戦国時代のウエイター(酒編)

 今回は馬廻のお仕事、お運び編の最後、最も緊張をするお酒の給仕についてです。


お酒の給仕は大別して、主殿で行われる盃事と会所で行われるうたげで御膳とともに供されるものの二種類がありました。


式三献の場合は、配膳は馬廻がする場合と、盃を頂く側の主人やその子息が務めめる場合がありました。

まだ年若い当主で、子息がいない場合はどうするんでしょうね。兄弟とか乳兄弟が務めるのかもしれません。


 宴に出す盃運び、御酌などは、若い馬廻の仕事になります。

御膳と一緒で、客の身分によって四方(折敷の下に四角い台が付いていて象嵌という穴が四方向についているもの)、三方(象嵌が三つ)、脚付、平折敷の上に盃を乗せて運びます。


 盃は正式で格式の高いものでは素焼きの土器を使い、そうでは無い場合は釉薬を使った陶器や、みた木製の盃のものが使われます。

大きさは「三度入、五度入」など様々なものがありますが、度イコール寸で、三度入とは三寸のことを示しました。正式なものは三度入になるそうです。


持ち方はお茶と同じで、右手で台を持ち、左手で台と盃を持ちます。そして御膳と同じように少し上の方へ差し出す形で持つと良いようです。


ここも客人の身分に応じた台を間違わないように置かねばなりませんから、ここも緊張するポイントですね。


 そうやってソロソロと滑るようにして座敷に入り、客人の前に盃を置きます。

それから「二つ、三つ程しざりて」(『伊勢兵庫頭貞宗記』)ですので、おそらく合気道でいう膝行でそのまま二、三歩下がり、立ち上がります。


 公饗は供饗とも書きます。

盃、銚子、提は、お雛様の三人官女の持ち物と同じですね。

真ん中の官女は盃の代わりに「島台」というお飾りを持っている場合もありますが、盃であれば祝宴で給仕をする馬廻たちと同じになります。


銚子は「長柄」、或いは二つの名前が合わさって「長柄銚子」とも呼ばれる、長い柄のついた金属の容器で、注ぎ口が片方にだけある片方かたくちと前後についている諸口もろくちがありますが、正式なものは片方になります。


提は蓋のない、フラットで瀟洒なヤカンと言った感じのもので、これは長柄にお酒を注ぐものでした。


銚子と提はお揃いのデザインのもので、桃山時代には提に蓋をつけるものが現れ、江戸期になると長柄銚子ではなく、こちらの提から直接注ぐようになります。

また素材も戦国時代では金属の錫や鉄などが一般的でしたが、のちに木製の漆器、陶器も出てきます。

それぞれ大きさについて記述はありませんが、現代の神具、あるいは結婚式調度販売のHPで確認することもできます。(当時とは変わっているかもです)


伊勢宮忠 結婚式調度品 長柄銚子と提

https://www.ise-miyachu.net/SHOP/kc-nec-ck-040.html


 銚子を持った馬廻は「御酌」役、提を持った馬廻は「加え」役といい、ここではわかりやすいように「役」を付けますが、本来は「御酌」「加え」と呼ばれました。

彼らは二人一組で、座敷の隅っこに右の膝を立て、左の踵に尻を置いた座り方で控えています。

御酌役は、「長柄の中程のかずらの上に右の大指をかけ、左手を折目にかけて」(『宗五大草紙』)持っておきます。


「かずら」というのが何を指すのかわかりません。ごめんなさい。

「折目」は長柄の末のZになっている部分のようです。


それを考えると、長柄銚子にはタップリとお酒が入った状況なので、バランスを取るためには本体部分の上の取っ手?のところに、逆手で右手の親指をかけて持つと安定するような気がします。

ここが「かずら」なのかもしれません。


殿の刀の持ち方でも見ましたが、戦国期は美々しい見た目よりも、実用的で失敗の少ないやり方が好まれるようなので、どうでしょうか。


「酒飯論絵巻」も確認したのですが、諸口のものの絵しかなく、寛いだ宴で、銚子が床に置かれていまして、宴もいよいよたけなわという感じが致します……

寛いだ宴では、ここで書いてあるような形式ばったものは、最初のうちだけなのでしょうか。


とりあえず、記録に残っている所作を書いていきます。


 「あ、あの人盃を干したな」となると、御酌役と加え役、二人で進み出ます。

常に御酌役が先に行くそうです。

そして御酌役は、右手を前に左手を後ろにして柄を持ち、左手の親指を右手の下になるように取ると『今川大双紙』にあります。


ちょっと意味が取りにくいですね。

youtubeで「神前結婚」「三献」「三々九度」などと検索すると、巫女さんが盃に長柄銚子で酒を注いでいる様子を見ることができますが、現代では当時とはどうも違い、銚子を体に平行なまま、長柄の部分を右手で順手に持って、下に回転させる形で注ぐようです。


戦国期では手を前後させますので、御酌役の馬廻は客の前に正対すると、自らの左側に長柄銚子を移動させて、逆手に持った右手を上に回転させるようにして、客人の盃の右側からお酒を注ぐのでしょう。


また注ぐ時には、銚子の口を盃につけないように、ゆっくりと注ぐことを注意点としてあげてあります。


御酌を終えると、少し後ろに下がりかしこまります。


 御酌役が酌をしている間、提を持った加え役の馬廻は一緒に進み出、右手で「てつる」(取っ手部分)を持ち、左手で提の胴体部分に手を添えて、右膝を立てて座って控えています。

そして酌をして少なくなった長柄銚子にお酒を注ぎます。

加え役に注いでもらった御酌役は立ち上がり、その後から加え役が立ち上がります。


 さてこのように、宴において粛々と盃を満たしていく彼らですが、たまに殿がご機嫌になって「盃をやろう」と言い出すことがあります。


そうした場合、御酌役の馬廻が土師器、素焼きの盃を持っていくそうです。

盃を持っていくのは、盃役ではなく、御酌役の馬廻なんですね。

右手の親指を「かずら」にかけて逆手で持ち、そこに盃を置くようです。

盃を賜る人の前に進み出ますと、『今川大双紙』によると賜る人が一度殿を見てから盃を取り、御酌が先ほどのように酒を注ぎます。


また一人、二人ではなく、一度に大勢の人が盃を賜る時には、配膳係の馬廻が衝重ついかさねと呼ばれる四方や三方に土器の盃を重ねて置いたものを、殿の前に運びます。

そして、盃を賜る人が殿の前に進み出ると、土器の盃を渡し、受け取るとそこにお酒を注ぎます。


お酒を飲み終えると、床にそのまま置かれますので、それを取って、衝重の上に戻します。

それを繰り返すことになります。


受ける側の作法は、また別項でまとめます。


 御酌役は、他の家、当家関わらず、重臣や貴人に会えるチャンスでもありました。

そういう時に、アイツは気が利いた奴だと言われる為の、一つポイントがありました。それは、お酒を注ぐ相手の「お酒を飲みたくない」というサインを見逃さないことです。


それはそっと顔を見られる、というものでした。


しかし、客人としては「お、イケメンやん?」とか「おや、この馬廻くん、誰かに似てへんか?」とか目が行くと、まだまだ飲み足りないにも関わらず、お酒を注いでもらえないという事態が発生するわけですね。


もう少し、分かりやすいサインにしてもらいたいものです。


 さて、最後に出陣式で行う御酌ですが、この時の座り方は、蹲踞だったそうです。

つまり両膝を立てて、股を開いて腰を伸ばした姿勢だったようです。











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