなりません。初献で出る、雑煮の中に入っている餅もそうです。

餅を箸で挟んだら、必ず前に体を倒して頂きます。


餅は和菓子と酒の肴としてのものが混在しており、雑煮のように野菜と共に煮たり、おかゆの中にいれたりする他、野菜の餡をつめた餅、砂糖、胡桃などを練り込んだもの、平安時代からある甘葛をかけたり、練り込んだものなどがありました。


砂糖を練り込んだものは「さたうまんちう、さたまんぢう」、野菜餡を包んだものは「さいまんちう、さいまんぢう(菜饅頭)」と呼ばれ、中華饅頭、つまり食事としての点心になります。これらは屋台や触れ売りも売っており、庶民の方々も楽しんでおられました。


 「あつもの」は、基本的に魚や鳥肉などの動物性蛋白質が入った暖かな吸い物になります。この椀の中には「里もの」と呼ばれる、大根や蕪、大和芋などを煮たものが添えられています。


羹の種類は、上(現在は左ですね)にそのメインになる動物性タンパク質の名前を冠して区別します。


すっぽんの吸い物は亀羹、白魚の吸い物は白魚羹、ふかのそれは雲鱣羹うんせんかん、そして羊の肉が入ったものが羊羹と呼ばれます。


羊羹といえば、私たちが知ってるのは小豆から餡を作り、それを寒天で固めた和菓子です。


この当時には単なる温かい吸い物としてのものと、和菓子の羊羹のさきがけとなる魚肉類や果物、野菜類を寒天で固めたり、葛粉と砂糖を入れて固めて、味噌を付けたり、酒で炒り煮をして食すものが混在していました。


こうした羹はいずれにせよ、まず主役の動物性のタンパク質を箸で取り、口をつけ、その後、少し汁をすすります。


 羹の中には、殿がとってきた鳥の羹があります。

殿の捕ってきた鳥のことを、「鷹の鳥」と呼びます。

鷹狩でとってきたからなんですが、冬場には鷹狩と共に、うずらを突きにいかれるそうで、これは鷹は関係ないかもしれませんが、やはり「鷹の鳥」に入るのでしょうかね?


 「鷹の鳥」のうち、羹として出されるものは、鶴、鴨、雁子、青鷺になります。

これには塩漬けにしたものと、塩漬けにされていないものがあり、塩漬けにされていないものを、例えば鶴であれば「生鶴汁」と言いました。

他の調理法でもそうですが、鳥の中では鶴が一番の「格の高い」上物の鳥だったそうです。

魚では鯛、それから鯉という順番になるそうです。


さて膳の上に羹の椀が置いてあり、その横に土器の皿が置いてあったら、それは「鷹の鳥」であるという印です。

普通の羹はそのまま身に箸を付けましたが、「鷹の鳥」の場合は、まず身を土器の皿の上に取り出し、それを「殿の取ってきた鳥を戴けるなんて、有難き幸せ」である旨申し上げた後、箸で頂きます。「鷹の鳥」を食べ終わったら、おもむろに椀の中の汁を啜ります。


「鷹の鳥」は、焼いて供されることも多いものです。

焼いた鳥は足の部分(別足べっそく、腿肉)を手前に盛り付け、手羽肉を後に盛り付けます。

この焼いた鳥が、木製の折敷の上に、南天などの葉を掻敷かいしきにしてあれば、それは「鷹の鳥」です。

まずいつものように、箸置きに置いてある箸を左手で持ち上げたあと、右手に持ちかえ、恐れ入りつつ焼き鳥を左手の上に載せて、殿のとった鳥をいただけるなんて身に余る思いである旨申し上げて、箸を持ったまま右の手の親指と人差し指で摘み上げて口に運びます。それを飲み込んだ後は、普通に箸でいただきます。

足の部分を、水引を結んである場合もあります。


 こうして順調に宴が進み食事が終わりますと、膳を交換し、再び酒宴へと移り変わっていきます。


膳部でも酒は供されますが、あくまで「食事の膳」という形になります。また四献目は盃と肴の「献」ですが、湯漬や素麺、引物のお菓子などの献立になります。

さて四献目の盃を主賓の方が飲み干すと、亭主の連枝や重臣が主賓に対して贈り物を進上します。それから休憩が入ることもあります。これは最初の三献が終わった後にも入ることがあります。


