戦国期の貞操観念
ひと昔ほど前の時代では、日本女性は「大和撫子」と言って、貞操の堅い慎ましやかなもので、昨今のおじさま辺りから「最近の女は」などと「昔は良かった」シリーズの一つとなっています。
では、日本の女性は昔より此の方、民族的にそんな男尊女卑の影にひっそりと咲く、一輪のたおやかな花のごとき性質を備えていたにも関わらず、西洋のイケナイ風習に押し流されて、乱れるは、強いものになるは、とんでもないハシタナイことになったのか?と申しますと、残念ながらそれは違うようです。
むしろ日本という国は、性的には南国調でおおらかであり、多夫多妻をベースとした女系社会でした。
そこから国、部族を治める「家」の出現によって、頂点に立つ男性の血流を如何に対外的に保証するか、という必要性が出てきました。
難しい言葉を駆使してみましたが、ほんまにそいつ、殿の胤やろね?みたいな。
といっても、ほんまかどうかというのは所詮分かんないもんで、システム的に保証するみたいな形ですね。
戦国期においては大名や武将とその正室は、殿が数えで19まで、あるいは男児を上げるまでは、お互い以外、事を致さないというルールですね。ええ、小姓は例外ですけど。小姓は子供が産めないのでセーフだったようです。
そのように、システムとして保証する形が必要なのは、トップの人だけで、あとはゆるゆるでした。
このゆるゆる感は、歌垣、夜這いの風習が昭和まで残っていたというのを見ても、日本人って、元はそんなもんなんだという感じがします。
大体その保証をされていたトップ階級の人とても、「参籠」システムでぶっ壊れ気味です。
平安期前後の話を読んでいますと「篭ってお祈りしていたら」「毎朝、神社に行って」「子宝に恵まれた」という有難いお蔭話が出てきますが、これはなんてことない無縁の場による子作り行為による受胎があったという話です。
つまり寺社に「子供が授かるように参籠します」、つまり「お泊まりで子供が授かるようにお祈りをいたします」と参りますと、そこは無縁の場ですから、俗世の身分など関係ありませんので、基本的に雑魚寝です。
一応姫君なんで別室に篭っておりましても、古来の風習でお忍びがあります。
すると神の力か、自然の力か、一夜のバカンスが花開き、無事子宝が授かる的な感じになります。
太閤秀吉くんちもこの参籠システムで子宝をゲットしたと言われています。
残念なことに最初の子は、亡くなってしまいます。すると茶々さんが私的な参籠で、第二子をゲットしてしまった為に問題が……
茶々さんは浅井家か織田家か、はたまた両者のか、その血を天下人にする執念があったのかもしれませんね。
出来たものは仕方ない(?)ので、秀吉くんの打った手が秀頼には乳母を雇わないというものでした。
乳母をつけない事によって恥をかかせたという説もありますが、それについてはわかりません。
しかし乳母をつける理由の1つが、次の子を妊娠させる為でしたから、母乳を出している間は妊娠しないという説が蔓延していたのでしょう。
何しろ当時は、五年もの長きに渡って授乳するので、この間は流石?の茶々さんも、参籠しにいけないので妊娠しないはずです。
まあ真偽のほどは分かりませんが、太閤家第二子に関してのみ問題があると噂になっていたのは、私的な参籠と公的な参籠があるという一例で、公的な参籠で子宝を得ていたというのは不妊治療として行われる一手であったわけです。
しかし公的であれ、です。
シャッフル的に誰かわかんない人と致せるというのは、現代的には余程おおらかな方以外では、なかなかハードルが高い気がします。
例えばですよ?
あなたが転生して姫君になって、「子供ができないじゃないか」ということで、「参籠してしっかりお祈りしてきなさい」と言われて籠っていたら、もうね身分と年齢、性別に関係なく雑魚寝で、「どう?」とくるわけです。
イケメンの公家や貴族、たまたま戦勝祈願に来ていた織田信長や伊達政宗とは限りませんよ?
