神なうつけ・軍神上杉謙信

 上杉謙信といえば、現代から見れば軍神だらけではないか?と思われる戦国期に於いて、他の追随を許さぬほどの戦上手、完全に振り切ったキャラで有名で、軍神の二つ名を欲しいままにしました。

または、甲斐の虎、武田信玄の向こうを張って、越後の龍と呼ばれ、まさに龍虎の戦いを繰り広げました。もし、謙信公いなくば、信玄公が天下を取り、武田幕府が開かれた可能性もあります。


軍神謙信公の毘沙門天の「毘」の旗を見れば、敵軍は震え上がり、開戦の合図である、かかり乱れ龍の一文字旗「龍」を見ると、肝が冷える思いがしたと言います。


この戦上手はどこから?といえば、幼少期のゲーヲタから。


そう、いまや問題にすら無くなりかけている、一億総ゲーム中毒。ゲーム機を買わずとも、スマホさえあれば、手軽に楽しめるみんなの娯楽。

スマホ首なんて言葉ができ、首の後ろに新たな骨を出現させ、進化?まで促すこのゲーヲタの先駆けは、かの軍神、上杉謙信公です。


越後は守護代、長尾為景の末っ子として産まれた謙信公は、嫡男のお兄さんとは親子ほどの歳の差もあり、お兄さんが家督を継いだ年、満で6歳、数えで7歳の夏の終わりに、曹洞宗林泉寺、天室光育てんしつこういくのもとへ預けられます。


そこで覚えたのが、ゲームと男色……

それは、なんと1間四方(約1,8米四方)のジオラマでする、戦争シミュレーションゲームでした。

良かれと思ってオススメしたら、もうね、ズブズブとハマる、ハマる。

朝から晩まで、連日連夜、ゲーム三昧になりました。

師である天室光育も、謙信少年のこの体たらくにウンザリしたのか、約5年後、兄で当主の晴景を支える為に、長尾家に戻す時に、「僧には向きません」と折り紙をつけました。


しかし、そのゲーヲタぶりは、以後の戦上手に反映された訳ですので、全くをもって、人生に無駄はありません。めでたし、めでたし。と言いたいところですが、ところがどっこい、そう上手くばかりはいかないのが人生です。


確かに、軍神と称えられる謙信公の戦略、戦術は天才、神がかりといっても過言ではありません。



ゲームと現実は違うというのか……

実は元々軍神は、ヲタクにありがちなコミュ障を患っていたらしく、なかなか、家中での人間関係が上手くいかず、例えば宴席でも、盛り上がる家臣に置いてけぼりを喰らい、一人寂しく隅っこで盃を啜っていたようです。


弘治2年(1556)春3月。桜の花もほころんで、現代では卒業式の季節の頃。

「もう嫌だ、出家する!」

当主卒業を決心した軍神は、師である天室光育の下に、使者を差し向けました。

「いや、あんたね、僧に向かないって言ったよね?」

焦る天室光育に、27歳になったかつての弟子はゴネます。

どうやら越後の龍は、開戦から3年目、甲斐の虎との戦と収まることを知らない内乱にウンザリしたようです。

天室光育の説得も聞かず、ついに6月になると家出します。

高野山へ逃走する軍神を追って、家臣と天室光育は説得に説得を重ねて、翻意を促します……

「皆が言うこと聞かないんだから、師匠からちゃんと皆に説得して!」

となんとも、戦国期において中堅の歳になってる一国の当主とも思えぬくちっぷりに、天室光育も「オマ……」と絶句するのも仕方なし。


で、何とか連れて帰られますが……


この辺りから、謙信公は何か悟るものがあった、というのか、えんや、もう!って感じになったのか、ゲーヲタ魂を炸裂させ、川中島合戦で、大名として、領土や収入を増やしたり、国を守るために勝ちを取るというより、ゲームを楽しむ風情の戦ぶりを発揮するようになり、「何、考えてるんだ?」と武田信玄公から頭を捻られ、辺りの大名からも「理解できない」と不気味がられてしまいます。



その上、孤独が深まり酒にはまった軍神は、遂には戦勝祈願で酒断ちをすれば、幻覚が見えるようになりました。

それって……もしかして……アルち……


 おおよそ、戦国期の武家の当主は、子づくりが責務なので、結婚して子供を設ける努力をしますし、男色も有力家臣との絆作りが目的ですが、軍神謙信公はご存知のようにひと味違います。

元々婚姻自体はお断りして、男色には励んでおられましたが、これも振り切って、江戸期のような若衆好みを押し出します。


しかし友達は、見つかりました。

ゲームの方ではなく、男色の方なんですが、かの将軍足利義輝と美少年好きの沼仲間で意気投合し、近衛前久卿に、容貌、花の如くな美少年達を集めての大宴会をセッティングしてもらい、ご満悦の末に、近江守山で好みの美少年を見かけてお持ち帰りになられたのは、有名な話です。




さらには、今で言う、なりきり厨にもハマったようで、

「我は毘沙門天の生まれ変わりである」と宣言し、「さような前例は御座いませぬ!」と家臣団を慌てふためかせます。

最初は生まれ変わりだといっていましたが、だんだんと一体感が深まり、遂には「我こそは毘沙門天!我に祈れ!」となりました。

いや、信長公推しとしては、『神になり代わろうとした信長公』というテーマの時には、こちらの先例に注目してから、語ってほしいところですよ。


そうなると、なんだか、それっぽい逸話が発生しはじめます。

例えば、敵が押し寄せて来たが、無視して目前で弁当食べてたけど、10発の弾が当たらなかったとか、敵に踏み込まれ隠れてたら熟睡して、気がつくと敵は見つけられずに去っていったとか……いや、それって、単なるアルち……

あたかも、ジャッキー・チェ○の酔拳のような豪胆な逸話が残っています。


この辺りになると、家臣団も、そうかな?そうでもいいかな?いや、そうに違いない……と洗脳状態になってきます。


もうね、ヲタク街道まっしぐら。

振り切って走る軍神に、家臣が巻き込まれていくのは、それだけの実績が伴っていたからでしょうし、室町期より流れる婆娑羅志向があったからでしょうか。


そして、地上の神の化身もいつか、天に戻るものなのです。かぐや姫だって、イエスキリストだって、お釈迦様だって、我々のもとから去っていきました。


それは折しも、信長公と同じく49歳のこと、厠へ行った軍神は、還らぬ人となりました。


それでもね、あの時代、一国を支えきった謙信公というのは、本当に凄い方だと思いませんか。


まさにキング・オブ・ヲタク


戦国大名のうち、現代に転生したら、とても楽しく生活できるのは、軍神謙信公なのではないかと思います。


いえ、もしかしたら、現代のゲーヲタのあなたが転生した姿こそ、かの越後の龍なのかもしれません。


因みにご愛用の大型ゲーム機は、謙信公の嫡男にして甥の正室の兄、武田勝頼の嫡男太郎信勝に贈られました。塩のエピソードの時には、これにも言及してほしいです。

相当な貴重品だと思いませんか?


さて、花の16歳で亡くなる、甲斐守護大名家最後のお屋形様、信勝公は、伝説となった軍神のゲーム機で、楽しく遊べたでしょうか。







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