織田軍の総司令官、佐久間信盛の追放の考察②

 このような重要な戦ですから、織田軍の総司令官と呼ばれる、最大の軍勢を持つ佐久間信盛こそが、公の面目のためにも率先して戦い、命を賭して勝ちをもぎ取るべきではなかったのか。

せめて身内や重臣を失い、あるいは自らが先頭に立ち大怪我をするなど、忠義の心を世間に見せてくれていれば、例え敗戦であったとしても、織田家の家臣団の空気も、公の気持ちも多少違ったことでしょう。


更には、この戦で平手政秀の嫡男が闘死しています。

天下人の傅役、平手五郎左衛門政秀。

拙作『深読み信長公記』では、平手政秀の自死の理由は、一命を掛けて信勝に加担する家臣たちを諌めたのではないかとしました。

傅役平手政秀への想いは、寵臣丹羽五郎左衛門長秀に現れています。

この頃は官途だけではなく、輩行名もまた殿が名付けます。

「人には五郎左御座候」。

宴席でほろ酔いになった信長公が、お気に入りのものの名前を連ねて膝を打って唄ったと言います。この「五郎左」は丹羽長秀だけを指していたのでしょうか?

そして自らの偏諱と「秀」

若衆だった小姓岩室長門守の面影を、従兄弟であろう加藤弥三郎に見て「岩室姓」を名乗らせたように、丹羽長秀の上に、自らのために命をかけた傅役の面影を追ったのではないかと考えられます。

また鷹狩の帰り道、平手政秀の鎮魂の為にわざわざ建立した政秀寺の近くを通れば必ず寺に寄り、獲物を奉納したという逸話を考えれば、政秀の行為をいつまでも深く恩義に感じ、心から感謝し続けていたのでしょう。

その政秀の息子を時代柄仕方のないこととはいえ、闘死させたことは政秀に対して申し訳ないという気持ちがあったかもしれません。


なのに、信盛は無傷でシレッと帰還をしてきた。


滝川一益以外の大将級の武将を見てみると、平手汎秀はこの戦いで戦死、氏家卜全は追放までに死、水野信元は天正3年(1576)既に佐久間信盛の讒言により信長公から自死を申し付けられています。

林は近習のみ連れた軍監として、従軍した形になりますが、林、安藤はこの後追放されています。


ここからは小身になりますので、最終的な決定権はありません。

遠藤久左衛門は東美濃の国衆で、武田と織田に両属していました。この三方ヶ原でも両方から声をかけられ、家臣をわけ両方に出陣しているという戦国期特有の珍妙な状態になっています。

毛利長秀は、最後の尾張守護斯波義銀の弟とも言われる人物で、桶狭間で義元を討ち取った毛利新介の毛利家に引き取られ、養育されていました。

氏勝は、ここに名前が載っていませんが、いたとしても大将ではなくこちらになります。


この三方ヶ原に出征して追放されなかった、たった一人の大将級の武将、滝川一益というのは、信長公の乳母養徳院(池田恒興母)の甥にあたり(恒興の父池田恒利は滝川家の出身)、正室には宿老柴田勝家の妹をもらっています。また一益の娘を信長公の養女にして、勝家の嫡男に嫁がせているとも言われており、また信忠の乳母は一益の娘(上記の娘がそうであるとも)の説、信孝の側室に娘が入ったなど、さまざまな形で信長公と深い縁があるようです。

その上彼は、伊勢の攻略の話などを読むと、信盛とは反対に人の心の機微に敏感な方のようです。

隠居を申し出た一益を、「さような寂しいことを申すな。」と何度も慰留し続けたという逸話は、信長公がいかに一益を信頼し、深い愛情を持っていたか偲ばれます。


 さて先程この戦に関して、雌伏時代の寵臣が亡くなった戦であると言いました。

それは佐脇良之、山口飛騨守、加藤弥三郎、長谷川橋介です。


彼らは「赤川景広を斬り殺し出奔した」と言われていますが、実は徳姫の夫である松平三郎信康につけた与力(或いは徳姫自身につけた近習)だったのではないかと考えています。(拙作「加藤弥三郎ら、小姓たちの出奔への考察(とりあえずの結論)」参照)

またその考察の補完として「天下人になれなかった松平信康」シリーズで、信康の松平家の立ち位置、同盟の関係性、信康の名乗りの問題、信康亡き後の五徳姫の化粧料などからの信康の織田家における立場、また「三州殿の好きにせよ」と信長公が言った理由の考察を公開する予定です。


 信長公は雌伏時代に寄り添っていた家臣たちを大変大事にしていました。村木砦戦で夕闇の近づく戦さ場で、人目を憚らず、斃れた近習の一人一人の顔を確かめながら、慟哭した姿など、特に小姓、小姓上がりの武将たちへの愛情は胸が熱くなります。


