戦国時代に廊下を歩く
さて今回は、戦国時代の城の廊下の歩き方を見ていきます。
時代劇をみておりますと、「殿!一大事に御座います!」と、近習がバタバタバタと大きな音を立てて走って参ります。
しかし当時はすり足ですから、床を踏む音というのは、ほぼ能舞台などでしか聴くことはありません。
足の裏は擦れて、さぞや皮が厚くなったでしょうね。
すり足は、軽く膝や腰を曲げて重心を低く水平に保ちつつ、足の裏を地面と水平に運びます。
曲げた膝や腰が弾性を生みますから、体の軸がぶれず、上体が安定します。
上半身は背筋を伸ばし、軽く結んだ拳を腰の辺りにおきます。
集団で走る姿を想像すると、ニヤと顔が綻びてしまうのは私だけでしょうか……
そういえば、能で思い出しました。
先程軽くご紹介させていただきましたすり足ですが、当時のすり足は、普通の現代人では難しい足運びだったようです。
私たちが現在している歩行は、欧米型の「腰歩行」と呼ばれる、腰を中心に振り子運動で前進する歩き方です。それに対して、当時の歩行であるすり足は「膝歩行」の一種に分類されています。
『人類生物学入門』の中で香原志勢氏は、能のすり足を膝歩行の「一つの完成された型」と位置づけています。
この能の足運びが、当時のすり足に近いとされています。
当時の武家の趣味というのは、実用的なもので、鷹狩が軍隊を動かす鍛錬と社交上の食材調達が目的だったように、能もこの足運びの鍛錬や教養を深めることが狙いの一つだったと言います。
当時のすり足はつま先を軽くあげた緊張感のある美しい所作で、全身の筋肉を鍛えられていない現代人ではなかなか出来るものではないそうです。
さて足は裸足ですが、高齢者や病気の人は申請すると足袋を履くことが出来ました。申請をすると一足足袋を下賜されたそうです。面白いシステムですね。
当時の足袋は染めた革製のもので、一般の基本的着用は10月1日から2月20日までとされていました。
旧暦でなので、現代でいえばおおよそ11月初旬から3月末頃までのあたりになるでしょうか。
腰には小さい方の刀はオッケーですが、太刀、刀、打刀ですね、大きい方は控所に預けておきます。
屋敷内で大きい方の刀を持っているのは、詰所、控所にいる馬廻と殿だけになります。
他の人は刀の代わりに要を下にした扇子をさしておきます。
刀の二本差しが必須になるのは江戸期ですが、室町時代に成立しているマナー本を読みますと、腰刀、脇刀という言葉が盛んに書かれており、屋敷内では小さめの刀を差していたようです。
長さは定かではありませんが、江戸期の脇差よりもやや短い、小刀に近いのかもしれません。
さて廊下は人が歩く所なので、人とすれ違います。
向こうから人が来たなとなると、即座にその人の身分をお察ししなければなりません。
自分より下なら、相手の顔をジッと見る程度で大丈夫です。
同程度なら、お互い目と目を合わせて、軽く頭を下げてすれ違う、
これが自分より上になると大変です。
来た!と分かると、
蹲踞とは、背中を伸ばして、股を開いて両膝を曲げるお相撲さんがされている、あの座り方です。
「わっ!上司のなんとかさんや!」と識別しますと、ささっと端に寄って、いきなりスクワットをはじめるかのように腰を下ろして蹲踞の姿勢をし、近づいてきたら頭を下げて通過されるのをお待ちします。
ここまでは、上でも下でも一度相手の顔を見て、お互い確認することを求められます、
殿や貴人になると、さらに難易度が高くなり、あっちから来た!と分かると、端っこに寄って腰を下ろして、がばっと平伏をします。まぁ殿は先払いの小姓が付いていますから、こちらとは目を合わせておかねばなりません。
小姓と目があったら、両手をつけて、頭が地面や床につくほどさげて、ひれ
戦国時代は両膝はつきませんから、片膝をつく
この平伏の姿は江戸期になると、参勤交代の大名行列図でよく拝見致しますね。
有名な「したにぃ〜したに」。あれですね。
また廊下というのは往々にして、部屋がくっついていたりします。
そこにえらい人が座っていて、そこの前を通るという事もあったりします。
そういう場合は、その部屋に差しかかると、一旦停止して、腰を下ろして、その方がおられる方、部屋の方ですね、そちらの手をついて、それから立ち上がって通ります。
荷物を持っている場合は、そのまま通り、荷物を下ろした帰りがけに両手をついて礼をします。
しかし廊下が広々していないと、このスペースを取る礼法は成り立ちませんね。
この風習は、そのままではありませんが、明治時代の宮中にも伝わっていました。
天皇陛下の御座所(その時陛下のおられる部屋)の前を通る時には、荷物を持っていても、一旦下ろして頭をさげ、持ち直して立たずに通らなければならなかったために、大きな荷物を運んでいる時には大層大変だったそうです。
それを気の毒に思った明治帝は、奥におられる時には、女官たちの邪魔にならないように、通行の少ない場所へ、あっちやこっちと移動されていたといいます。
また女官同士でも戦国時代と同じで、向こうからくる女官の身分を瞬時に判断して、それに応じた礼を取らなければならなかったそうで、目が悪いとやってられなかったでしょうね。
こうした礼は、最も尊い方(殿)のおられる場所に、知らない人が紛れ込まない為の安全策の一つだったのかもしれません。
しかし見習い小姓たちは、すこし歩くごとに蹲踞することになるのではないかと心配です。
そうなると、まるでスクワットしつつ歩いている感じで、ちょっとばかり不憫です。
また老祐筆や老僧侶、それから足を怪我した近習たちは、どうだったのでしょうね?
その辺りは生活ですので、一定の免除や考慮が有るといいなと思います。
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