桶狭間 今川義元軍の人数の考察①

 桶狭間合戦に於ける今川軍の軍勢を、『信長公記』では「四万五千の大軍」と書いており、それはいくらなんでも多すぎる、盛りすぎと言われています。


今回はここを考えてみたいと思います。

これは素人の知識で捻出したもので、大変なエンタメとして考えてお読みください。

 

 現代で戦に動員された人数を考える時には、動員人数算定方程式〔一万石につき二百五十人など〕に石高を算定して入れて出たものを、単純に採用する場合が多いものです。


しかしその基本となる戦国時代の石高算定が、わかっていません。

普通、太閤検地だったり、江戸時代の石高から出すことが多いのですが、フロイスが「農地が荒れ放題だ」と言っているように、戦国時代の農作物の収穫高はそれらを下回っている可能性が高いのです。


またこの算定式による動員人数は、構成員について考慮が少ないという欠点を孕んでいます。

その上、その土地の前年からの戦乱の様子、天候を念頭に置かなければ、大きな間違いを犯すことになります。


とは言っても、それぞれの国の状況というのは、今となっては正確にわからないことが多いのです。


で、わかんないのですと繰り返しては、進みませんから、著名な研究家の方々の意見から、まず見ていきましょう。


小和田哲男氏は、著書『今川義元』の中で

「金山からの収入もあり、石高に換算すれば九十から百万石くらいはあったとおもわれる。つまり一万石、二百五十人の計算でいけば、今川軍の最大動員兵力は、二万二千五百から二万五千くらいだろう」と述べています。


また、橋場日月氏は『新説 桶狭間合戦』に於いて

「それでは、今川の領国、駿河、遠江、三河はスッカラカンの空家状態だ。」と嘆いています。


確かに各城に留守居を残さねば、いかに戦国期最大級の大名家といえども余りに不用心で、他の家が食指を動かしても仕方がないでしょう。


それをもって「今川本軍の数は一万二千ほどしかなかったはずだ。この中には輜重兵しちょうへい(軍需物資輸送担当)や土木作業者も含まれているから、純粋な戦闘員は」「一万を切るあたり」としています。



では、今川領に武家の人々が、何人住んでいたのでしょうか。

まず今川領の人口を、おおよそになりますが考えてみます。


 通常、一石は大人一人が一年間過ごせる単位であるとされています。

となると、90〜100万石の今川領には、赤ちゃんたちを含めると、100万前後の人が住んでいたことになります。


この一石、大人一人というのは、明治末に歴史、地理学者である吉田東伍氏が行った講演以来、覚えやすいのもあり、広く流布されたものです。

ところが一石で大人一人の計算は、吉田氏が生きた1800年代が、たまたま例外的に当てはまっただけであることが指摘されており、2018年に斎藤修氏がこれまでの研究者のまとめを発表されています。


非常に専門的で難しい内容ですが、疫病や天災も考慮され、様々な研究者の計算から50年ごとの人口を算出し、まとめ考察を加えた圧巻の論考です。


これまでの戦国時代の人口は、吉田氏の計算により、1600年の検地の石高1850万石を基にして1800万人であるとされていました。

それを斎藤氏は同じく1600年の検地を基にして、1700万人であるとしています。


どちらにせよ、鎌倉成立当時の総人口が757万人、室町成立で818万人とされていますから、こんなに人口が増えたのかとびっくりですね。


しかし永禄年間に1700万人ほど、日本に人がいたのかというと、それは難しいという気がします。


上でも申し上げましたが、まず太閤検地(1582年から1598年)や、よく基準とされる1600年の検地にせよ、豊臣政権が樹立以降は、曲がりなりにも全国的に戦乱が減り、わずかな間に戦の仕方を忘れていたという逸話が残っています。

つまりよく基準とされる1600年の検地が行われた頃、戦乱による死者、農地の荒廃が減っていたということになります。


更に永禄元年から3年間の関東圏の饑饉は、相当なものがあったように記録されています。

特に桶狭間の戦いのあった永禄3年(1560)春の食糧不足は危険水域を大きく割っており、かなりの人が亡くなっていたはずです。

この情報はまた下に詳細を記します。


そこから考えると、よくて1600年の検地の3分の2、ひょっとすると5分の3程度なのではないのでしょうか。

すると3分の2で1500万人。5分の3で1020万人になります。

実は國學院大の矢部教授は、戦国時代の平均的な総人口は、1200万人くらいがいいところではないかとされています。

また国土交通省資料では、江戸幕府成立(1603)で1227万人、速水融氏は1600年の総人口を1230万人とされています。


そう考えると、永禄3年というのは、前年までに疫病と度重なる自然災害で大変な状況でしたから、1020万人でもおかしくありません。なんなら1000万を切っていてもおかしくない状況でした。