どっかの脂ギッシュなオヤジかも知れない訳です。
これはかなり頭痛がすると思うのですが、どうでしょう。
まあ選ぶ権利は女性にあったらしいので、暗い中ですが、よくよく選別しなければなりません……
おお!ええじゃないか!と思ってる男性の方も、よく考えてほしいです。
病気だとか、出世したいとかで籠っていますと、「あら、どう?」とくるのは若くて綺麗なお姉ちゃんならいいかもしれませんよ。そりゃあね?
ところが自分の母親みたいな、或いは近所のばーちゃんみたいなおばちゃんが、「どう?」ってくるかもしれません。
しかもそれがどこかの奥方で、侍女の皆様が「うっとこの奥様に恥をかかせるか」と身体を拘束しにくるかもしれません。
この基本的に誰とでも致せるという精神構造は、女性同士でお金も持たずに諸国を旅するという、鎌倉から戦国期に見られる行為にもよく表れています。
清らかなはずの尼さんですら身体を売りながら旅をしている時代の話ですから、いわんや在家の娘をや。
「年頃の子がフラフラ出歩いて、夜になってもなかなか帰ってこない」
「2、3日帰ってこない」
「近所の何とかちゃんと、勝手に旅行に行ってた」
と聞きますと、現代では不良的な捉え方で
「親との関係が上手くいかず、ぐれちゃった」
「親の顔を見たいもんだ」
「大人は理解してくれない」
みたいになって、盗んだ馬で走り出して、槍を振り回して土塀を壊す的な謡いの1つでも唄う人がでそうな感じを受けます。
ところが、当時的には例えそれが年頃のお嬢さんだとしても、況んや娘をやという、よくある話だったというのは、どなたとでも事を致せる以前の問題として、正直信じ難い気がします。
だって家族が、突然家に帰ってこなくなる訳ですよ?
フロイス氏もこの国の女性ときたら、親に何も言わずフラリと出て行って、何日も帰りゃしない!どうなってんだ!と呆れています。
現代の親御さんは全くをもって、フロイス氏に一票を投じたくなると思います。
貞操観念以前の問題として、もう精神構造自体が全く違う気がします。
もうこうなると比叡山の僧兵だって、妻帯しても仕方がない、仕方ないという気がしてきます。
またこのほぼゼロ、いやもはやマイナスだろうと言っても過言ではない貞操観念は、武将たちが陣取りをした時に、村々から「添い臥し」を出したり、客人がくると、「おっかあ」とかをもてなしに出すというところにも表れています。
つまり現代女性は、日本古来の貞操観念下にある女性に比べると、とんでもなく貞淑なんですよね。
だから
おっ!ええな!やりたい放題?
と転生の準備をしたくなった男性の皆様。
戦国時代あたりに行けば、男性陣は庶民でなければ皆、男色を嗜まなければなりません。
しかも身分が高ければまだいいですけど、家臣であれば殿が「若衆におなり」と声をかけてくれば、夜な夜なお尻のお手入れをしないといけないわけですよ?
その上、それを皆「名誉だ」と喜ぶわけですよ。
殿がどんな人でも、選ばれた家臣は「あぁ!殿ぉ!」って致せる訳です。
また致す殿とて、はっちゃけたお屋形様や公家とかじゃなければ、あんまり好みじゃなくても、家臣のバランスを考えて若衆を選ばないといけません。
また女性関係に於いても自分の室の皆様とて、好みで選べる訳ではなく、家の存続、家臣のバランスで入れるのが基本ですから、誰とでも致さないと殿稼業は成り立たないんすよね。
ですからもうね、基本的に戦国時代と現代では、物の捉え方、感じ方というのは違う訳ですね。
小説などでは読み手と感情を共有するために、仕方ないのですが、歴史自体を見るときに、感覚や常識という基礎が私たちとは違うんだぞというところを押さえておくことは、当時の人を理解する上では非常に大事かもしらんね?いうことを頭の隅っこに置いておきたいものでございます。
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