戦国時代の座り方、おかわり。

以前、戦国期の座り方は、片方の脚を立てた座り方だった、という話を書きました。

立ちやすくないと、当時のことですから、危なくって仕方ありませんよね。ええ、ええ。


ところが、この他にも座り方は色々ありました。


  外で敷物などない地面に座って、殿を待つ、なんてことも御座います。

『春日権現記絵』という、鎌倉時代の絵巻物があります。

こちらを見ますと、左膝を立て、右膝を大きく開き、尻を右の踝の辺りに乗せ、右手で弓杖、或いは、槍、刀をついて侍っている、武士たちの姿が描かれています。

とてもいかめしく、端正な風情です。更には、地面が濡れてても、膝が汚れないのでいいですね!

次の動作にも移りやすく、殿が現れ次第、速やかに立ち上がることも可能そうです。この座り方を「片踵座かたきざ」と呼ぶそうです。

殿の御前に進み出て、拝命する時にはこの座り方をするそうです。


あっ!戦場では、膝をついちゃダメだそうですよ。

膝を屈するという不吉な座り方になっちゃうそうですね。

前に今の正座で座ることを、つくばるといい、はいつくばるで、敗残の将として引き出される時の座り方で、腹をカッさばく時も、この膝をついたシリーズの、足首を立てたつくばるになるって言ってましたね。

膝つけ注意ですね!


さて、また、そこには「両踵座りょうきざ」と呼ばれる、お相撲さんの蹲踞そんきょのような座り方をしている人もいます。

股を大きく広げて、立てた踵の上に尻を乗せています。


小者は、ヤンキー座りをしています。太ももを体にひき付けて、ちょっと情けない感じがします。

股はあまり広げておらず、閉じている人もいます。

しかし体……柔らかいですね。

股関節と足首の可動域の広さは、大変なものがあり、なんだか、非常に羨ましい感じがいたします。

転生される場合は、是非ともそこにご注意ください。

言葉は、ちょっと無口だとか、どえりゃい田舎出身で誤魔化せるかもしれませんし、ご飯は自分で色々開発してね、殿に取り立てられるチャンスに出来るかもしれませんし、トイレもひたすら慣れることで解決できるかもしれませんが、ここが一番の問題になるやもしれません。


それから、邸内でくつろいでいる絵図があります。


廊下に付随している階段に腰を下ろした殿は、坂本龍馬が台に座っている写真のように、右の足をだらりと地面に伸ばし、左の足を折り曲げています。

やはり、股は大きく広げています。


廊下に座っている小姓や馬廻は、片膝を立て座っていますが、やはり股は大きく開いています。


庭にいる家臣たちは、片跪坐、蹲踞で座っています。


どうも股は、えらい人ほど、人前では大きく広げるのが、ポイントのようです。

体を大きく見せる……とか、なんだか喧嘩中の猫みたいですね。

大変な感じがしますね。

服装なんかも、アレですかね?裃の成立の流れって肩幅デカイゾー!みたいな深層意識が働いてるんですかね?

バブル時期の写真を見ますと、スイカアイスみたなことになっていますが、あれはどうしたことでしょうね?関係ない話なんですけど、ごめんなさい。気になりますね。


また宴会というのは当時、結構な頻度で執り行われていました。宴席ではどんな感じでしょうか。

絵図を見ると、やはり立膝で座っています。

多くの人はそうなんですが、中には、割座と呼ばれる座り方をしている人もいます。


割座というのは、尻をぺたんとつき、膝から下を両脇に出す「女の子座り」と現代では呼ばれるらしい形です。ただし、大きく膝を開くのは変わりません。

股は開くのは、重要なポイントですね!


「お姉さん座り」とかいう、両足、横に流すスタイルもあったようです。

もしかしたら、「座が乱れている」というのを現しているだけかもしれませんが、長時間に渡る宴会では、こんな人もいてもいいですよね。

やはり、お姉さんなんだけど、股は開いています。ええとこの”お姉さん”じゃなくて、自室で寛いでる”おネエ”さんですね。

しかし、なんだか、股の具合ばかり気にしているようで、ちょっと微妙な気がします。


また、殿におかれましては、立膝で、脇息を使われることもありました。


脇息は、当時は小さな細長いフラットな机のようなもので、幅が30センチほどはありそうで、まさしく机として使ったり、髪の毛のお手入れ、ヒゲのお手入れ、鼻毛のお手入れなどしてもらう時に、両肘を付いて、小姓に剃ったり、梳かしたり、結い直したりしてもらっていました。

便利なものです。



 こうなると、アレが気になってまいります。

アレって、ほれ、信長公在世当時の茶室では、武将の皆様は、どんな座り方をなされておられたか。


なかなか、これは、難しい問題で、茶室の間取り図や茶室の絵図は残っていても、織豊時代の茶会中の詳しい絵が見つかりません。

茶道の史料を紐解いても、「正座」やら「端座」と書かれているばかりです。これは正しく座るという意味で、現在の正座のことではありません。


どんな座り方だったのか、というのは、ずっと気になっておりました。


って、これや!ってのではなく、もしや?って感じなので、ザッツ・エンターテイメント!って位でお願いします。


千利休の没後四年にして描かれた、肖像画というものを見た時に、着物の前に右足がチョロンと見えているのが確認できます。

大きく膝を開いて、しかし片膝は立てず、しかもこの位置で片足だけが見えるという座り方は、右足を左足の前に出す形で座る「胡座こざ」「安座」ではないかと思われます。(上下に足を組むのが「胡座」、前後に足を組むのは「安座」と現代では呼ぶとする説がありますが、当時はその辺りはまだ区別は緩やかだったので、呼び方はお好きな方でいいと思います)

前回の訂正になりますが、足の裏を合わせて座るのは「胡座」ではなく、「貴人座」というそうです。(前回のと合わせて訂正します)


恐らく、刀を外し、片膝を立てず、ゆったりと胡坐で座るというのが、茶室での座り方だったのではないかと思われます。


死後に奉納される肖像画は、位牌と同等の意味合いを持っていましたから、これが茶席での座り方でもおかしくないのではないでしょうか。


ということで、何となくこんな感じで個人的には疑問が一段落しました。


様々な座り方がありますが、まぁ、生活そのものですから、キリッとする時以外は、色々あったことでしょうね。


というわけで、また。


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