武将の娘の忙しい嫁入り

 戦国期の大名の娘の嫁入り、特に嫡男へのそれはなかなかに時間と手間とお金のかかるものでしたが、主人を持つ武将の場合はどうだったでしょう。

ほんの一例になりますが、見ていきましょう。


徳川家康の家臣である深溝城主松平家忠の、天正十一年(1583)の様子を見ていきます。

前年天下人信長公が本能寺に斃れ、この年には秀吉と柴田勝家が争い、翌年には小牧長久手の戦いへ向かう年のことです。

浜松城に呼ばれた家忠は、二月四日に吉田の酒井左衛門尉忠次の城に一泊した後、翌五日に浜松に入り、六日に城へ出仕しました。


するとそこで顔を合わせた田原の大津(高縄)城主、戸田三郎右衛門に「そなたの妹をうちの嫡男に娶せたい」と申し入れられました。

「この縁談、殿(家康)のご意向である」

お前に断る権利なんてないぞ!と言わんばかりのお話です。そんな大事なことを、いきなり言われたらビックリです。


ちょうどこの日、家康のお母様の於大の方が、岡崎から浜松に来られました。

この頃はおもてなしの一環で、お出迎え、お見送り文化があり、客人と縁のある人たちが領地の端や境目あたりまで出てきました。

この時はお母さんがやってきたので、わざわざ家康が出向き、さらに家忠の正室は於大の方の弟の娘、つまりいわゆる姪という立場ですので一緒にお出迎えを仰せつかりました。


妹の舅になる戸田三郎右衛門忠次の父親は、戸田光忠と言います。

氏族は三河田原戸田氏で、光忠のお兄さんが元田原城主戸田康光です。なんだか聞き覚えがありますね。


戸田康光は天文十六年(1546)、今川に送る予定のご幼少時代の家康を、織田弾正忠家に売ったという噂の方です。


しかし近年では、朝廷の仲介で和平を結んだ今川、織田連合軍が、戸田、松平連合軍と敵対し、今川が戸田を、織田が松平を攻めた際に敗北した松平広忠が、自ら織田へ家康を差し出したという説が徐々に優勢になっていっています。


また今川に城を攻められた田原城の戸田宗家は滅びますが、光忠は家康のお父様の継室になっていた康光の娘を頼って、松平家に落ちました。


まぁたしかにでございます。

嫡男の家康くんを敵に売り渡した康光の弟を受け入れるとか、人道家で家を滅しそうになる家康ぱぱが許しても、忠義者の松平家の家臣たちが許さないでしょう。

またそもそも敵対していたら、継室になっていた戸田氏娘を返していそうなものです。


さてその光忠の跡を継いだ忠次の嫡男が、永禄八年(1565)に生まれた戸田甚九郎尊次で、今回の婿殿になります。


戸田忠次は、弟の勝則がおとなしく家康に近侍しているのを横目に、ちょっと色々暴れてていましたが、この頃嫡男の尊次共々、やっぱり殿が一番でしたと従順な姿勢をとるようになりました。

そこで家忠の妹娶せることで、主従の絆を深めていくことにしたのでしょう。


十日ほど浜松で過ごした家忠は、十五日に居城である深溝城に帰ります。

おそらく浜松から使者を遣わし、婚儀のことを知らせ準備に取り掛からせていたと思います。

十八日には「婚礼は二十四日」という御沙汰を受け取ります。

そして二十四日には妹を送り出しました。

六日に話があってから、十八日目のことでした。

全くすごいスピードですね。妹さんの気持ちやいかに!


深溝城と大津城はグーグルくんによると徒歩で6時間程度の場所です。

家忠はその倍はありそうな距離の浜松城からご自宅の深溝城まで、その日のうちに帰ったということをいっていますから、輿に揺られつつその日のうちに着いたのかもしれません。


お嫁さんは家忠の三番目の妹で、後に萬松院と呼ばれる女性です。

その後無事に嫡男をあげています。この方の腹かはわかりませんが、娘が滝川一益の孫の一乗の正室になっています。


それは良いんですけども、その後婚礼に関するような記載はありません。

当時は婚礼の式とか、宴みたいなのはなかったのでしょうか?


妹の祝言に出た話はないんですが、家忠が他の武将の祝言には行ったという記述があります。


 浜松に出仕する時によく一泊させて貰っている吉田の酒井左衛門尉忠次は、ご存知のように徳川四天王、徳川十六神将と呼ばれている方です。

正室が家康の血筋の方なのですが、これが例の秀吉の親戚である青木加賀守の娘お富の方と家康の祖父松平清康との間に生まれた娘です。

この方と忠次の間に生まれたのが嫡男の小五郎家次です。

天正十年の三月に織田家に転仕し、家康に与力として付けられていた武田二十四将の一人で穴山梅雪の娘が家次の元へ、天正十一年三月十七日に嫁入りしてきたと書かれています。

