戦国時代のウエイター(御膳編)

 前回は若い馬廻たちが、お茶を点てて運ぶ様子をご紹介しました。


今回は、彼らがお食事を運ぶ様子をお届けします。


 さて当時の台所、くりやはどこにあったかと言うと、城主の場合は彼の城の主郭の御殿の裏手、或いは横の辺りに建っていました。

近くには味噌や塩の蔵がたち、御屋敷内の裏手の御半下の女たちの部屋の近くには、野菜などの食糧を備蓄している部屋があり、そこから材料を調達するようになっていました。

この台所は屋敷内に組み込まれている間取もあり、別棟として建っているものもあります。


台所には、二郭、あるいは三郭への専用の出入り口が作られており、堀はありませんが、一種の出郭的な形になっている城が多いようです。

ここに出入りする商人や人足たち(彼らも同じ家の家臣になりますが)は、厨房以外の主郭内には入ることができない仕組みなのですかね。


 台所では中級以上の譜代の家臣たちが料理人として、御半下の男女に手伝いをさせながら、調理をしていました。

この御半下の男女も、武家ではない領民です。


また調理は、武家の息子の嗜みの一つだったらしく、蹴鞠などを習うのと同じように料理を習い、上手な者はこちらでご奉公という形もあったようです。


こうした流れは、剣や弓の達人を招いて、技を披露させ、気に入れば家臣にするように、料理が得意という人を招いて、家臣にする家もあったので、お目当の殿に召抱えられるには良いルートかもしれません。

しかし雇う側としては、殿に毒を盛られないように十分気をつける必要がありそうですね。

彼らは「包丁」と呼ばれます。

料理も「包丁」とも呼ばれ、この包丁というのは、中国の有名な料理人の名前から来ています。


 調理された料理は、まず御半下(御末)の男が、別棟の場合は建物の裏の出入り口の所まで、同じ建物の場合は台所の出入り口まで運ぶそうです。

すると同朋衆たち(僧形の家臣)が受け取り、台盤所だいばんどころ、あるいは膳所と呼ばれる場所まで運ぶと書かれています。

分業化してるんですね。


台盤所は、主人の家族が住む常御殿にもありますし、表の会所や主殿にもあります。

会所は宴会を開催し、主殿では盃事をしましたね。


台盤所には大きな炉が切ってあり、五徳が並べてあります。そのせいか「炉の間」とも呼ぶことがあるようです。

そこに運び込まれた鍋を置き、棚から折敷やお皿を出して、同朋衆たちが配膳をします。


 いざ膳が整うと、今回の主役である馬廻たちが運ぶことになります。


当時は、身分によって料理の内容や食器、膳の形や数が異なりました。

客人が同じ部屋に会していても、その身分に応じた膳を出さなければいけません。


ですから客の座った位置や身なりをチェックしながら、間違わないように出すことが大事な役目でした。粗相をしては、客人が怒り、殿が恥をかきますから、気をつけなければなりません。


当時は武将も大名も、家格が結構上下しますから、あらかじめ取次同士で、打ち合わせをしておく必要がありそうです。


何しろこの頃、殿(武将を含む)が他所の殿にお招き、或いは手合(援軍)でお出かけなされると、毎日使番が本国、本城に詳細な報告を上げ、家臣達に共有されていました。


粗相がないように、よくことの分かった家臣が配膳係として何人か、現場で座席図片手に一々指示を出していたのではないかと思います。



 さて貴人を迎えるなど形式張った宴では、お運びをする馬廻達は自らの大きな家紋を5つ描いた「大紋」と呼ばれる直垂(上下揃いのスーツ的な感覚の着物)、或いはもう少しリラックスする宴なら家紋は付けない直垂を用いました。袴は引き摺る長さになります。

忠臣蔵の「殿中で御座る!」の姿ですね。


直垂ですから、頭には烏帽子をかぶりますが、さほどの格式ではない宴なら被っていないようです。


 直垂には組紐の胸紐の飾りがついています。

この胸紐は直垂とその下に着ている小袖の間に押し込んで、ブラブラしないようにしておきます。

武家は懐に手拭、鼻紙、扇子を入れておきますが、手拭、鼻紙は前回同様新しいものを携帯し、胸元深く押し込んでおくようにキツく言われています。

また扇子は抜いて、隅に置いておくようにと書かれています(『奉公覚悟事』)


 いざ御膳を運ぶ段になりますと、まずそれを自分の息がかからない程に、目より高く、軽く差し出す形で持ちます。

視線を足元や座敷の方へ向ける時には、膳の下から見るようにし、肴をチェックする時には、膳の上から見ると良いそうです。


戦国期の歩き方は、拙作「戦国の基本姿勢」でご紹介いたしましたように、狂言のような滑り足ですから、音もなく、上下することもなく、静かに移動できます。


 御膳はお茶と同じように、腰を降ろした後膳を置きますが、運んだ膳によって置く場所が違います。

これも時と場合と、客人の身分によって違いがあります。

場合によっては、一旦置いた後、前に置いた膳の位置を変えて、置き直す必要があったりで、なかなかぽっと出の馬廻では難しいお仕事になりますから、身分の下の方々の配膳からはじめて場数を踏み、覚えていくことが必要でしょうね。


 御膳を置き終わると、少し後ろに下がった後、そのまま立ち上がります。

その後右回りに帰るのが本式でしたが、座敷によっては左回りでも「苦しからず」(『今川大双紙』)。


 かくして客人が無事に食べ終わると、御膳をひく仕事が待っています。

現代では「ひく」と言いますが、万事験を担いだ当時では「挙げる」と言ったそうです。


本日のメインの客人(一番身分の高い客)は、末から挙げていき、一番最後が一の膳、本膳になります。

お相伴のそれなりの身分の方々は、本膳より二の膳と挙げていきます。


そして下々の皆様には、まず二の膳、三の膳のものを本膳に取り、その上に折敷を重ねて一度に挙げたそうです(『宗五大草子』)


戦国期当時は、身分によって格式が決まっていましたから、間違わないようにすることは非常に重要なことで、緊張しそうですね。


また殿といっても、小身で、男性の武家の家臣がいない殿が宴会を開く場合は、奥様が主体になってがお運びをしたり酌をしたりしたようです。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る