戦国時代の茶屋

 江戸時代の小説を読んでいると、門前町や宿場町に葦簾よしずを立て掛けた手軽な茶屋が並んでいて、旅人や参拝客、はたまた近所の人々が縁台にちょいと腰を下ろして、運ばれてきたお茶を飲んで、喉を潤す場面が描かれています。大変風情があって良いものですが、戦国時代には、そんな気軽な茶屋なんてあったでしょうか。


 京都に東寺という寺があります。東寺のHPの由来によりますと、平安遷都とともに建立された官寺で、嵯峨天皇の時代に弘法大師空海に託され、日本で初めての密教寺院になったそうです。「唯一残る平安京の遺構」とも書かれています。


この東寺には『東寺百合文書』という、奈良時代から江戸時代初期までの24067通に及ぶ膨大な寺院文書が遺されています。

これはネットでも拝見でき、私が利用させて頂いているのは「京都府立京都学 歴彩館」が公開されているものです。今回はこちらを参考にして、戦国時代の茶屋を見ていきます。


 さて由緒正しい官営の寺は、真言宗東寺派を産む修行場として発展し、南北朝時代には庶民の信仰を広く集めるようになっていきます。

この頃には、東寺の周辺では「茶売」と呼ばれる商売人の姿が確認されています。


彼らは「一服一銭」と呼ばれ、東寺の正門である南大門の辺りに茣蓙ござを敷き、移動式の釜を据えて茶を売っていたそうです。今でいう屋台のお茶屋さんですね。

背の高い茶托に乗せた茶碗に茶筅を立てて回しているような絵が見られ、その場で飲むお茶を供しているのが分かります。またそのほかにも、テイクアウト用に分包して茶の葉(粉?)を売っていたとも言われています。


東寺百合文書の中に、門前での商いに関する文書が何通かあります。その中の応永10年(1403)4月の文書をみてみましょう。


東寺百合文書

「南大門前一服一銭茶売人道覚等連署条々請文」

https://hyakugo.pref.kyoto.lg.jp/contents/sp/detail.php?id=10971


今までいたところに住み、門前の石段に住んだりしないこと。

東寺内にある鎮守八幡宮の宮仕の部屋に、茶道具を預けないこと。

お堂のお線香から種火を取らないこと。

お堂の閼伽井あかい(お供え用の水を汲む井戸)の水を汲まないこと。


請文とは上位者からの文書の内容を了承し、実行を約した文書です。「申されておられるような事は二度としません」という誓約書ですね。


百合文書を読んでいくと、茶売りがボヤを出したり、茶を買う客が門前を汚したり、色々とトラブルが続いて、その度にやり取りして茶売りたちが請文を提出してなんとか商売を続けさせてもらえるよう頑張っている姿が垣間見えます。

東寺の南大門前は西国街道が走り、参拝客だけではなく、多くの旅人や商人たちが行き来していました。彼ら目当てに商いをしていたようです。


また「担い茶売」「担い茶屋」「煎じ物売」と呼ばれる、天秤棒に茶釜と水桶を担いで売り歩く人もおられました。


1500年代後半に成立したとされる『七十一番職人歌合』という絵巻があります。これは当時の職人の姿を和歌、絵姿、口上、会話という形で記した非常に興味深いもので、これの第24番に「一服一銭茶売り人」と「煎じ物売り」の姿が描かれています。


Wikipedia「七十一番職人歌合」一「底本と諸本・版本」


東京国立博物館本『七十一番職人歌合』二十四番 「一服一銭」と「煎じ物売」より

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%B8%80%E7%95%AA%E8%81%B7%E4%BA%BA%E6%AD%8C%E5%90%88


 また『洛中洛外図屏風』や『天橋立 住吉社図屏風』『観楓図屏風』にも、「一服一銭」や「担い茶屋」が門前や行楽地で茶を売っている姿も描かれています。

東寺に限らず、様々な場所で彼らは店を開いて、お茶を供していたようです。

この「担い茶屋」は、秀吉が行った醍醐の花見で、蒲生氏郷がコスプレしたので有名ですね。


東京国立博物館

『観楓図屏風』

https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10470


お茶を飲ませてくれる担ぎ売りや屋台のような一服一銭がいて、庶民の皆様も気楽に喉を潤していることが分かりました。では、江戸時代のような葦簾よしずが立てかけられた縁台のある茶屋はなかったのでしょうか。


 数多い請文に、興味深い一通があります。

応永14年(1407)一服一銭茶売人兵衛二郎守重が、「茶屋に煩い懸け申すまじきこと」と請文を出しており、「茶屋」と呼ばれるものがあったことが分かります。また茶屋と一服一銭とは商売敵としてトラブルが多かったようで、何通かそれを伺わせる請文が遺っています。


『祇園大政所絵図』の赤い鳥居の両脇に当時の質素な茶屋の様子が描かれています。是非ともご覧頂きたいのですが、公開しているものは余りにも見えにくいものしかありません。旅をなされているおじさまの個人ブログの方で見ることが可能ではありますので、もし興味がある方は「祇王大政所絵図ぎおんおおまんどころえず」でググって見てください。


すだれで壁を作って、細い板葺き屋根に石を乗せている、質素な小屋ですが、その中には石の炉に窯を据えて、窯の横には水の桶が置いてあります。

ベンチのような縁台に腰を下ろして片足を組んだ男が、隣の店の縁台に座った巫女さんを覗き込んでいます。


こうした質素な作りの茶屋が東寺だけではなく、さまざまな社寺の門前には建ち並んでいたそうです。西院の地蔵堂前にはこうした茶屋が二十軒近く並び、北野社の方では茶屋だけではなく、餅屋や酒屋が並んでいたそうです。


戦国時代にも気楽に立ち寄って、喉を潤すことのできる茶売りが3種類あったことが分かりました。


戦国時代には宿場町が各地にありましたし、広く民衆の信仰を集めた寺社もありましたから、そういったところでは、こうした茶売りが「茶」を人々に供していたことでしょう。


次回は提供していた「茶」について見ていきます。

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