偉大な父の亡き後、本来自らを政治的に最も支えてくれるはずの一番家老から裏切られ、最も自らを公私共に寄り添ってくれるはずの実の弟に反目され、日々毒殺、射殺の危険に晒され続けた時代を、寄り添って生き抜いた佐脇ら近習たち、そして生命をかけて信勝たちを叱責した平手政秀(「深読み信長公記」参照)の嫡男を失った三方ヶ原は、信長公にとって痛恨の一戦でもあったでしょう。


大きく軋む家臣団を抱えながら、天下を前にした時に、献身的に支えるべきところを支えていない、或いはそう感じられる佐久間たち老臣たちを置いておくのは、組織の崩壊に通じると信長公には感じられたのではないか。

前回の林たちの追放の話とともに、それがここの結論になります。



佐久間信盛への折檻状を読むと、この三方ヶ原の戦いを起点として、緩やかに信長公は佐久間信盛への気持ちがプラスよりもマイナスが増えていったのではないかと思われます。


例えば、先にあげました水野家の悲劇は、信長公が心の底ではいかに信盛を信用していたか感じられる出来事であり、家康との関係に水を差すマイナスの出来事でもありました。

この事件の後、水野の使者が長く於大の方の住む岡崎城に滞在をされていました。


与力の家臣団を組み込む。

敵方の家臣団を討った相手が吸収する。

セオリーには従っています。 

しかしながら自分の報告で自刃させた古くから知り合いの味方同士の家の家臣たちを、自分の家臣団に組み込むというのは、道理が余程通っていなければなかなかお互い厳しい話です。


信盛のように有能でありながら空気読めない系で、失言などで失敗しがちの方は、よく対人関係に於いてアレコレと画策をしがちです。

頭が良く口が上手いですし、自分の立場をキープするために針小棒大に申し上げた可能性もなきにしもあらずでしょう。


信盛の性格を熟知していた筈の信長公としては、こうなるとわかっていたけれど、そうでなければいい、と同時に、そうなれば良いと試すように思っていたかもしれません。


 またこの長い折檻状ですが、わざわざ佐久間信盛には、出しています。


何故か。


勿論、他の方にも出しているのかもしれませんが、残っておらず分かりません。

信盛への折檻状は「信長公記」に書かれていますので残っています。


何故、太田牛一がこれだけは書き残したのかというと、おそらく信盛を知っている人に読ませるためかなという気がします。


書かれていることを読めば、彼が大変言い訳がましい方だというのが分かります。言い訳がましい人、すぐ言い訳をする人というのは、非常にプライドが高く、同時に臆病な人が多いですし、浅井氏との戦で、脊髄反応のように言葉を返すところを見ると、頭の回転は良いのですが、一呼吸置くことなく言葉を発しますから、普段から失言が多い筈です。


またその臆病さは、誤った自己評価の低さからくるもので、彼が本質的に不安症的な臆病な人ではないことは「退き佐久間」の異名でも分かります。

おそらく彼は自分でも、自分のこういう所で失敗しやすいということは分かってはいたと思います。それは欠点が引き起こす結果は分かっていただけで、その根本的な原因自体は認知できておらず、それゆえに自己評価が低くなっていたのでしょう。


その長所と短所をよく分かっていた信長公は、わざわざ彼のために自筆で、納得できるように、噛み砕いて長い話を書いたのかなと思います。残念なことに、心理学的な分析がなかった当時、しかも戦国時代的な文章の書き方では、彼がわかるように書くことは不可能でした。


安土移城前後からの信長公と家臣団というのは、非常に軋みが多く見られる時期に差し掛かっています。

その上武威を天下に示し政権を樹立する場合、禁裏との距離をどのように取るかという問題が出てきていた時期、粗忽な彼をこのまま置いておくわけにはいかなかったのかもしれません。


しかし似た性格の親子を隠居させて、信盛の弟にでも家督を相続させる道はなかったのでしょうか。

何故隠居で終わらなかったのか。


信長公が求めたのは、高野山に行き命乞いをすることではなく、「全てを捨てて、死ぬ気で一からあなたの下でやり直させてください。」

という、慣れ親しみ愛した主人との関係を一旦ゼロに戻しやり直す、潔い言葉だったのではないかと思われます。


そうすれば、信盛が乱してきた秩序を回復する手立てになったのではないでしょうか。老境に至っていた筈の元総司令官の謙虚な姿は、どれだけ組織と公のためになったことでしょう。

そしてそれを理解されなかった信長公は、最早彼を追い込むことしか出来なかったのかもしれません。


組織を生かすために、忠臣を切る。

トップとしては仕方のない部分もあるのではないかと考えられます。

そして、その気持ちを昔から側に侍り、親しくしていた筈の信盛は、最後まで理解出来なかった。

それが信盛の悲劇であり、のちの林たちへの追放へと繋がっていったのではないかと思われます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る