戦国時代の人口というのは、大体1200万人から1000万人前後、この間らへんで推移していたのではないかと考えられます。

この辺りを基準に、今川領の人口を考えてみます。


さて小和田氏の御考察、今川家は90から100万石を基にして、斉藤氏の算式で割合を考えて計算すると、今川領の最大人口は単純計算では65万人前後になります。

土地の荒廃や飢饉を考えて、永禄3年当時を考えると、1700万人が1020万人に目減りするなら、比率0.6として39万人ということになります。1200万人なら0.7なので、45.5万人となります。

今川領の戦国当時の総人口は、おおよそ40万前後だっただろうということになります。


この中で、戦闘員の人数はどれくらいなのでしょうか。


当時の階級別の人口の割合で武家は一割以下だったと言われており、まずそこから算定をします。

一般的には、鎧兜をつけているのが武家、編笠なのが雑兵と言われており、この鎧兜をつけているのが、一割ということになります。

そうなると今川領では、約4万前後の鎧兜の「武家」がいたことになります。


 次に軍構成についてみていきます。


当時の兵役制度は、どのようなものだったでしょうか。


当時の兵役は数21から60歳までが正丁(正式な兵役と課税対象者)とされていました。

61歳から65歳までを次丁、17歳から20歳までを少丁と呼び、正丁の人数が足りない場合、駆り出されていました。


武家でも基本的には同じだったのですが、ご存知のように少丁、或いは小姓としてそれ以下でも、戦さ場へ出ていました。


しかし、それは当たり前という意識ではないんではないかと思われます。


稲生合戦(1556)で、信勝の小姓頭を討ち取った前田利家(数19歳前後)を「於犬は、小童なれど」と褒めちぎったのは、まだ正丁ではないのにという意味ですし、また21歳で後見が取れて一人前の武者とされるのもこれが根拠でしょうし、一家の主人、あるいは武家の嫡男が15.6で婚姻をして、20歳までに男児を上げることを求められるのも、正式に戦さ場にでる前に次代を、ということで、あくまで本来は21歳から60歳という意識があったのではないかと考えられます。


「香取文書」(江戸時代)によると、永禄5年(1562)の人口4,994,800人のうち、男性は1,994,828人、女性は2,994,830人になります。

なぜか、端数がでてるんですけども、おおよそ人口の男性の占める割合は39.9%。

加藤秀明氏の論考でも、岐阜県大野郡清見村の一部における、1830年の宗門改帳では人口608人のうち男は287人で47%。女性がやや多めの傾向があるようです。

まあ、戦国時代は戦関係で死ぬ男性も多かったでしょう。そこから考えると大体今川領には約16万人ほどの男性がいたことがわかります。


戦国時代の性別年齢別の人口分布の資料を持っていないのですが、基本的に日本の昔のそれは釣鐘形の分布図になると言われています。

先述の加藤氏の論考では、全体に対する該当年齢の男性の占める割合は、20代約6%、30代約6%、40代約5%、50代約2.5%で、兵役の該当年齢の人口は、約19.5%。

長澤克重氏の研究の1810〜1821年の陸奥国狐禅寺村の人口の性別の年齢分布では、22から61歳は全体の17%に当たります。


この頃は戦も無くなっていますので、この年齢層の男性の占める割合は、戦国時代に比べて高くなっているとは思います。

とりあえず、17%なら68000人、15%なら6万人程度の兵役該当者がいたことになります。


今川領にいる全男性の予想人口の16万からの、6万が該当者なので、やはり2万程度の軍勢は大丈夫かな?と思われます。


ちなみに1番多いのが5歳までの子供で、男児だけで兵役該当者と似たり寄ったりの人数がいました。子供の死亡率が高いので、元服する年齢まで生きられないのですね。

鬼頭宏氏の『 日本二千年の人口史』に「「寛政重修諸家譜」によると、旗本の平均死亡年齢は、1561〜90年の出生者が42.3歳だったのに対し」、「「宗門改帳」から推計された庶民の平均余命(出生時)はもっと短く、17世紀には20歳代後半ないし30歳そこそこだったと考えられる」とあります。恐ろしいことです。


 

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