穴山梅雪はご存知のように、家康の最後の安土城訪問に同行し、本能寺の変のあと亡くなっており、跡目を十一歳の勝千代が取っています。

嫁入りの八日後の二十五日に祝言が行われ、これに家忠は参加しています。


更に五月二十六日、形原松平家嫡男家信の元へ長沢の松平康忠の娘が嫁入り、松平家忠はお嫁さんの輿を大塚まで出迎えをしてます。

翌二十七日に祝言があり、再度形原へ足を運んでいます。


松平多いですね。


何しろこの頃「松平家忠」は3人も存在しています。

松平姓の人だけでも沢山いるのに、名前まで一緒だなんて、当時は通称で呼び合うから良かったのかもしれませんが、現代においては混乱の極みです。

しかも彼らについては名前だけでなく、住んでいる場所も、歳も近く、婚姻関係まで複雑です。

まず今回中心に見て行っている深溝城主の松平家忠(1555生)、上記の婚礼を行なった形原松平家の家信の父親の家忠(1547生)、それから東条松平の家忠(1556生)です。


深溝家忠と東条家忠は歳一つ違いで、特に仲良しでした。更に深溝家忠の妹のちいは姫が東条家忠の正室ということもあり、頻繁に交流していましたが、残念なことに東条家忠は天正九年(1581)の十一月一日に亡くなり、十四日にはちいは姫が返されました。東条家忠は生来病弱だった為子供はおらず、城は明け渡しになりましたが、名跡を家康の四男忠吉が継ぎます。


東条家忠の三周忌を終えた天正十一年十二月八日に、家康よりちいは姫の祝言に関する知らせが入ります。

ちいは姫が元武田氏重臣、跡部勝資の息子の昌勝に嫁ぐ話が持ち上がっていたらしく、その嫁入りの日が二十七日に決まったという沙汰でした。


その前の月の十一月の八日に、下之郷(蒲形城)の鵜殿松平(家康の祖父の末弟が祖)長信に嫁いだ、家忠の妹のさち姫が深溝城に八日間滞在し、その間の十二日から十四日にかけて長信自身も深溝城に足を運び宿泊しています。

嫁いだ妹が夫を伴って長く逗留した記述は、ここしかありません。

更に十二月十四日には岡崎に出向き、板物(板を芯に巻いてある絹織物)を購入しています。

これらはあらかじめ婚儀の話があり、ちいは姫の再嫁に関する相談や準備をしていたのではないかと思われます。


ちいは姫の嫁入りには、五月の婚姻で家忠が出迎え役をした形原松平家から人足十六人、さち姫の嫁ぎ先の下之郷松平家からは人足二十人と馬五疋、於大の方の娘を正室にしている竹谷松平家から七人と馬五疋の助勢を受けています。

この竹谷松平家の長老清善は深溝家忠の嫡男の幼名の名付親であり、その祝宴には三代で駆けつけて祝っています。


そして正月一日に、家忠は昌勝の所へ出向き挨拶をしています。引き出物は刀で、昌勝からは具足を貰ったようです。



まとめると、武将は適齢期の子がいると、主君から「誰それと結婚してはどうか」という縁談が、突如として持ち上がるようです。

深溝城主の家忠は吉田の酒井忠次の配下で、一ヶ月に一度はなんだかんだと顔を合わせていますから、そこで「うちの妹がそろそろ」とか「そういえばお主の嫡男はそろそろ」という話になって、それを主君に伝えられているのかもしれませんね。


それからしばらくして殿から「いついつ嫁入るように」という日程のお知らせが来ます。他の家から転仕してきた相手なら、告知から日程のお知らせまではもう少し猶予があるようですが、相手方が同じ家の相手なら、数日でお知らせがくるようです。

婚儀が持ち上がり、日程のお知らせがあり、実際の輿入れまで、事情がなければ一ヶ月前後という感じでしょうか?

子供や兄弟姉妹がそういうお年頃になると婚礼の準備をしていないといけませんね。

ちなみに大名とは違い、結納とか婚約とか起請文とかいう話は全く出てきません。いきなり婚です。


嫁入り、嫁取りの時には、普段から仲良くしている周辺の武将たちが、輿の受け渡しをする出迎えや送りの人数を出してくれます。

嫁入りの後、別の日に祝言が行われます。

お嫁さんの関係者はどうされたのか、家忠の日記には書かれていないので、もしかしたら参加しないのかもしれません。


ちいは姫の婚礼の後、跡部の家には顔を出していますが、萬松院と戸田氏との婚姻の後、挨拶をしに大津城に行ったという記述はありません。

これは普段から知り合いかどうか、顔を合わせたことがあるかどうかというあたりに関係しているのかもしれませんね。


この縁組の後は跡部家や先の戸田家と縁が深まって、家を訪問しあったり、獲った鳥を届けたり、様々に交流する様子が見られます。


大名の嫡男の正室の起請文を交わし、婚約を整えての一年越しの婚姻とはえらく様相が違いますね。




それでは今回はこの辺で。

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