座を外していた主賓が戻ると、五献目の膳が運ばれ、能が上演される場合はここから始まります。


この辺りになると、場の空気も緩んできます。


 主賓や殿が、「誰それに盃をやろう」などと言い出すことがあります。

すると御酌役の近習は、盃を長柄銚子の上に乗せて御前に進み出、待機します。そこへ、名指しされた「誰それ」が座から出てきてかしこまります。

御酌役の近習が盃を置くと、「誰それ」は取る前に盃を下される方の方を一度見、盃を右の手で取り、両手で持ち直します。そこへ御酌が酒を注ぎます。注がれる時には肘をしめて受けます。注がれ終わると、少し後ろに下がり、もう一度盃を下される方の方を見ます。それから肘を開けて、グッと飲み干します。飲み干しましたら、また盃を下される方の方を見て、盃を置いて頭を下げて座に戻ります。


集団で賜ることになった場合も、おおよそ手筈は同じで、御酌役の近習が三方などの衝重ついがさねに乗せた盃を運んできて待機されたら、身分の上下にしたがって、一人ずつ前に進んで、盃を飲み干して戻ります。


盃を賜るとは言いますが、対面の間での盃拝領とは違い、盃を干すだけになります。


 また主賓や殿が、「御肴をやろう」などと、おかずを下賜されることがあります。

そうした場合は畏って進み出、左の手で受け取り、自らの座に戻るのではなく、少し後に下がって食べます。

普通、自分の方からすると左手の方へ手渡される形になるのですが、どういうわけか右の方に向かって差し出される場合があります。そういう場合は、ありがたく右の手で受け取ります。


その場ではちょっと食べにくなというものを頂いたときには、受け取った後少し下がり、あたかも食べているような雰囲気で口のそばまで持ってきて、右の手にもちかえ、懐中にしまいます。

ドロドロしたものや、ベタベタしたものだと嫌ですね。


 酒宴のお遊びの多くは、公家文化を踏襲したもので、「一露」という、一気に盃を空け、その盃をひっくり返し、一雫だけ滴らせたら勝ちというものや、同じく盃を干した後ひっくり返し、落ちた露で文字を一文字書いてみせる「一文字」という遊びがありました。

多聞城で島津の四男坊が信長公の城代に、酒の肴として出されたヤマモモは、「山桃呑」という、ヤマモモを一粒盃に入れ、飲み終えると同時に「ガキ!」と実を歯でかち割るという、何が楽しいのかよくわからない遊びのアイテムです。


また酒豪の家臣が集められ、十杯の酒を飲む速さを競う「鶯呑」。「十度呑」は10人1チームで中央に10の空の盃を置き、まず最初の人が長柄銚子で一つの盃に注いで飲み干し、10人の中から一人、次を指でさして指名し、長柄銚子を渡し、それを繰り返していきます。この間、無言で酒以外のものを口にしないというルールがあり、これを破ると五度入(直径五寸、約15cmの大きな盃)などを飲み干すなどの罰ゲームがあったそうです。


ゲームに使う盃も、大きさの規定はなく、それこそ五度入の大きさだったりすることもあったそうです。

それまでに、なんだかんだとお酒を口にしていますから、どうなんでしょうね。


どれをとっても当時の酒宴の遊びの楽しさがいまいちわからないのは、私が下戸だからでしょうか?

お酒の好きな方としては、参加されたいゲームでしょうか?


よくわかりませんが、こうして座は盛り上がり、なんだかんだと最後の膳が運ばれて、御成や主君が主賓の場合は、再び近習が盃を構えて「はての献」の儀式が始まります。


主賓からねぎらいや感謝の言葉をかけられて、亭主への盃が下賜されます。


それが終わると、主賓は皆が平伏する中、座を立たれて、お泊まりの場合は主賓は宿舎となる重臣の屋敷や、お寺の方へ向かわれます。


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